前回の続き
福智山ろく花公園から、赤村方向へ30分程走ると、次の目的地に辿り着く。
内田三連橋梁。
県道脇のスペースに車を停め、橋梁までは歩いて行く。
平成筑豊鉄道軌道下に、細い小道が延びている。
小道は数十メートル先で突き当たり、右に折れた先が三連橋梁だ。
近代化産業遺産と書かれた石碑。
これか。
明治28年竣工。
面白いのは、こちらの面は切り石積み、
反対側に回れば、煉瓦積と言う点である。
いわば、裏表の顔があるのだ。
向かって左が車道、真ん中は小川、向かって右が農道用。
それぞれのアーチに、違う用途があるのも面白い。
移動。
三連橋梁の程近くに、もう一つの目的地、石坂トンネルがある筈だが、
どうにも場所が分らない。
地図アプリで検索すると、石坂峠という場所にナビゲート。
確かに真下はトンネルのようだが・・・下りる道が見当たらない。
はて、どうしたものか。
思案してたら、鉄道作業員風の人を見つけた。
「あのー、石坂トンネルって、ここから行けますか?」
「いえ、行けません。私達はこの下で鉄道作業をしている者ですが、一般の方がそれをなさいますと、威力業務妨害罪が適用され・・・」
「メ、滅相もない。私は一日2杯の酒を楽しみに生きる、しがない小市民で、そんな大それた事は、決して・・・」
とは、言ってないけどね。
流石に、ここまで言われれば、きっぱりと諦めもつく。
帰ろう。
赤村まで戻ってきた。
源じいの森駅近くに跨線橋らしきものが見えた。
「雰囲気的に、トンネルありそうじゃね。」
「マジか。」
こんな場合、ヤツの動物的直感に従うのが得策だ。
駅に車を停め、跨線橋から山方向に目を向けると、
ヤツの動物的勘恐るべし。
探しものは、いとも簡単に見つかった。
一体全体、威力業務妨害罪は何だったのだろう?
九州最古(明治28年)のトンネル、石坂第二隧道である。
拡大すると、トンネルと軌道が、複線仕様に造られているのが分る。
国の登録有形文化財。
いつ頃の車両だろう?
トンネル手前の橋梁へは、歩いて行ける。
橋梁を下から見上げる。
煉瓦を覆う赤茶けた苔。
源じいの森駅に戻ってきたところで、ちょうど、平成筑豊鉄道の列車がホームに入ってきた。
ウエーイ (ノ^^)ノ
お縄になることもなく、これで無事に目標達成である。