すぐれた物書きは集合精神を持つ
なぜ、すぐれた物書きは、
時代を超えた多くの人についてそれぞれの行いや思い、
その感情の機微をあたかも細かく
知っているのかのように書けるのだろうか。
なぜ彼は一人の個人でありながら、
まったく境遇と性格とちがう他の人間のようになれるのだろうか。
すぐれた物書きは、自分だけの心と精神を持っているわけではないからだ。
友人の心と精神、他のたくさんの人々の心と精神を併せ持っているからだ。
つまり、それは集合精神であり、彼の中には多くの人が住み、共に生きている。
ニーチェの言葉Ⅱ引用
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そらあかね
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