Tシャツとサンダルの候

王子宮ルートで下山する。

今日も今日とて、高良山である。

飽き飽きしているだろうから、山頂までは省く。

 

高良茶屋まで降りてくると古い道標がある。

ここから降りていくと、吉見嶽城という城があったところを通るルートになる。

吉見嶽城とは、秀吉が薩摩征伐の際に一日だけ陣した城である。

 

しばらく降りると「高良山二六ケ寺・・・・・」という杭がある。

明治期の廃仏毀釈以前は高良山は仏教の山であった。

『高隆寺本坊が蓮台院御井寺と号す』とある。

かつてはここが、高良仏教の中心であったと言う事か。

開基は高良山初代坐主である隆慶上人。

今は竹藪となったこの地に、古は伽藍や塔が建立されていた。

今回は吉見嶽方向には行かず、王子宮コースを採る。

 

これはイノシシの水浴び場所だ。

道のど真ん中にある。

妙見神社

鳥居は笠木も貫きも無くなって荒れさびている。

目の病に霊験あらたかなんだそうだが、神様も怒っているに違いなく・・・

王子池に到着。

 

ここには古宝殿城という古城がある。

まだ登った事はない。登ってみるか。

 

 

『400階段』って見えた気がするが・・・きっと、気のせいだ。

ぶひゃーー

 

本当に400段以上あったよ。

高良玉垂宮の名の謂れの玉垂命には9人の御子があった。

その御子の誰かが、ここに本拠を置いたと言う事が書いてある。

因みに、この玉垂命の長子が、宋書の中に見える『倭の五王』の中の『讃』、次子が『珍』である。


と、言う説がある事を紹介しておく。

王子池には菜の花がちらほらと。

 

王子宮。

古来より、久留米花火の動乱蜂という仕掛け花火が奉納される。

 

 

麓に降りてきた。

ぜひ、会ってみたいなあ。

失礼ながら、身を乗り出してお宅を覗き見るも、ゴン太君は不在のようだった。

 

さて、

なんで王子宮コースで下りたのかと言うと、朝妻にあるここに立ち寄る為であった。

この前もここまで歩いて、車を取に行ってたじゃないか。また故障したのかって?

 

違う。

 

この前来た時に、店内に展示してあったこれが欲しくて、色違いの物を注文していたのだ。

それが届いたとの知らせがあった。

首輪とリードである。

これでもこも、名実ともにボルボ犬である。

 

意味が解らん!

 

と、

先にツッコんでおく。

 

 

 

 

 

「え、江島さん。また、歩いて来たんすか!」

 

そんなに、呆れるなよ。

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