木陰の道を進む。
やがてその先に、入道雲沸き立つ空が開けた。
もう、たいがいにせい!
と言いたくなるような晴天だ。
高良山頂上のすぐ下のこの広場には漱石の句碑がある。
『菜の花の、遥かに黄なり、筑後川』
久留米人なら誰しも目に浮かぶ光景だ。
この先、発心公園までの10km程の間に、漱石の句碑がいくつか続く。
高良山の東側辺り。
『人に逢はず、雨ふる山の、花盛』
漱石が熊本五校に赴任していた時期、久留米に兄とも慕う親友がいて、何度か訪れている。
高良山さらに東側
『筑後路や、丸い山吹く、春の風』
その折、御井町から高良大社に参拝し、発心山まで縦走したという。
この時の体験が『草枕』の
「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ・・・」
の有名な冒頭になったと言う話である。
発心山
『濃かに、弥生の雲の、流れけり』
発心公園
『松をもて、囲ひし谷の、桜かな』
もっとも、高良山に詳しい高良茶屋のオヤジによれば、
「その当時、高良大社より先は、けもの道ぐらいしか無かった筈だけん・・・」
尾根沿いを縦走なんか出来なかった筈。
実際は、茶屋脇にあるこの道標から山を降りて、旧街道を草野まで歩いた、というのが本当のところではないか。
「だって、うちの親父の時代ですら、ここから上の水場に行くのだって、ひと苦労じゃったけんですね。」
ましてや、漱石の時代では・・・
と言う意見もある。
一汗かいたし、そろそろ山を下りる事にした。
それにしても今日は、素晴らしく見通しがいい。
見晴るかす彼方、有明海と雲仙普賢岳の稜線が見えた。
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