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![0_e41](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/3/b/3b4a5b96.jpg)
地球上のどこかで、今日も誰かが行方不明になっている。誘拐や殺人事件など、犯罪がらみのものが多いが、中には人生を再出発するために自ら行方をくらますケースもある。こうした失踪事件の中には合理的な説明がつかないものもある。
1945年にアメリカ海軍の軍用機が忽然と姿を消したバミューダトライアングルの消失事件や1975年のホッファ失踪事件などは非常に有名である。こうした事件の謎をめぐっては、テレビなどでも大きく取り上げられ、幾度となく特別番組が組まれてきた。
不可解な失踪事件はその謎ゆえに人々の想像力を大いに掻き立ててきた。証拠不十分で結局は時効になったものもあれば、依然として捜査中であるものもある。ここではそうした未解決の失踪事件を見ていくことにしよう。あなたはその謎を解明できるだろうか?
10. アガサ・クリスティの11日間
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image credit: theguardian.com
ポワロの生みの親であるベストセラー作家が失踪したのは、1926年12月3日の夕刻であった。車に乗って出かけたきり行方不明になってしまったのだ。千人もの警官に数百人もの一般人が加わり大規模な捜索が行われた。推理小説作家ドロシー・L・セイヤーズやコナン・ドイルにまで助言が求められている。
警察は破損し、乗り捨てられた彼女の車を発見したが、そこにクリスティの消息を知る手がかりは残されていなかった。結局は、失踪から11日後、保養地のホテルに夫の愛人テレサ・ニール名義で宿泊していたクリスティが発見され事件は解決した。しかし彼女にはそこに辿り着くまでの記憶が一切なかったという。
9. エットーレ・マヨラナ失踪と目撃証言
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image credit: frontiersmagazine.org
エットーレ・マヨラナは将来を嘱望される物理学者であったが、1938年にナポリからパレルモへ移動する船の中で行方不明となった。懸命な捜査にもかかわらず、結局マヨラナが発見されることはなかった。
しかし2008年、1955年にアルゼンチンでマヨラナと思われる人物を見かけたと主張する男性が現れる。彼によれば見かけたのは一度だけだったそうだ。イタリア警察が1955年に撮影されたアルゼンチン男性の写真を分析した結果、マヨラナの顔と10ヶ所の類似点が認められた。しかしそれでも謎は残る。仮にその人物がマヨラナ本人なのであれば、彼は20年前の失踪当時から全く容姿が変わっていないことになるのだ。
8. マーサ・ライトの消失
![3_e46](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/9/d/9d804e6a.jpg)
image credit: janhare.com
1975年、ジャクソン・ライトとその妻マーサは、車でニューヨークシティのリンカーントンネルを通過していた。夫妻は窓ガラスの結露をふき取ろうとトンネルの中で車を停めた。ジャクソンは前をマーサは後ろを拭き取ることにして、作業に取り掛かった。夫が目を逸らしたのはわずか数秒である。しかし振り返ってみると、妻の姿はなかった。怪しい音もしなかったし、そばに近寄ってくる怪しい人物も車もなかった。それなのにトンネルの中から彼女は忽然と消えてしまった。
警察による捜査から手がかりは一切発見されていない。また自作自演の可能性も否定されている。マーサは文字通り消えてしまったのだ。
7. フレデリック・バレンティッチの遭遇
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image credit: leonardepsteinphotography.files.wordpress.com
1978年当時、まだ新米パイロットだったフレデリック・バレンティッチはオーストラリア、バス海峡沿いを訓練飛行していた。そのとき300m上方、高度1,300mの地点に接近してくる機体を発見し、これを報告している。メルボルン管制塔は付近を飛行中の機体はないと応答する。機体がさらに接近すると、バレンティッチは4個の灯りがついた機体に付きまとわれていると報告した。機体の種類について問われたバレンティッチは、「飛行機ではない」と返答している。これが最後の通信となった。それ以降、彼の姿を見た者はいない。
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6. ヘール・ボッグズの謎
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image credit: media.nola.com
10月のある雪の日、アラスカ旅行中に2人の大物政治家が行方不明となった。アメリカ下院・院内総務のヘール・ボッグズと共和党のニック・ベギーチである。1972年10月16日、彼らはアンカレッジからジュノーへの飛行中、補佐官とパイロットとともに忽然と姿を消してしまった。
パイロットは経験豊富な技術には定評のある人物で、彼から問題の報告はなかった。捜索のために、軍用機40機と民間機20機のほか、沿岸警備隊のヘリコプターや空軍のスパイ機までが動員された。あらゆる線が検討されたが、今日に至るまでその手がかりは一切発見されていない。
5. ジム・トンプソン失踪
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image credit: scout-home.com
第二次世界大戦中、ジム・トンプソンはCIAの前身であるOSSの諜報員として活躍した。引退すると静かな暮らしを求めてタイに移住し、そこでタイの絹産業を復興させてファッション界のカリスマとなった。一般大衆からも、政府からも尊敬される存在だった。
1967年3月29日、休暇として別荘があった高原を訪れ、そこで散歩に出かけた。それきりだった。有名な実業家であったことから、タイ空前の捜索が行われた。ジャケットとタバコが置きっぱなしだったことから、それほど長く外出するつもりでなかったことが伺われた。諜報員時代に培ったサバイバル技能を考えると、ちょっとした散歩で遭難する可能性も考えにくい。彼の行方は今もって謎である。
4. サラ・ジョーの奇妙な失踪
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image credit: hawaii-guide.com
1979年2月、マウイのとある村から男性5人を乗せた”サラ・ジョー”というボートが出発した。しかし酷い嵐に遭い、彼らは海で消息を絶ってしまった。1988年、マーシャル諸島にある環礁島調査の最中に小さなボートと、簡素な墓から突き出た人間の顎の骨と思われるものが発見された。サラ・ジョーであった。歯の治療記録から顎の骨が失踪した乗員のものであることも判明している。しかし他の4人の遺体は発見されていない。
彼らが遺体を埋葬した人物であるならば、一体どこへ行ったのだろうか? 反対に彼らが埋めたのではないのなら、一体誰がやったのだろうか? さらに奇妙なことに、この島は数年前に綿密な調査が実施されていた。そのときはボートも墓も発見されていない。
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3. キンロス事件
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image credit: wikipedia.org
1953年11月の夕刻、アメリカ空軍のレーダーがスペリオル湖上空の領空を犯す未確認機を捉えた。キンロス空軍基地から直ちに、フェリックス・モンクラ中尉とレーダー操作員のロバート・ウィルソン中尉が乗るF-89Cが出撃した。レーダーからはモンクラ中尉が時速800kmで飛行し、高度2,100mの目標に降下したことが確認されている。レーダーの画面を見つめていた管制官は、目標に接近したF-89Cの点が融合してしまったことに驚愕する。そして目標の点はその空域から突然離脱した。懸命の捜索にもかかわらず、F-89Cも乗組員も跡形もなく消えてしまった。カナダ空軍は当時、その付近に航空機はいなかったと主張し続けている。
2. D・B・クーパーの大脱走
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image credit: designbump.com
彼の本名は不明だ。分かっているのは、それが1971年11月の寒い嵐の晩にD・B・クーパーと称する男が乗客36人を乗せた飛行機をハイジャックしたことだ。身代金として現金20万ドル(現在のおよそ1億円)とパラシュートを受け取った彼は、人質を解放し、シアトルからメキシコへ向けて飛行機を飛ばす。その途中で後部ハッチからパラシュートで脱出し、歴史の中に消えてしまった。
当時、5機のジェット機が追跡を行っていたが、クーパーが脱出する姿は目撃されていない。捜査当局は彼が死亡したものとしているが、身代金の一部が発見されたのみで、遺体は見つかっていない。現在もFBIが捜査中である。
1. アメリア・イアハートの遭難
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image credit: childrensmuseum.org
アメリア・イアハートは大西洋単独横断飛行を成し遂げた世界的に有名な飛行士であったが、1937年6月2日、赤道世界一周飛行の途中でナビゲーターのフレッド・ヌーナンとともに太平洋上空で失踪した。アメリカ海軍と沿岸警備隊が海上と上空双方からアメリカ史上空前の捜索を実施したが、発見されることはなかった。
捜索活動が正式に打ち切られた後、イアハートの夫が私的に捜索を続けたが、やはり手がかりは得られていない。伝説的な飛行士は文字通り消失してしまった。私的な捜索は現在も続けられている。
via:therichest
☆俺が知りたいのは、ケネディ大統領暗殺とジョンベネちゃんじゃ!
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