Tシャツとサンダルの候

上津土塁跡と岩戸山古墳を行く

暇人を自認している。

 

先の久留米市の統計によると、昭和30年生まれでは、現在私は7番目に位置する暇人だそうだ。

この勢いで行けば、輝く【King of 暇人 in 久留米】に輝くのも、そう遠い将来の話しでは無い筈だ。

暇人の名に恥じぬよう、正々堂々精進して、暇道を極める所存である。

 

 

・・・・

 

 

んな統計あるかーい!

しかも、後半パクってるし。

 

と、先につっこんでおく。

ま、暇な事は事実である。

たまには山ではなく、街歩きをすることにした。

 

刈原交差点

この交差点を右に折れると、私が経営していた会社がある。

ちゅーか、見えている。

無論、用が無ければ、立ち寄る事はない。

暇ウイルスを巻き散らかすのも、社員たちに気の毒だからだ。

上津土塁跡

ずっと、防塁と思われてきたが、近年、治水事業であったとの説が有力になっている。

因みに、大宰府の水城も、最近は同じ解釈となっている。

以前、高良山の神籠石で触れた、筑紫大地震の被害の痕跡が見られたらしい。

大地震以前の築造である事は、はっきりしている。

久留米市から広川町に入った。

今にもひと雨来そうだが、一向に構わない。

ずぶ濡れ歩きは、去年から慣れたものだ。

八女市に入った。

先の方に見える信号を、右に折れた所にあるのが、今日の目的地である。

 

え、馬刺し屋さん?

ばれたか。

そうそう、ここの馬刺しが美味しくて・・・

 

 

そんなわけなかろう。

 

 

 

ここだ。

筑紫の磐井の墳墓とされる古墳である。

 

立派な資料館が併設されている。

何度も中に入った事はあるが、なにしろ入館無料である。

今日も、ちょいと入ってみた。

 

ここは、磐井の時代の出土品などと共に、南北朝時代の九州動乱の資料も、ほんの僅かだが展示されている。

しばらく眺めていると、学芸員らしきオジサンが近づいてきた。

こういう場合、興味がある事を感づかれると長くなるんだよな。

特に、こんな地味なコーナーに、身じろぎもせずに見入る奴なんて、ほぼいない筈だし。

本当は説明を聞きたいんだけど、いかにも今日は時間が無い感を出して、その場を逃れた。

体中から暇臭をプンプン発しているくせにである。

磐井が造営したと言われる古墳。

 

石人石馬。

勿論レプリカだ。

 

 

その磐井は、ついに自ら作った墓には入れなかった。

磐井の乱によって戦死した、或いは豊の国に亡命した、と伝えられているからだ。

磐井自体は、久留米の高良山に拠点を置いていて、筑紫の国、肥の国、豊の国を勢力下においていたのは間違いない。

神功皇后の系譜を継ぐ玉垂命との関係性はどうなのか・・・

 

 

止める。

 

 

雨が来そうだ。さっさと帰ろ。

コメント一覧

エッシャ
いえいえ
現役時代はそんな事、絶対言いませんよ。
今なら言えることも、少しぐらいはあるけど・・・

いや、まだ言わなーい。
下松クルーズ
歴史ある
はじめまして。エシマ自動車。
歴史ある会社?苦労話が知りたい。
プラム時代にお尋ねしたかったです。
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