1958年からロシア語圏で語り継がれる「サダコの千羽鶴の物語」は今もどこかで新しい作品が作られているはずです。
その形は、詩、文学、歌、映画などの形を取っています。今では動画配信です。
プロの詩人やミュージシャンだけではなく、子どもでもアマチュアでも、自由に詩を作ったり、歌を歌ったり、動画にしてシェアしています。
学校の平和教育でも教材になっています。
インスピレーションを与える「サダコと千羽鶴の物語」はこれからもロシア語圏で日本文化の一つとして創作され続け、それに触れる世代が続くでしょう。
何かを信じて折り鶴を作り続けていた佐々木禎子さんのひたむきな姿は、視覚的にインパクトがあります。黒髪、着物姿、折り鶴を手にした様子は、異国情緒も相まって、外国人の意識の中でアイコン化されやすいです。
ロシア語圏のばあいは、鶴が魂のシンボルであったことから折り鶴というアイコンも鎮魂のシンボルとして受け入れられやすく、サダコのイメージをさらに強め、人々に受け入れやすかったと思われます。
そしてロシアでも鳩ではなく鶴が平和のシンボル、日本のシンボルとして定着しつつあります。これが外国の文化の広がりと言えます。
広島平和記念資料館のサイトでアンケート調査の結果を見ることができます。
あなたは「サダコと千羽鶴」の物語を知っていますか?という質問に対し、日本人は61%が知っていると答え、外国人は93%が知っていると回答しているのです。
ただし、広島に千羽鶴を寄贈した外国人に質問しているので、当然知っている人が多いだろうという予想はされていたでしょう。
どこか外国へ行って、そのへんを歩いている人100人をつかまえて、「サダコと千羽鶴の物語を知っていますか?」ときいたら、93人が「はい」と答えるとは思えません。
しかし、日本人の「サダコの千羽鶴の物語」が外国でも広がっていることは明らかです。
例えば「アンネの日記」を多くの日本人が知っているのと同じことです。アンネ・フランクは日本の中学校の教科書にも載っています。
ロシア語圏だけでもこんなに長くそして多く語り継がれています。
(上記の広島平和記念資料館のサイト、企画展5の項目66「サダコと折り鶴が広まっている国・地域」に旧ソ連の国はウクライナ、カザフスタン、ロシアは入っていますが、ベラルーシは入っていませんね・・・。ロシアと同一視されているのかなあと思ったのですが広まった国は黄色に塗られれた世界地図の画像も掲載されているので、ヨーロッパの部分を拡大して見たけれど、ベラルーシとバルト三国は塗られていませんね。
旧ソ連の国で(あくまで推定ですが)最初に「佐々木禎子の鶴」という題名にフルネームを入れた詩を書いたのはベラルーシ語だったので、この地図を見ると悲しくなります。
ちなみにこの広島平和記念資料館の企画展「サダコと折り鶴」は2001年に行われました。だからその時点での状況をデータにしたのかもしれないですが、「佐々木禎子の鶴」が書かれたのは1958年で、他にも「ソ連で『サダコと千羽鶴の物語』が広がっていました。」という内容の展示物がこの企画展で展示されているのだから、項目66「サダコと折り鶴が広まっている国・地域」の世界地図は旧ソ連の国は全部黄色に塗っておかないと変です。説明文と地図の表示が合っていないですよ。
ソ連が崩壊して、ベラルーシやバルト三国が独立した途端、「サダコと折り鶴が広まっている国・地域」から外されるのは間違いだと思います。
リトアニアなんて杉原千畝のおかげで親日国だし、ソ連崩壊まではロシア語圏の国だったから、歌や文学で「サダコの千羽鶴の物語」が広がっていたと思うのですが・・・。リトアニアで自国内における「サダコの千羽鶴の物語」の広がりを研究している人が発表してくれたら、日本人にも知ってもらえると思いますが、リトアニア語だと私は分からないので調べられませんし、旧ソ連の国とは言え、そこまで徹底的にリトアニア事情を調べる気はないです。)
ロシア語圏、主に旧ソ連で「サダコの千羽鶴の物語」は広がり、進化し、語り続けられていることを日本人は知りません。
そんなの知らなくても生きていけると言う日本人も多いし、外国でどう思われているか私に関係ない、と言う人も多いでしょう。
しかし、せっかくですので私が調べて分かったことだけですが、このブログに日本語で載せておきます。
ネット上で読めるようにしておけば、いつか1人ぐらいは、関心のある日本人が読んでくれるかなと思いますし、私は学術調査のエキスパートでもなく、著作権の関係で文学作品を和訳したわけでもないのですが、このブログが資料・情報として誰かのお役に立てるかもしれません。
これでロシア語圏における「サダコの千羽鶴の物語」の広がりについてのご紹介については一応終わります。
でもまた新しい「サダコの千羽鶴の物語」を見つけたら、このブログでご紹介します。
読んでくださった方、ありがとうございました。
その形は、詩、文学、歌、映画などの形を取っています。今では動画配信です。
プロの詩人やミュージシャンだけではなく、子どもでもアマチュアでも、自由に詩を作ったり、歌を歌ったり、動画にしてシェアしています。
学校の平和教育でも教材になっています。
インスピレーションを与える「サダコと千羽鶴の物語」はこれからもロシア語圏で日本文化の一つとして創作され続け、それに触れる世代が続くでしょう。
何かを信じて折り鶴を作り続けていた佐々木禎子さんのひたむきな姿は、視覚的にインパクトがあります。黒髪、着物姿、折り鶴を手にした様子は、異国情緒も相まって、外国人の意識の中でアイコン化されやすいです。
ロシア語圏のばあいは、鶴が魂のシンボルであったことから折り鶴というアイコンも鎮魂のシンボルとして受け入れられやすく、サダコのイメージをさらに強め、人々に受け入れやすかったと思われます。
そしてロシアでも鳩ではなく鶴が平和のシンボル、日本のシンボルとして定着しつつあります。これが外国の文化の広がりと言えます。
広島平和記念資料館のサイトでアンケート調査の結果を見ることができます。
あなたは「サダコと千羽鶴」の物語を知っていますか?という質問に対し、日本人は61%が知っていると答え、外国人は93%が知っていると回答しているのです。
ただし、広島に千羽鶴を寄贈した外国人に質問しているので、当然知っている人が多いだろうという予想はされていたでしょう。
どこか外国へ行って、そのへんを歩いている人100人をつかまえて、「サダコと千羽鶴の物語を知っていますか?」ときいたら、93人が「はい」と答えるとは思えません。
しかし、日本人の「サダコの千羽鶴の物語」が外国でも広がっていることは明らかです。
例えば「アンネの日記」を多くの日本人が知っているのと同じことです。アンネ・フランクは日本の中学校の教科書にも載っています。
ロシア語圏だけでもこんなに長くそして多く語り継がれています。
(上記の広島平和記念資料館のサイト、企画展5の項目66「サダコと折り鶴が広まっている国・地域」に旧ソ連の国はウクライナ、カザフスタン、ロシアは入っていますが、ベラルーシは入っていませんね・・・。ロシアと同一視されているのかなあと思ったのですが広まった国は黄色に塗られれた世界地図の画像も掲載されているので、ヨーロッパの部分を拡大して見たけれど、ベラルーシとバルト三国は塗られていませんね。
旧ソ連の国で(あくまで推定ですが)最初に「佐々木禎子の鶴」という題名にフルネームを入れた詩を書いたのはベラルーシ語だったので、この地図を見ると悲しくなります。
ちなみにこの広島平和記念資料館の企画展「サダコと折り鶴」は2001年に行われました。だからその時点での状況をデータにしたのかもしれないですが、「佐々木禎子の鶴」が書かれたのは1958年で、他にも「ソ連で『サダコと千羽鶴の物語』が広がっていました。」という内容の展示物がこの企画展で展示されているのだから、項目66「サダコと折り鶴が広まっている国・地域」の世界地図は旧ソ連の国は全部黄色に塗っておかないと変です。説明文と地図の表示が合っていないですよ。
ソ連が崩壊して、ベラルーシやバルト三国が独立した途端、「サダコと折り鶴が広まっている国・地域」から外されるのは間違いだと思います。
リトアニアなんて杉原千畝のおかげで親日国だし、ソ連崩壊まではロシア語圏の国だったから、歌や文学で「サダコの千羽鶴の物語」が広がっていたと思うのですが・・・。リトアニアで自国内における「サダコの千羽鶴の物語」の広がりを研究している人が発表してくれたら、日本人にも知ってもらえると思いますが、リトアニア語だと私は分からないので調べられませんし、旧ソ連の国とは言え、そこまで徹底的にリトアニア事情を調べる気はないです。)
ロシア語圏、主に旧ソ連で「サダコの千羽鶴の物語」は広がり、進化し、語り続けられていることを日本人は知りません。
そんなの知らなくても生きていけると言う日本人も多いし、外国でどう思われているか私に関係ない、と言う人も多いでしょう。
しかし、せっかくですので私が調べて分かったことだけですが、このブログに日本語で載せておきます。
ネット上で読めるようにしておけば、いつか1人ぐらいは、関心のある日本人が読んでくれるかなと思いますし、私は学術調査のエキスパートでもなく、著作権の関係で文学作品を和訳したわけでもないのですが、このブログが資料・情報として誰かのお役に立てるかもしれません。
これでロシア語圏における「サダコの千羽鶴の物語」の広がりについてのご紹介については一応終わります。
でもまた新しい「サダコの千羽鶴の物語」を見つけたら、このブログでご紹介します。
読んでくださった方、ありがとうございました。