福岡に住む義姉が、一泊で遊びに来ている。
晩御飯を食べながら、
「(福岡の)大名にあった天主堂が、久留米に移築されとるらしかね。」(義姉)
「ふーん、どこに?あー、あの病院ね。あるある。そんなら明日見に行こうか。」(私)
「行く!」(義姉、家内)
「ついでに・・・」(私)
翌日の日曜。
義姉のリクエストにより、久留米プチ探訪となった訳で。
但し、久留米人でさえ殆ど知らないと言う、マイナーな場所ばかりだが。
先ずは、月星化成本社である。
荘島町の歩道を闊歩するオバサン二人。
左手に見えるのが月星化成本社工場だ。
「ムーンスター」というブランド名の方が、ピンとくる方も多いだろう。
何しろ、創業150年になんなんとする会社である。
工場内の建物も、趣のあるものばかりだ。
目指すのは、手前に見える瓦葺の建物。
月星化成は、明治6年、初代倉田雲平が『つちや足袋』として起業。
その後靴メーカーとして、商品形態を変えながらも現在へと続く会社である。
つきほし歴史館。
昨晩ググってみたら、一般開放している事を初めて知った。
館内は撮影禁止であり、掲載すべき画像は無い。
係りのオバ・・・、失礼、ベテラン女性が、懇切丁寧に説明してくれる。
ベテラン女性の説明によると、この建物は古く、かつては迎賓館のような使われ方をしていたらしい。
入館は無料だ。
近郊の方は、ちょいと訪ねてみられてはいかがだろう。
月星化成本社工場の真向かいには、青木繁旧宅跡駐車場がある。
「青木繁旧宅は行った事無いやろ。ついでに寄って行こうか。」(私)
「行く行く。」(義姉)
狭い路地裏を数十メートル程歩いて行くと、夭折の天才画家青木繁旧宅が見えてくる。
ここも入場無料である。
「ようこそいらっしゃいました。」
コロナで来訪者が少ないらしく、保存会のベテラン女性が、嬉しそうに出迎えてくれた。
残念ながら建物としては、青木が住んでいた当時の物では無く、忠実に復元された物だ。
「ですが、この床柱と梁は、当時の物なんですよ。」
「ほほう。」
「縁側の床材もそうでして。」
「ほほう。」
「後は、あの手洗い鉢と、」
「ふんふん。」
「この金具も残ってました。」
「金具?」
「やってみましょうか。こうやって・・・」
「はい、クルリンパ。」
「おー!パチパチパチ!!」
館内は青木繁の作品のレプリカや、残された書簡等が展示されている。
青木繁の死後、青木の母親から福田たね(青木繁の妻)の実家に宛てた手紙などは、特に興味深く読ませてもらった。
そして最後は、義姉のリクエストの、
久留米聖マリア病院である。
日曜日のこの日、無人の玄関ホールを抜けると、
忽然と古いレンガ造りの教会が現れる。
古いレンガ造りの教会と、それを窓に写す近代的な建築物。
この教会は、福岡市の「大名町カトリック教会天主堂」として明治29年完成。
その後、昭和61年に聖マリア病院の一角に復原移築、現在に至っている。
ルルドの泉
ステンドグラスの灯りが漏れる教会内にも、ちょっとだけお邪魔してみた。
無論撮影は出来ないので、画像は無い。
長椅子に座れるのは一列に一人だけ。
残りの場所には、バッテンが貼られている。
荘厳な空気の中にも、コロナの影響が垣間見えたりする。
「よかったあ。見られて。」(義姉)
そりゃよかった。
又次回来た時も、ディープな久留米探訪ばしようかね。