みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ

ベラルーシ音楽について紹介します!

ヤクプ・コーラスの詩の日本語訳「言葉」

2012年11月03日 | ヤクプ・コーラス
 ベラルーシの国民的文学者ヤクプ・コーラスの生誕130年を記念して、三編の詩を日本語に翻訳しました。
 その2編目です。


言葉

言葉は喜び、言葉は魅せる
永遠の青春の姿
言葉よ、お前はどこにでもいる、太陽にも雨雲にもいる
お前は空の青いところを透かして覗いた
耳に優しく、言葉はきらめき
私の心をそっと開いた
夜と夕暮れ、昼と夜明けに
言葉の美、お前は抱きしめた


Слова

Слова — радасць, слова — чары,
Вобраз вечна юных вёсен!
Есць ты ўсюды: ў сонцы, ў хмары,
Ты глядзіш праз неба просінь.
Лашчыш слух мой, слова-ззянне,
Атуляеш сэрца ласкай.
Ноч і вечар, дзень, світанне
Абняло ты, слова-краска.


Пераклад: Масако Тацумі (2012г.) 日本語訳 辰巳雅子

ヤクプ・コーラスの詩の日本語訳「ふるさとの姿」

2012年11月03日 | ヤクプ・コーラス
 ベラルーシの国民的文学者ヤクプ・コーラスの生誕130年を記念して、三編の詩を日本語に翻訳しました。


ふるさとの姿

ふるさとの愛らしい姿は
哀しみ、そして私の喜び
何が私をあなたにまで突き進ませるのか
私をこんなに釘付けにして

あなたの所へはうねった野原と
小川、塚、森を越えて行くが
それらはなぜ哀しみと運命の嘆きと
沈んだ美で満ちているのか

ただ私は横たわって目を閉じ
自分を通してあなたを見る
生きているかのように静かに通り過ぎ
愛らしい美が輝いている

聞こえてくるのは、ただ実った小麦畑の音
静かに嘆きが飛び去った
高い森のざわめきは幸福の音
そして樫の巨木の歌・・・

愛らしい姿と哀しい姿は
ふるさとの村々と民族
長く続く歌、苦悩の歌・・・
ここであなたを見る、そして聞く


Родныя вобразы

Вобразы мілыя роднага краю,
Смутак і радасць мая!
Што маё сэрца да вас парывае?
Чым так прыкованы я

К вам, мае ўзгорачкі роднага поля,
Рэчкі, курганы, лясы,
Поўныя смутку і жальбы нядолі,
Поўныя смутнай красы?

Толькі я лягу і вочы закрыю,
Бачу я вас прад сабой.
Ціха праходзіце вы, як жывыя,
Ззяючы мілай красой.

Чуецца гоман мне спелае нівы,
Ціхая жальба палёў,
Лесу высокага шум-гул шчаслівы,
Песня магутных дубоў...

Вобразы мілыя, вобразы смутныя,
Родныя вёскі і люд,
Песні цягучыя, песьні пакутныя!..
Бачу і чую вас тут.


Пераклад: Масако Тацумі (2012г.) 日本語訳 辰巳雅子

ヤンカ・クパーラの詩「祖国」

2012年07月07日 | ヤンカ・クパーラ
 ベラルーシの国民的文学者ヤンカ・クパーラの生誕130年を記念して、もう一作「Спадчына」を日本語に翻訳しました。

祖国

古の曽祖父の世紀から
私の元に祖国がとどまった
味方と敵の間に
それは優しい母のように

故郷は夢のおとぎ話のようだ
春の雪は溶けた
森でヒースはささやいた
野原では樫の木が折れた

私の目を覚ましたのはこんな思い出
こうのとりは菩提樹の上で鳴き続ける
そして朽ち果てた塀
村に寄り添って寝ている

羊の子らは悲しみ
その声が牧場に響く
多くの鳥たちの叫び
墓場の上に群れ渡る

白い昼も黒い夜も
私はあらゆる所を見て回る
この宝に飽くことがあろうか
雄の蜜蜂にまだ食べられていないか

生きる心に宝を持ち
炎の真実のように
闇と深い森のうち
狭い谷間で私を照らすように

家族の思いは宝と生きる
ともに幻の夢を見る
私の祖国がよんでいる
故郷が持つ全ての頁で


・・・

 ベラルーシ語原詩はこちらです。

Спадчына

Ад прадзедаў спакон вякоў
Мне засталася спадчына;
Памiж сваiх i чужакоў
Яна мне ласкай матчынай.

Аб ёй мне баюць казкi-сны
Вясеннiя праталiны,
I лесу шэлест верасны,
I ў полi дуб апалены.

Аб ёй мне будзiць успамiн
На лiпе бусел клёкатам
I той стары амшалы тын,
Што лёг ля вёсак покатам;

I тое нуднае ягнят
Бляянне-зоў на пасьбiшчы,
I крык варонiных грамад
На могiлкавым кладбiшчы.

I ў белы дзень i ў чорну ноч
Я ўсцяж раблю агледзіны,
Цi гэты скарб не збрыў дзе проч,
Цi трутнем ён не з'едзены.

Нашу яго ў жывой душы,
Як вечны светач-полымя,
Што сярод цемры i глушы
Мне свецiць мiж вандоламi.

Жыве з iм дум маiх сям'я
I снiць з iм сны нязводныя…
Завецца ж спадчына мая
Ўсяго Старонкай Роднаю.

ヤンカ・クパーラの代表作「あそこを行くのは誰だ」

2012年07月07日 | ヤンカ・クパーラ
 ベラルーシの国民的文学者、ヤンカ・クパーラの生誕130年を記念して、代表作「А хто там ідзе?」を日本語に翻訳してみました。(ちなみにこの詩は大変有名なので何ヶ国語にも訳されていますし、日本語訳も複数あります。以下は私の翻訳です。)

・・・・・・

あそこを行くのは誰だ

あそこを行くのは誰だ あそこを行くのは誰だ
大きな群れをなして
「ベラルーシ人だ」

そのやせた肩に彼らは何を背負っているのか
手には血が、足にはわらぐつが
「屈辱を」

どこへその屈辱を全て背負って行くのか
どこへそれを見せに行くのか
「全世界に」

百万にも満たぬ数、彼らは一体何者なのか
何が屈辱を背負うことを教え、彼らの目を覚ましたのか
「貧しさが、悲しみが」

そして彼らは何を願っているのか
目も見えぬ、耳も聞こえぬ抑圧された歳月
「人と呼ばれることを」


・・・・・

 ベラルーシ語の原詩もご紹介しておきます。

А хто там ідзе?

А хто там iдзе, а хто там iдзе
У агромнiстай такой грамадзе?
     - Беларусы.
 
А што яны нясуць на худых плячах,
На руках у крывi, на нагах у лапцях?
     - Сваю крыўду.
 
А куды ж нясуць гэту крыўду ўсю,
А куды ж нясуць напаказ сваю?
     - На свет цэлы.
 
А хто гэта iх, не адзiн мiльён,
Крыўду несць наўчыў, разбудзiў iх сон?
     - Бяда, гора.
 
А чаго ж, чаго захацелась iм,
Пагарджаным век, iм, сляпым, глухiм?
     - Людзьмi звацца.

マクシム・バフダノヴィチの短歌

2012年05月24日 | マクシム・バフダノヴィチ
 2012年にベラルーシの詩人マクシム・バフダノヴィチがベラルーシ語で書いた短歌を日本語に訳して発表しました。
 詳しくはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c6f9c3b34bb09b5310df6af73fbc144f


 どちらかと言うと文学で、音楽ではありませんが、短歌なのでこのブログ上で日本語訳を発表します。
 
 外国語で短歌が書かれると五行詩の形式になるのですが、とりあえず直訳の日本語の五行詩にして、その後五七五七七になるようにしました。ベラルーシ語を日本語に訳すより、五七五七七に文字数を合わせるほうが難しかったです。

 一首目(直訳)
 
 ああ、何と鳴いているのだろう
 青い目の鳥
 恋の苦しみの中で
 静かに、小さい鳥よ、静かに
 疲れてしまわないように


 これを読んで私は勝手に「青い目をした女性(鳥と擬人化)とバフダノヴィチの恋愛のもつれ」(^^;)を想像してしまいました。
 これを短歌にしたのはこちらです。

 碧き目の 鳥鳴きもらす 苦々苦々と やむを請いたし 身沈まぬよう

 「苦々苦々」で鳥の鳴き声を表現してみました。(鳩みたいですが・・・。)
 「やむ」は「病む」そして「請い」は「恋」とかけてみました。
 ベラルーシ語の疲れるは沈む(体が持ち上がらない)というニュアンスがあるので、このように訳してみました。
 ベラルーシ語(外国語)の五行詩はどうしても短歌より文字数も言葉の数も多くなってしまうので、そのあたりを補うために掛詞で言葉の意味を層にしないと、元の詩の内容を訳しきれないなあ、と今回の翻訳作業を通じて思いました。


 二首目(直訳)

 かわいい君、当ててごらん
 暖かい春に息吹き、
 桜が咲いた
 私が枝を揺らすと
 あわれに色が私たちの周りに散った

 この作品は男性(バフダノヴィチ)が女性になぞなぞを出している詩なのだ、とベラルーシ人は言っているのですが、全然答えが分からない・・・。(^^;)
 今回訳した中ではこれが一番翻訳がうまくいかなかった(作者の意図を訳に反映できなかった)作品です。
 何とか短歌にしたのはこちらです。

 君知るや ゆく春息吹き 桜花 我が枝ゆらせば あはれ色散る


 三首目(直訳)

 驚くほど繊細で
 紅色で黄色くて
 青味がかった
 秋の葉が
 絹のように道を覆っている

 とても美しい秋の短歌ですね。しかしこれも文字数を合わすのが大変で言葉の順番を入れ替えたり、大変でした。

 秋の葉の 黄さす紅さす おぼろ青 道おおいしは 絹衣かな

 この「紅」は「あか」と読んでください。(でないと字余りになってしまう。)(^^;)
 「絹衣」も「きぬごろも」と読んでください。
 「おおい」で「覆い」と「多い」をかけてみました。
 ベラルーシ語は英語と同じで単数形と複数形があるのですが、日本語はない(1枚でも「葉」たくさんあっても「葉」)ので、このように掛詞で訳してみました。

 
 四首目(直訳)

 全ては消えてゆく
 跡さえ残さずに
 まるで灰色の灰のように
 黒いたき火から
 風が現れるように

 結核のため25歳でこの世を去ったバフダノヴィチの人生観が表れている詩ですね。黒いたき火という言葉から詩人としての情念を感じる作品だと思いました。
 
 跡もなく 諸行消えゆく 灰のごと 黒き炎も 風となるかな

 
 これらの「日本風の詩」はいつ書かれたものかはっきりしていません。詩集の中の作品として収録され、出版されたのはバフダノヴィチの死後です。
 しかし研究により、遅くとも1915年までには書かれていたことが分かっています。
 
 翻訳(文字数合わせ)は大変でしたが、何とかできました。日本人の目からするとよい訳(日本語の短歌として)ではないかもしれませんが、大目に見てください。(^^;)

 これを機にちょうど100年前に生きていたベラルーシ人の詩人に思いを馳せていただけたら、と思います。

(それにしてもどうしてバフダノヴィチは日本に関心を寄せていたのでしょう? タイムマシーンがあったら、ご本人に会いに行って直接きいてみたい!)
 

「子守歌」収録曲「お休み、私の小さな花」

2011年11月16日 | ベラルーシ音楽全般
 ユニセフが創立60周年を記念して、ベラルーシで発表したアルバム「子守歌」
(詳しくはこちら)

http://blog.goo.ne.jp/mitsubachimasa/e/2382f78eab0d3851503dadbe252e726a


 このCDの収録曲のうちの1曲「お休み、私の小さな花」は2011年に世界文化社が出版した日本語訳の「自分と子どもを放射能から守るには」(ウラジーミル・バベンコ (著), ベラルーシ・ベルラド放射能安全研究所 (著), 今中 哲二 (監修), 辰巳 雅子 (翻訳) )の宣伝用メッセージビデオ動画の音楽として採用された。
 この動画はアマゾンのサイトで見られます。
(それにしてもトーダルの声がマーサの顔とかぶさっているというのが・・・奇跡のコラボだわ。)(^^;)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4418113185/sekaibunkacom-22


 この楽曲にはプロモーションビデオも製作されている。こちらでぜひご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=puInaA1v_SY


 ちなみにこの中で登場する山猫の役はトーダルが演じている。
 
http://blog.goo.ne.jp/mitsubachimasa/e/a30be2fc33653ace8e2b96bb780ecb09


 ベラルーシ語版「さくらさくら」を歌っているクセニヤ・ミンチャンカはヴォーカルとして登場。

 ただ歌詞の内容(子守歌)とプロモーションビデオ(ヨウ素欠乏症撲滅キャンペーン)の内容が合っていないので、ベラルーシ語が分からない人にはあまり意味が通じない。
 なのでここで解説。
 まず歌詞の意味ですが、翻訳してみました。歌詞の内容は全くヨウ素とは関係ありません。
訳したとき何だか変な感じがしたのだけれど、途中「 」をつけたらうまく通じました。
 そうか、ゆりかごを揺らす風が赤ちゃんに向かって話している(歌っている)歌なのね。

「お休み、私の小さな花
かわいい小さい子。」
なしの木の枝に下げられたゆりかごを
風がゆらしながらささやいているよ。

「お母さんは畑で穂をたばねている。
お父さんはうねをたがやしている。
お父さんは一日中働いているから
ゆりかごのそばへ来られない。

お母さんは畑で刈り入れをしているから
おまえを抱いて畑へ行けない。
お休み、私の小さな花
かわいい小さい子。

甘い夢をごらん。
ふしぎな夢をごらん。」
あどけなくほほえんだなら
楽しい夢だったということでしょう


 曲は古いベラルーシの音楽に、このアルバムに合わせて民謡風で子守歌風の歌詞をつけたものです。
 作詞はアレーシ・カモツキーさん。CD「月と日」収録曲の歌詞をロシア語からベラルーシ語に翻訳した詩人です。
 CD「月と日」について詳しくはこちら。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/index.html


 プロモーションビデオのほうの解説は・・・一言で言うと「ヨウ素をとりましょう。」です。
 ベラルーシはもとも風土病でヨウ素欠乏症が多く、チェルノブイリ原発事故後、この風土病のために甲状腺癌が急増したのです。
 今でも子どもの80%がヨウ素不足だと言われており、国をあげての「ヨウ素をとりましょう」キャンペーンを行っている国なのです。

 そのためベラルーシのユニセフはいくつも「ヨウ素をとりましょう」コマーシャルを製作し、テレビで繰り返し放映しています。
 その一環で、このプロモーションビデオが製作された、といういきさつがあります。
 手っ取り早く国民にヨウ素を摂取させるために、率先して行っている対策は、食塩に初めからヨウ素を混ぜておく、というものです。
 食塩は料理のときに使うので、知らず知らずのうちにヨウ素を摂取していることになる・・・というわけです。

 それでは順番にプロモーションビデオの解説をしましょう。
 まず 曲の最初で女性が何かしゃべっていますが、これは
「お休み、私の小さな花。かわいい小さい子。なしの木の枝に下げられたゆりかごを風がゆらしながらささやいているよ。」
と話しています。
 そして天使の登場。この天使は、未来の母親、そして今授乳中の母親のために体にいいものを探す旅に出ます。
 飛んでいった先々でいろんな人(?)に出会います。

 ここで女性ボーカルが3人出てきますが、それぞれ歌詞の1番、2番、3番・・・というふうにメインボーカルを分担しています。
 この3人は「風の精」です。つまり歌詞に出てくるゆりかごを揺らしている風の役をしています。これが歌になっています。
 登場する順にご紹介すると、ラルィサ・グルィバリョワ、タマラ・リシツカヤ、クセニヤ・ミンチャンカです。
 クセニヤちゃんはベラルーシ語版「さくらさくら」を歌っている方なので、日本人にはなじみがありますが、ラルィサ・グルィバリョワとタマラ・リシツカヤについてご紹介します。
 ラルィサ・グルィバリョワはベラルーシの音楽シーンを代表する実力派歌手。普段はロシア語で歌っています。音楽番組の司会者もしています。歌声はベラルーシの歌手によくある、「口の中に飴玉入れているだろう!」系ですね。
 デビュー当時はアイドル歌手扱いだったけど、今は継続して人気のあるベラルーシの歌手です。顔はちょっとエラ張ってるけど、カワイイよね!

 タマラ・リシツカヤも普段はロシア語で歌っている歌手。歌手以外にもタレント、司会、さらには執筆活動もしているというベラルーシでは珍しいマルチタレントです。
 もっとも「歌手でデビューしたけど、やっている中で歌が一番下手だ。」とも言われております。(^^;)
 確かにラルィサ・グルィバリョワとクセニヤちゃんの間に挟まっているとややハスキーな声が、少々下手に聞こえてしまいますけどねえ。
 私は個人的にはタマラ・リシツカヤ、好きです。
 すごいのは3人の子どもがいるママさんタレントであること。(あ、4人目も生まれたんだっけ?)
 とにかくこのまま強気でベラルーシ芸能界で活躍していただきたい。
 
 それからバックボーカルで低い声がサビの部分にかぶさっていますが、これはトーダルの声です。
 
 さて話は戻り・・・天使はどこへ行ったのでしょう?
 天使はまず塩をもらうために小人に会います。日本では小人、というと「白雪姫と7人の小人」のように森の中で暮らしているイメージがありますが、ベラルーシでは土の中に住んでいる、というイメージなのです。 
 さらにベラルーシには海がないので、塩と言えば、岩塩なのです。
 そこで地中に住んでいる小人に頼んで、岩塩を採ってもらいました。しかしこの塩にはまだヨウ素が含まれていません。
 
 次に天使が会ったのは美しくも冷たい魔法使い(女)
 その周りをターバンを巻いた男(王子様)がぐるぐる回っていますが、何と魔法使いに片思いしているのだそう。(CDについている解説による。)
 魔法使いは古い書物に書かれていた秘密、「塩にヨウ素を入れること」を天使に教えます。
 
 そこで天使は海に行き、人魚からヨウ素をもらうことにしました。このときヨウ素が入っている容器の表面に光る文字
「IOD」
が現れますが、これがベラルーシ語でいうところのヨウ素です。
 CDについている解説によるとわざわざ「海に住んでいる人魚」となっています。
 そう、海がないベラルーシでは人魚は川は湖に住んでいるものなのです。
 しかも、日本人がイメージする下半身が魚、とは限らず、ベラルーシの人魚は足があります。人魚と言うより水の妖精のようなイメージです。
 このプロモーションビデオに出てくるのも足のある人魚ですね。でもそれだとこの設定の場合、よく分からないので、髪の毛が魚の形になっています。

 さて次にベラルーシの森に住む山猫が塩にヨウ素をいれました。(というかギクシャクとした動きでかき混ぜているような・・・)
 この山猫の役をトーダルが担当しています。
 さらにうさぎが塩とヨウ素を混ぜました。
 解説によると
「この塩をぱっと見ただけでは普通の塩と変わりません。(食塩を買う前に)ヨウ素入りの塩かどうか知っておこう。」
だそうです。

 そして天使はヨウ素入りの塩を配りに行きました・・・終わり。
 ・・・って登場するこの三つ編みの女の子は誰なんだ?
 解説がありません・・・。
「このプロモーションビデオを見た人が自分自身で考えよう。」
ということなのか?
 でもうちの子にこのプロモーションビデオを見せたら
「これは未来のお母さんだ。」
と解説してくれました。
 そうか。確かにそうかもしれない。というかそういう気がしてきた。
 (でも人魚と初登場しているのはなぜ?)
 
 さて、プロモーションビデオの最後に文字が写っている画面が出てきますが、この文章を翻訳するとこうなります。
「ヨウ素入りの食塩は全ての人に大切なものです。
赤ちゃんに母乳をあげているお母さんにとっても大事なものです。
ユニセフ・グループより」

 ユニセフ・グループというのはこのアルバムを作るために結成された音楽グループのことです。このグループがこの曲を演奏したり歌ったりしています。
 このグループはこのアルバムを作るためだけに結成されたので、今はアーティストの皆さんそれぞれ自分の音楽活動をしております。

 ・・・というわけです。
 皆様、分かっていただけたでしょうか?
 でもやっぱり謎のプロモーションビデオですね。とてもきれいだけど・・・。 


トーダルの伝記本 

2011年01月18日 | トーダル
 これは音楽と言うより本の話です。が、読んでください!
 2010年年末にベラルーシの音楽家トーダルの伝記本が出版されました。
 伝記と言ってもご本人はちゃんと生きております。(^^;)
 半生記を綴った本、と言ったほうがいいですね。

 ご本人は内容について直接執筆しておらず、3人のジャーナリスト、音楽評論家が共同執筆者になっています。
 内容は主にトーダルの生い立ちや、インタビュー記事、今までいっしょに音楽活動をしてきた関係者の人たちの紹介、ヒット曲の歌詞などから構成されています。
 そして当然のことながら、CD「月と日」誕生のいきさつ、2008年の日本公演のことなど、かなり詳しく多くの紙面を使って紹介されています! 写真もたくさん掲載されています。 
 本の最後には代表曲の歌詞が紹介されているのですが、その中に「月と日」収録曲である「村祭り」「われは海の子」「故郷」の歌詞も載っています。
 さらにトーダル君の音楽活動には関係のないチロ基金の活動についてまで、親筆者の1人でジャーナリストのエラ・ジビンスカヤさんのご厚意により、この本で紹介されているのです。どうもありがとうございました!

 本を読んでみると、ベラルーシ語版「さくら」を歌っているクセニヤちゃんのインタビューがあり、
「今まで歌ってきたたくさんの歌の中で一番好きなのは『さくら』です。」
と答えています。おお! うれしいです!
 
 画像は本の表紙です。タイトルを日本語に訳すと「ベラルーシの言葉は歌うことから」。(それにしても最近のトーダル君、ひげもやもやになりましたね。)
 タイトルの由来はベラルーシを代表する詩人、ルィゴール・バラドゥーリン「ベラルーシの言葉」という詩の最初の1行目から引用されています。 
 ルィゴール・バラドゥーリンの詩にトーダルは作曲したことがあり、それがCD「愛の汽車」となって発表されています。
 
 そして今年に入ってから、出版記念式典が行われ、行ってきました。スポンサーの1人として呼ばれたのですが、何だか気分がよいのう。(^^;)
 式典ではトーダル君が歌を歌ったり、ゲストとして呼ばれたベラルーシ民謡グループ「GUDA」の歌が間近で聞くことができて、よかったです。
 私は挨拶などあまり上手ではないので、本のタイトルの由来になった「ベラルーシの言葉」を日本語に翻訳して、朗読しました。後から翻訳した文章をちょうだい、と出版社の人に言われたので、きれいに清書してからあげました。(汗)

 しかしまあ、人生40年になる前に本が出版されて、すごいですね、トーダル君! あと40年がんばってくれ。
 こうなったら、人間国宝にでもなるしかないですね。(笑)
 付け足しみたいですが、ベラルーシでは芸能人関係の出版物(写真集を含む)が発行されるのは、非常に珍しいことなのです。
 

ユーロビジョン・ソング・コンテスト2009はノルウェー(ベラルーシ人)が優勝!!!

2009年05月17日 | その他
 今年ロシアで開催されたユーロヴィジョン・ソング・コンテスト。
 先ほどノルウェー代表のアレクサンドル・ルィバークが優勝しました!
 アレクサンドル・ルィバークはベラルーシ人なのです!!! バンザーイ!!!(感涙)
 
 アレクサンドル・ルィバークは1986年ミンスク生まれ。父はバイオリニスト、母はピアニスト。
 アレクサンドルが9歳のときに一家はノルウェーに移住しました。両親もプロの音楽家として活躍中。
 5歳から音楽を学び、5種類の楽器が演奏できるそうですが、現在はバイオリンとピアノを専門にしているそうです。
 2006年、自ら作詞作曲した曲でノルウェーのタレント発掘番組に出場し優勝しプロデビュー。
 ノルウェー国内での大会で優勝してユーロビジョン・ソング・コンテストの代表に選ばれました。 

ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト公式サイトはこちら。(英語)

http://www.eurovision.tv/page/home

 このバイオリンを持っている方がアレクサンドル・ルィバークです。

 こちらのページで歌も聴けます。

http://www.eurovision.tv/event/artistdetail?song=24699&event=1481


 何でもおばあちゃんがベラルーシに住んでいるそうで、凱旋コンサートをしてくれないものかしら・・・。
いやあ、それにしてもえらい! 本人のそうですが親もえらい。ロシア語もぺらぺらでしたね。黒人演歌歌手ジェロもそうですが、移民親がえらいと思います。
 「1986年ミンスク生まれ9歳のときにノルウェーに移住。」ときいても、は「ふーん。」としか思わない日本人が多いと思います。
 でもベラルーシ人からすれば、同じ年に発生したチェルノブイリ原発事故の放射能におびえながらの出産と子育て。しかも当時のソ連経済の大混乱、そしてソ連崩壊の時期での外国移住ですから、日本人は想像できない生活不安と精神状態の中で、異国へ行っているわけです。最初の頃両親はとても苦労したと思いますよ。

 ところで本来のベラルーシ代表のピョートル・エルフィーモフは予選落ちで、早々にいなくなってしまいましたが、どちらかと言うとベラルーシ人は最初からノルウェーを応援していましたね。(^^;)

 そして採点も毎年お約束のベラルーシからロシアへ12点! が今年初めてロシア以外の国(ノルウェー)に12点!でした。当然!
 (しかしベラルーシからロシアへは今年は8点しかいかなかったのが、意外。)
 
 3年前に6位に入ったのが現在最高の記録(代表はドミトリー・コルドゥン)で、あとはいっつも予選落ちのベラルーシ。(しかも点数ががっくりするほど低い・・・)
 ノルウェー代表ですが、ベラルーシ人が初めての快挙、しかも圧倒的勝利だったので、すごくうれしかったです! 涙出ました。
 ベラルーシ人も捨てたものではない。(と言うか、国内選抜のやり方に問題があります。だから私はこの2年は国内大会は見ないし、投票もしないことにしている。)
 これからは真のベラルーシ代表にもがんばっていただきたい、と思いました。ジュニアのほうなら、ベラルーシは優勝したことがありますけどね・・・。 

「トエ・シト・トレーバ」(2008年)

2009年04月06日 | トーダル
 2008年にトーダルが発表したアルバム。同じ年、日本公演のときに高松のヤマハで購入した赤いギターがジャケットに使われています。
 これを見ると「ああ、2008年だなあ・・・。」と思います。

 しかしトーダルもイメチェンしましたよね。夏に会ったときは熊みたいになっていたのが、ライオンになってしまってますからね。どうしちゃったの?
 この問いには「おもしろい人生」の映画監督さんにトーダル自身が話しており
「髪型と髭を変えたのは日本に行ったから。」
だそうです。
 日本と何か関係があるのかよく分からないイメチェンですね。いっしょに日本に行った捨平は
「俺のスタイルを真似している。」
と指摘していましたが・・・。

(詳細は後ほど更新します。しばらくお待ちください。)

映画「ベラルーシ・ロックよ永遠に」に出演しました

2009年03月29日 | ベラルーシ音楽全般
 私、ドキュメント映画「ベラルーシ・ロックよ永遠に」に出演しております。
(2008年、Global Group Company製作。シャルヘイ・イサカウ監督。ベラルーシ作品)
 なんで日本人の私が、このような映画に出演することになったのか、作品が完成した今でも分かりません。(^^;)
一応、作品中で歌を歌っていますが、日本語で「浜辺の歌」ですよ。ベラルーシのロックじゃないんだけど・・・。と言うか、私プロの歌手ではないのですが・・・。

 どうしてこんなことになったのかと言うと・・・
 私はCD「月と日」や「芭蕉の詩」といった音楽プロジェクトに関わってきたわけなのですが、そのきっかけとなったのがプロデューサーのユーリー氏なのです。
 ユーリー氏はいろいろな音楽関係の仕事をしている人なのですが、一番有名なのはベラルーシのロックフェスティバル、「ロック・カラナツィヤ」 のプロデューサーをしていること。
 「ロック・カラナツィヤ」についてはHP「ベラルーシの部屋」2006年過去ログ3月「ベラルーシ音楽コラム ロックフェスティバル2005」をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/index.html


 で、その関係でトーダルやアンナ・コロロキトナさんと出会えたわけです。
 ユーリー氏と出会えてなかったら、「月と日」も「芭蕉の詩」もこの世に生まれていなかったと思います。
 そのユーリー氏がプロデューサーとなって、ドキュメント映画「ベラルーシ・ロックよ永遠に」を製作することになったのですが、その話を聞いたのは2007年のこと。
 最初ユーリー氏から私に「出演してほしい。」という話が来たときは
「なんで私が?」
と思いました。
 でも「インタビューだけで、ベラルーシ音楽への熱い思いを語ってくれればそれでいいから。」などと言われ、承諾したわけです。

 そして撮影当日。ユーリー氏はいろいろな質問をきいてきたわけです。
 結局、日本人なのに、ベラルーシの音楽に強い興味を抱いている人がいる。ということはベラルーシ・ロックはベラルーシ人だけのものではなく、世界に開かれているものであり、大きな可能性を秘めているのだよ、という切り口にしたいわけです。
 その辺は分かっていたのですが、いきなり
「日本語で日本の歌を歌って!」
と言われたときは、「え・・・;」と思いました。それならそうと、前日に言っておいてよ・・・練習しとくのに・・・

 (詳細はまた後ほど更新します。)