>私は鹿児島県で1963年に生まれました。
私が生まれてすぐ、父が炭坑で働くために北九州市に移りました。
住まいはいやゆる炭坑長屋。柄が悪い人が多く、小学校の先生が『お子さんのためには引っ越したほうがいい』というので、中間市の県営住宅に引っ越しました。
父は戦時中、衛生兵として南方の戦場に召集された経験があったらしく、精神が病んでいて、わたしがものごころがついた頃にはすでに酒乱でした。母は私に『とうちゃんみたいな人間になったらいけんよ』とことあるたびに私に話し、その結果、私は一度も父を尊敬することがありませんでした。
母は後妻で、前の奥さんとは死別でした。
前妻の子どもがいましたが、私よりも15歳も上でしたので優ししてくれました。
ところで、両親はいとこ同士でした。近所の人や親戚からはこうきの目で見られました。
私は病弱で目も悪かったので、心ない人はいとこ同士だからといっていました。
母にどうして私を産んだのか聞いたことがあります。母は『おろしたら、体がもたない』と言われたからだそうです。
母が亡くなってから姉が『自分の子供を産んでおいたほうがいい、って私が言ったのよ』と話してくれました。
私は父を尊敬することもできず、母の真っ直ぐな愛情も受けられないまま育ちました。
今日はこれくらいにしておきます。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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