日本人にとって、「謙虚」は美徳の一つとされます。
決して悪いことでもないし、日本人だけの概念でもありません。
なぜ、ここでその話題をだしたかというと…。
必要以上の謙虚さ、心からの謙虚さは「自己否定」につながる危険性を孕んでいるからです。
謙虚さを重視ずるあまり、本当に「自分はたいした人間ではのない」という思考が癖になってしまう。
では社交辞令として検挙な態度をとっていればよいかいかと、いうとそれも違います。
自分の価値をしっかり受け止めた上で謙遜するのです。
「私は社長としてふさわしい人間だ」と自己肯定をした上で「まだまだ社長として勉強することが多いです」と謙虚さを示す。
これは「自己肯定」に基づくポジティブな謙遜です。
冒頭で書いた、「日本人だけではない」というのは、最近読んだ本に書かれていました。
ではなぜ「日本人」が検挙だとされるのか。
それは、日本では「滅私奉公」という概念があり、「自己否定」が強い「謙虚さ」だからなのです。
「滅私」は必要ありません。傲慢なのは問題がありますが、「自己否定」をしてしまってはいけません。
少しわかりにくい内容になってしまいましたが、今「自分に自信がない」と感じていらっしゃる方は「自己肯定」について考えてみてください。
https://mental-counseling.com/
↑↑
「代表のつぶやきブログ」更新しました!
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ではなぜ「日本人」が検挙だとされるのか。
それは、日本では「滅私奉公」という概念があり、「自己否定」が強い「謙虚さ」だからなのです。
「滅私」は必要ありません。傲慢なのは問題がありますが、「自己否定」をしてしまってはいけません。
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