みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ

ベラルーシ音楽について紹介します!

「薔薇と踊るタンゴ」(2006年)

2008年02月14日 | トーダル
・・・赤く香る薔薇は棘の記憶。
  踊るタンゴは夢幻の熱・・・

 「月と日」発表後、半年経った2006年春にトーダル&WZ-オルキエストラが発表したアルバム。
 略して「ばらタン」!

 しかし、こんなふうに呼んでいるのは私だけなので、
「トーダルのさあ、ソロ活動始めてから、初めて自分の写真、表ジャケに印刷した、あのCD・・・」
「ああ、ばらタンね。」
「そうそう。でもって、ジャケットのばら持ってる写真。あれ、よーく見たら、上半身裸で、脱いだ赤シャツ肩にかけてるだけなんだよ。」
「ええ、ほんと? 知らなかったあ。道理で変な服だな、と思ってたんだよね。」
「それにしても、どうして自分の写真を表ジャケにめったに使わないんだろう。自分の顔に自信がないのか、トーダル。」
「この間、本人にそれをきいたら『さあ、どうしてだろうねえ。』とはぐらかされたよ。」
「はぐらかすの、うまいよあの人。『質問され慣れ』してるね、あれは。」
「ばらタンの中身の音楽はいいよねえ。」
「うん、相変わらず。トーダルって感じ。」
「本人は今回は『大人のセクシー路線』を狙ってみた、と言っていたよ。」
「うーん、そうかなあ。それほどセクシーじゃないよね。『飛行機』とか『オオカミ』とか、ユーモア系のような気もするけど。」
「『オオカミ』はユーモア系じゃなくて、変系(変形?)だよ。ま、彼もいろいろやってみたいんだろうね。」
「そうだろうね。私が好きなのは『一人』。」
「『さらば、ヤブロンスカヤよ、さらば』もいいよね。情熱的。」
「セクシーっていうより、情熱路線だよね。」
「アルバムタイトルも、タンゴっていうぐらいだから、情熱的だよね。」
「でも、実際にはタンゴの曲、ほとんど収録されてない。(笑)」
「ベラルーシ国内では『9番目の哀歌』がヒットしたけどね。」
「あれは反戦歌だから、ベラルーシ人の心に響くんでしょう。発表したのは2005年でちょうど終戦60周年に当たっていたから。」
「トーダル、それを狙ってた感があるよね。」
「うん、この曲はアルバム収録前に『2005年度ベラルーシ語音楽最優秀曲」1位になったからね。」

・・・というような会話を私は一人二役でしているのだった。(少しむなしい。)
 しかし、このブログで「ばらタン」のことを紹介したので、きっと略して「ばらタン!」と言ってくれる人が増えるはず。(少し期待。)
 バラ切りした牛タンの略ではないので、注意。

 せっかくなので、むなしいが会話形式でこのまま、「ばらタン」の紹介を続ける。・・・

「曲もそうだけど、歌詞が情熱的なんだよね。」
「言えてる。詩人のニャクリャーエウさんがまたすごい。」
「トーダルのコンサートによく来てるけど、ステージに上がって、自分の詩を朗読するんだよね。」
「トーダルより目立ってるかも。」
「詩人だけど、俳優みたいなんだよね。」
「確かに。ニャクリャーエウさんの情熱的な性格が作品に出てるよ。」
「訴える言葉の中に力強さがある。『8.黄金の喪失』なんか、どちらかと言うと癒し系の作品なのに、詩人の強さを感じる。」
「それでもって、トーダルが曲の最後にあかんべーをしている。(笑)」
「癒し系の歌がお笑い系で終わっているよね。」
「最近、トーダルとかクセニヤちゃんとか、効果音のように、よく作品の中で笑っているね。」
「ま、トーダルはいろいろやってみたいんだよ。(笑)」
「ニャクリャーエウさんは大真面目なのにね。ところで、この歌詞の世界は意外に夢か幻か・・・という部分が多いよ。」
「そう、『5.ワジェンキ公園』は具体的な地名が出てくるのに、詩の内容は白昼夢みたい。」
「そういうと、作品のほとんどが多かれ少なかれ、白昼夢的世界を描いているね。幻想、この世のものならぬ、と言った感じかな。」
「ヒット曲『道』も、こんなに力強いのに、見方によっては、白昼夢。」
「道と会話してるもんな。でも、こういう曲、ベラルーシ人は好きだよ。『9番目の哀歌』も反戦歌なのに、イリュージョンっぽいところがある。」
「わざとぼかすのがかえっていいのかも。『一人』も不思議な歌だよね。」
「『君は一人。一人よりも多い一人』という歌詞とかね。」
「一人より多い一人って、ニャクリャーエウさん、小学校で算数の成績・・・(笑)これは冗談としても、少々謎めいている世界です。」
「だから、日本語としてはちょっとおかしくても、わざと直訳になる部分を残して翻訳してみたよ。」
「ふつう、翻訳するときは、彫刻で言うところの荒削りのような訳をしてから、細かいところを仕上げるように翻訳していくけど・・・。」
「そう。でも今回はニャクリャーエウさんの作品が持つ、言葉の力強さと幻の世界を表現するために、わざと日本語では少しおかしく聞こえる直訳的表現を、作品のあちこちに残しておきました。日本語の詩として読むと、『きれい』じゃないかもしれないけど、ばらタンの持つ、浮世離れした世界感を表現したかったので。」
「荒削りの部分が、日本人の心にひっかかるようにね!」
「そう。トーダルの曲作りも、情熱と幻感覚が、よく出ていると思うよ。」
「歌い方もね。」

・・・・・

「薔薇と踊るタンゴ」 作詞 ウラジーメル・ニャクリャーエウ

1.夕闇
2.道
3.僕を行かせないで
4.飛行機
5.ワジェンキ公園
6.さらば、ヤブロンスカヤよ、さらば
7.飲み会
8.黄金の喪失
9.僕たちの夢の中に
10.9番目の哀歌
11.オオカミ
12.一人

・・・・・ 

 注釈を加えると・・・
「5.ワジェンキ公園」はポーランド、ワルシャワにある公園のこと。
 このアルバムはベラルーシ語の作品だけれど、このように「ポロネーズ」「ショパン」といったポーランドを表現している言葉がちりばめられている。
 これ(異国情緒)も、ばらタンの幻感覚を醸し出している理由の一つかも。
 ワジェンキ公園についてはこちら。マーサは2回行ったことがあるけど、ほんと、広かったです。

http://sachiko.vip.interia.pl/polska/lazienki.html


「6.さらば、ヤブロンスカヤよ、さらば」に登場するヤブロンスカヤとは、ポーランド人の女優だそうで、詩人ニャクリャーエフと何かロマンスがあったのか? と思ってトーダルにきいたけれど
「知らない。」
という返事。知らないけど、「さらば、ヤブロンスカヤよ、さらば!」っていつも熱唱してるのか・・・

「11.オオカミ」の歌詞は、歌詞カードを見ると、「УУУУУ」つまり「ウー ウー ウー ウー ウー」としか書いてないので、日本語訳もそのようにしてあります。
 しかし実際にこの曲を聞いてみると、「ウー ウー ・・・」という歌詞は歌っていません。でもオリジナルの歌詞カードの記載のほうをそのまま訳しました。(訳すというほどのことでもないけど。)
 もちろんこの曲に関しては作詞はニャクリャーエフではなく、トーダルである。(作詞にもなってないけど。)
 この「オオカミ」という曲はアルバム「オモチャヤサン」に収録されている「腹ぺこオオカミの歌」とは別の作品です。
 腹ぺこオオカミが5年後、こんなふうに進化(退化?)しちゃってますね。

それからアルバムタイトルそのものはニャクリャーエフさんではなく、トーダルが考えてつけたそうです。


(CD「薔薇と踊るタンゴ」はVesna!店舗にて、発売中。全曲日本語対訳付き!)

・・・・・・
  
(「12.一人」より)

   高いところには鳥
   深いところには魚
   地平線の蜃気楼の中に旅人
   君は一人。
   日々を捨ててしまわないように
   法則を知っておくように
   君は一人
   君は一人。一人よりも多い一人・・・


 

トーダル来日公演決定!

2008年02月12日 | トーダル
トーダルの初来日
 そしてコンサートへの出演が決定しました。
 
 京都にあるヨーロッパ輸入雑貨ショップVesna! が開店5周年を迎えるのを記念して、コンサートを2月23日と3月1日に開催します。
 この音楽イベントにトーダルが出演します。ついに日本に来ることになったトーダルに会いに、そしてバリトンの美声を聴きに京都へぜひお越しください。
 トーダルは日本の歌「月と日」収録曲を歌います。予定は「村祭」「浜辺の歌」「十五夜お月さん」「故郷」「朧月夜」。このうち3曲はオルケステル・ドレイデルさんと夢の共演。日本公演バージョンを演奏します。「月と日・日本コンサート・オリジナルバージョン」お楽しみに!
 そのほか日本の歌ではない自分の持ち歌も披露します!
 
 トーダル以外にも日本人の豪華出演者が登場します。盛りだくさんの内容で、「え、東欧とロシアの音楽???」
と言う方にも楽しめるコンサートだと思います。
 マーサ自身もとても楽しみにしています。そしてトーダルに感想が聞きたいですね。(特にマトリョミンの感想が聞きたい・・・。)

・・・・・・・ 

Vesna! 開店5周年記念イベント

『Part.1』 東欧とロシア音楽演奏会

*日時  2008年 2月23日(土) 午後5時30分 開演(5時開場)
*場所  京都府京都文化博物館 別館ホール(京都市中京区三条高倉)
*入場料 3,000円(チケット制・全席自由・限定180名様)

*京都府京都文化博物館 別館ホール HPはこちら*

http://www.bunpaku.or.jp/exhi_hall.html
 


*出演者の方々 (出演順)

■Vesna!マトリョミン合奏部(電子楽器マトリョミン)
  合奏部部員でマトリョミン演奏致します。頑張ります!!(←部長さんより)

http://www.mandarinelectron.com/matryomin/club_vesna.html


■オルケステル・ドレイデル(東欧ユダヤ音楽クレズマー楽団)

(樋上千寿:クラリネット 白石雅子:アコーディオン 高橋延吉:ドラム)
シャガール研究者で演奏家の樋上を中心に2003年4月結成。
東欧ユダヤ音楽の研究と演奏活動を開始する。2007年には宇都宮美術館と
千葉市美術館主催のシャガール展関連イベントで演奏を依頼される。

*オルケステル・ドレイデルホームページはこちら*

http://www.geocities.jp/smile_dreydel/dreydel.html
 

■トーダル(ベラルーシ語音楽グループ「トーダル&WZ-オルキエストラ」)

ボーカル、ギター、クラリネット担当。ベラルーシ共和国グロドノ州出身
ベラルーシ共和国より今回の演奏会に出演する為、初来日。
2005年9月 日本でお馴染みの四季の歌をベラルーシ語に翻訳、アレンジした
曲10曲を収録したCD「月と日」をベラルーシ国内にて発表。
収録曲「村祭」はベラルーシ語音楽部門ヒットチャートで1位となる。

*トーダル「月と日」についてはこちら*

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/index.html
 

こちらの過去ログ(HP「ベラルーシの部屋」2006年5月過去ログ)で、「月と日」コンサートの画像がたくさん見られます。

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/index.html


 このコンサートでトーダルが演奏するのは・・・
「朧月夜」「故郷」「浜辺の歌」「村祭」「十五夜お月さん」
「緑の樫の木」(ベラルーシ民謡。アルバム「バラード」収録曲。)
「道」(アルバム「薔薇と踊るタンゴ」収録曲)
「海」(アルバム「長い引き出しの歌」収録曲)
 ・・・の予定です。お楽しみに!!!


『Part.2』 SPECIAL THANKS!ライブ

*日時  2008年 3月1日(土)午後7時
*場所  ライブハウス『アバンギルド』(京都・木屋町三条下ル ニュー京都ビル3F)
*入場料 4,000円 (チケット制・限定80名様)
     ※1ドリンク+フード+プレゼント+楽しいゲスト達+音楽+笑顔 付き
     ※Part.1と2、両方のイベントにご参加頂ける場合、300円引き

 トーダルのほか、Vesna!マトリョミン合奏部、オルケステル・ドレイデルのメンバー、秘密ゲストが出演します。お楽しみに!
 このライブでトーダルが演奏するのは・・・
「村祭」「故郷」のほか
「満足しているオンドリの歌」 (アルバム「オモチャヤサン」収録曲)
「SOS」(アルバム「愛の汽車」収録曲)
・・・の予定です。
 これらのベラルーシ語楽曲(トーダルの持ち歌)の歌詞の日本語訳については「みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ」をご覧ください。

 このほか、マトリョミン合奏部とロシア語で「わにのゲーナの歌」を歌います。ロシアン・アニメソングを歌うトーダルは聴いたことないので、楽しみ!
 それに、オルケステル・ドレイデルさんといっしょにクレズマー(ユダヤ音楽)も演奏するので、ベラルーシ人が聴いたことないトーダルが日本で見られるかと思うと、得した気分ですねえ。


*ライブハウス『アバンギルド』の HPはこちら*

http://www.urbanguild.net/
 



●チケットのお求めは、雑貨ショップVesna!まで●

 お電話、メール、または店頭でお求めください。ただいま好評発売中です。
 詳しくはこちらのサイトをご覧ください。

http://vesna-ltd.com/event/5event.html


・・・・・・・・

 トーダルも今から日本行きをとても楽しみにしています。どれほど楽しみにしているかは、こちらをご覧ください。(音楽とは別のことを楽しみにしているかもしれないが・・・)(^^;)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/314b32891a1f9d506537f8dfb84645c3


 少々気が早いですが、イベント終了後、ベラルーシへ帰国後は、コンサートの詳細をこのブログでご報告しますので、お楽しみに!
 
 

「バラード」(2002年)

2008年02月09日 | トーダル
 ・・・ 悲しみは小夜鳴鳥のように鳴きながら飛んでゆく。
   ・・・ 明るい世界の上を・・・
    ・・・ 「誰の後を追いかけようか?」
             (バラード7 「悲しみ」より。)

 トーダルがソロ活動としてはセカンドアルバムだけど、「トーダル&WZ-オルキエストラ」の名前で発表した初めてのアルバム。
 19曲収録の中で、2曲はベラルーシ民謡をアレンジしたもの。そのほかは、古いベラルーシの詩に民謡風の曲をつけている。

 タイトルどおり耳に心地よいバラードが多いのですが、19曲のうち10曲はそれぞれ1分ぐらいしかないインストゥルメンタルで、実質的には9曲のバラードが収録されている。
(トーダルって、曲の曲の間に何か入れるのが好きだよな。) 

 トーダルが以前参加していたグループ「パラーツ」や「クリヴィ」がしている音楽と同じジャンルである。つまり、ベラルーシ民謡を自分風にアレンジするという手法だが、パラーツと同じアレンジの仕方はしていない。パラーツほど、ロックでゴージャスな感じはなく、楽器もバイオリンとバヤンが主体で、素朴な編曲は、ベラルーシ民謡らしさをたくさん残している。
 クリヴィ時代にしたかったけど、できなかったアレンジなんですこれが、というトーダルのメッセージもここに出ている、と言える。
 ベラルーシの民謡の古い持ち味を多く残しているため、
「ああ、ベラルーシだなあ・・・」
と聴いていて感じることができる。
 CDジャケットのデザインは地味だけど、ベラルーシの伝統文化である切り紙細工がモチーフになっていて、あくまでベラルーシ色にこだわっています
 ベラルーシらしさを感じたい日本人には一番お勧めのCD。アルバムタイトルどおり、哀愁漂うせつない曲が多い。
 トーダルが発表した数々のアルバムの中で、マーサが3番目に好きなアルバム。やっぱり、ベラルーシらしいから、外国人には心惹かれるものがあるね。

 ただ・・・
 日本語に訳された歌詞を読んだらびっくりするかも・・・
 日本人の感覚からすると、
「昔のベラルーシ人は何考えてたのか?!」
と思うような不思議な歌詞がいっぱい。シュールです。
 どうしてこんな風な変った歌詞が多いのかと言うと、ベラルーシ人は、駄洒落が好きで(正しくは音韻を踏むのが好き)言葉遊びが得意だからです。
 話の流れとしては、おかしくなっても気にせずに、どんどん駄洒落になる言葉を繋げていってしまいます。それをベラルーシ語歌うと、「韻を踏んでいて美しい歌。」とベラルーシ人は感じるのだけど、日本語に訳すと言葉の美しさが分からなくなってしまい、意味だけ訳したのを読むと、「?」な歌になってしまうことが多いです。
 そしてタイトルはその歌の一番最初の言葉がそのままタイトルになることが多い。で、その言葉から別の言葉が生まれ、そこからまた別の言葉が生まれ・・・と連想ゲームのように繋がっていき、歌の最後には全然、歌のタイトルと違う話になっていたりします。(例 バラード9の「緑の樫の木」など。樫の木がコサックになって、いつの間にか魚のカワカマスになってしまう。)

それと、ベラルーシ民謡の歌詞の特徴は、会話が多いこと。登場人物たちが、あるいは人間が自然と普通に会話しており、その会話の中身が、そのまま歌詞になっていることが多い。しかも会話が突然始まったりする。
 馬の番をしていたはずの女の子、カーシャがいきなりなぞなぞに答えないといけなくなったりする。(「カーシャは馬の番をした」バラード2)
 しかも、なぞなぞに答えられても、答えられなくても罰ゲーム(のようなもの)が待っているとは、どういうことなのか・・・。 

 摩訶不思議なベラルーシ民謡の歌詞の世界に行ってみたい人は、ぜひこのアルバムをお聴きください。
(まあ、日本の民謡でも「ソーラン節」のソーランって何? と外国人にきかれると、普通、すらすら説明できないよなあ・・・)
 それにロシア民謡は日本語に訳されているけど、ベラルーシ民謡はほとんど翻訳されていないので、そういう視点での興味のある方もぜひ、お聴きください。

 
・・・・・・・・
「バラード」 ベラルーシ民族詩、ベラルーシ民謡

1.秋
2.白樺を切らないで (バラード1)
3.叫ぶ
4.カーシャは馬の番をした (バラード2)
5.東
6.棺 (バラード3)
7.西
8.お伽噺 (バラード4)
9.君はどこに?
10.息子のダニーラ (バラード5・ベラルーシ民謡)
11.ヤーシカ
12.美しいダロータ (バラード6)
13.棺
14.悲しみ (バラード7)
15.空気
16.鶴 (バラード8)
17.盛土
18.緑の樫の木 (バラード9・ベラルーシ民謡)
19.叫ぶ 

・・・・・・

 少し説明すると・・・「11.ヤーシカ」のヤーシカは男性名。
「17.盛土」というのは、昔ベラルーシで一軒家の周りに、風を防ぐために盛り上げられた土のことです。土塁のようなものでしょうか。これで、冬の間、風が家に直接吹き付けるのを防いでいましたが、夏場はその上に座って、おしゃべりをしたり、民謡を歌ったりする、憩いの場でもありました。

 収録曲のうち、マーサが特に好きなのは「2.白樺を切らないで」「8.お伽噺」「14.悲しみ」です。
 「8.お伽噺」はヤマタノオロチみたいな話でおもしろいです。
 「14.悲しみ」は、曲はベラルーシ民謡なのに、歌詞が(駄洒落歌詞に比べるとわれわれ、現代日本人にも分かりやすく)普遍的で、とてもいいです。この歌に出てくる「彼女」というのは名前などは出てきませんが、「一般的な若い女性」をさしています。
 確かにシュールですね・・・ベラルーシ民謡の世界。これは少々意外だった。

(CD「バラード」はただ今、Vesna!で発売中。全曲日本語対訳付きです。)

 

「オモチャヤサン」(2001年)

2008年02月08日 | トーダル
「店長の開店の歌」より・・・
・・・何世紀にもわたり、一緒に遊んでいるけれど
   いつまでたっても分からない。
   人がオモチャと遊んでいるのか?
   オモチャが人と遊んでいるのか? ・・・・・

 クリヴィを脱退し、ソロ活動に入ったトーダルが2001年に発表したファーストアルバム。
 どうして「おもちゃ屋さん」とか「オモチャ屋さん」などに翻訳せず、全部カタカナの「オモチャヤサン」にしたのかは、理由があります。
 それは、おもちゃという言葉の持つかわいらしさとは全く違う、「ブラックユーモア」と「風刺」が満ち満ちているから。

 トーダルが
「僕はクリヴィを脱退して、自分の音楽を追求します!」
と、いきなりソロ活動に入ってしまい、
「そうか。それじゃあ、どんな音楽を作るのかな? 楽しみ。」
と思っていたファンは「オモチャヤサン」を聴いて、びっくり仰天したと思うよ・・・。
 ベラニカなんか、これ聴いたとき
「ええっ?! こんな作品を作りたいからクリヴィをぬけたの、トーダルは!? むきーっ!!」
と自分の髪の毛を引っ張ったかもしれない・・・
 と想像してしまうほど、今までのトーダルとは違った印象と、強烈なインパクトを与える曲が収録されています。

 どうして「オモチャヤサン」というのかと言うと・・・
 収録されている12曲全部が「オモチャヤサン」ことおもちゃ屋の店長の歌と、売られている(しかも生きているという)おもちゃの歌になっているから。
 さらにそれぞれのおもちゃの歌の合間に、店長の宣伝文句が入るという懲りよう。
 ただ、このおもちゃは全部動物のおもちゃで、どうも動物の形をしたぬいぐるみのおもちゃらしい。そしてその動物が自分の持ち歌を歌うのです。
 収録曲のタイトルについては下記をご参照ください。
 
 しかしまあ、これ、「おもちゃの歌」って言っているけど、本当は動物の歌で、しかも人間の歌です。
「こういう人、いるよねえ。」
「いるいる!」
と言う具合に聞けます。そして笑えます。
 歌詞の内容もさることながら、歌の合間の店長の宣伝がかなり強烈です。ちなみにこの店長の宣伝文句も詩人のレアニード・ドラニコ-マイシュークさんが書いたものです。しゃべっているのはトーダルだけどね。
 せっかくなので、一部ご紹介しましょう。
 
 たとえば8番の「自由なズーブルの歌」の後、店長がリスナー(つまり「オモチャヤサン」の買い物客)に向かって話しかけます。
「(前略)ズーブルに荷馬車はくくりつけられませんが、ウマにはつけられます。(中略)
馬具をつけようとすると首を振っていやいやをするウマもいますが、鞭で引っ張ったけば、おとなしくなります。(中略)
荷馬車に乗って鞭を振るご主人が紳士的な人間なら、ウマのほうも恥ずかしくないんですが、そうじゃない人間だった場合、ウマも恥ずかしく思っていることだけは覚えておいてくださいね。」

 この宣伝文句の後、9番の「おとなしいウマの歌」が始まります。その歌詞はこんな具合。

「僕はおとなしく我慢強い。
 住んでいるところはベラルーシ。(中略)
 重荷を背負って汗だくになって働いているうちに
 人生は過ぎ去っていく。
 僕に干草をあげるのを忘れないで。
 麦をあげるのを忘れないで。」

 そして、この歌の後、店長の宣伝文句が入ります。

「働きすぎて、疲れきり、よぼよぼの年寄りになってしまう。こういう怖いことが起こることもあります。
 でも、これは私の店のウマのことではありません。うちのウマはオモチャですから、全然疲れないし、買えばあなたの家にずっといます。どこへも逃げないよ。
 あなたも仕事に疲れたら、このウマのように家にずっといればいいんです。自分の仕事だけを適当にやって、給料という名の麦をもらえばいいんです。余計な仕事なんてするだけ損です。自分の能力を見せびらかして、周囲に認めてもらおうなんてしなくていい。(中略)
 いつもにこにこ愛想よく、上司の言うことには何でも、『はい。』とだけ答えておく。間違っても反対意見なんか言っちゃいけませんよ。(中略)
 個人的意見などというものを挟まないようにすれば、職場のみんなはあなたに満足してくれます。
 まあ、個々の人間が全員賛成ばかりしていると、社会全体というものは、だんだん腐ってくるんですが。
そのことをよく知っているのはクマです。」

 そしてこの宣伝文句の後、すぐに10番の「お人好しなクマの歌」が始まります。
 いやあ、このウマ「住んでいるところはベラルーシ。」と歌っているのですが、私には「日本」に聞こえてしまうんですよね。
 オモチャヤ店長が言っていることも、全部日本、ならびに日本人にも当てはまると、思いませんか?
 いやはや、詩人のレアニード・ドラニコ-マイシュークさんは天才だね。尊敬する。よくこれだけ、思いつけたよ・・・。人間と動物と社会をすごく観察しているんだなあ、と思いました。
 ちなみにマーサが一番好きなのは「賢いカラスの歌」です。 

 とにかく、どの歌も「これでもか!」というぐらい強烈です。笑えるんだけど、心の底からの楽しい笑いはできないですね。
 ちなみに歌っているのは、店長も動物も全員トーダルです。店長の宣伝もトーダルが語りに語ります。
 トーダルが歌うと本当にその動物が歌っているように聞こえます。そこのところがまたすごい。性格も歌い分けている。7番の「満足しているオンドリの歌」なんか、コケコッコーとか鳴いているわけではなく、人間の言葉の歌詞を歌っているだけなのに、本当にオンドリが歌っているように聞こえます。
 トーダルの芸達者なところがよく分かるアルバムですね。
 ちなみに他の動物の歌もあり、全部で20種類の詩があるのだそうです。
 そのうち10種類をトーダルが選んで曲をつけました。(他の動物の詩も読んでみたい。)

 ゲストで有名な歌手ヤドビガ・パプラフスカヤ(このブログ内「ミュージカル「預言者」② と③参照。)がトーダルといっしょに歌っているのも、特筆ものです。ああ、きれいな声。ほんと、声がきれいだと得だと、感じます。それにしても、トーダルからの出演依頼に応じたよね。私はこの人のこと、元祖ベラルーシ人眼鏡アイドルだと思うのだが・・・。(ちょっと失礼?)

 ところで、収録曲の内容にちょっと注釈を加えると・・・ 

 4番の「賢いカラスの歌」で「百年は一日のよう。生き続けても疲れない」という歌詞がありますが、これはベラルーシではカラスは100年生きると言われているからです。日本で言うところの「鶴は千年、亀は万年」みたいなものでしょうか。

 6番の「不幸なヤギの歌」の歌詞。
「でも、しょっちゅう嫌がらせを受ける
子どもも大人もみんな
僕のことをヤギと呼ぶ」
 どうしてヤギと呼ぶのが嫌がらせになるのか、というと、ヤギはベラルーシ語で「馬鹿」とか「間抜け」と同意語として使われるため。

 7番の満足しているオンドリの歌の歌詞。
「僕より若いオンドリはとさかも・・・」のとさかですが、原作ではとさかではなく、「そ嚢」と歌っています。これは食道が膨らんで、一時的に食物をためておく器官のことです。(「そ嚢」のその字が出てこない。口へんに素)
 そ嚢と言われて、すぐに分かる人はとても少ないと思ったので、とさか、と訳しています。

8番の「ズーブル」とはヨーロッパバイソンのこと。分かりやすく言うと野牛。
 野生のものではベラルーシとポーランドにまたがる白い塔の森にだけ生息する希少動物。詳しくはHP「ベラルーシの部屋」の過去ログ「TBS『世界遺産』撮影裏話 生息する動物たち」をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/tbs0415/menu.xhtm

「オモチャヤさん」のCDジャケット、表ジャケットには普通の牛(ただしピンク色)がデザインされており、内側にはズーブル(ただし変な色)がデザインされている。
 ちなみに表ジャケットには牛の写真が使われているけど、「ウシの歌」はない。(謎)どうしてこんなデザインにしたんだろう。よく分かりません。 

 「昼休みの休憩」とは商店で働く店員のための昼休みの休憩時間のこと。今でこそほとんどなくなったが、昔はあった。お昼ごろに買い物客を追い出し、1時間閉店してしまう。休憩時間が始まる5分前などに買い物に来ると
「もうすぐ昼休みの休憩時間です。入店しないでください。」
と入り口のところに立っている店員に入店を阻まれる。
 お客の買い物の便利さ、商店の利益などより、労働者ために、規則正しく、健康的で、みんなが同時に集まってわいわい食べる昼ごはんを優先させた制度。
 さすが、労働者の国、ソ連。
 ちなみに美容院でもこの制度があったため、昼休みの休憩時間になると、カット中でもパーマ中でもほったらかしにされた。
 今のベラルーシは(特に都市部では)利益優先に変化し、商店の休憩時間はもうない。
 
(「コンドラトの子守唄」のことは調べたけど分からなかったので、今度トーダルにきいておきます。)

・・・・・・・・

「オモチャヤサン」 作詞 レアニード・ドラニコ-マイシューク

1.店長の開店の歌
2.腹ぺこオオカミの歌
3.怖がりアナグマの歌
4.賢いカラスの歌
5.機嫌の悪いイヌの歌
6.不幸なヤギの歌
7.満足しているオンドリの歌
8.自由なズーブルの歌
9.おとなしいウマの歌
10.お人好しなクマの歌
11.コルホーズのヒツジの歌
12.店長の閉店の歌  

・・・・・・

 「オモチャヤサン」はただ今Vesna!で発売中です!
 もちろん、この黒い笑いが日本人の皆さんにも分かるように、歌詞、店長の宣伝文句とともに、日本語訳がちゃーんとついています。
 私も宣伝はしておいたよ。売れるかどうかは別として。(笑)

「店長の閉店の歌」より・・・
・・・親愛なる人間よ、
   小さい子どもも年よりも
   みんな、ねじを巻いて動いている
   生きてるオモチャみたいだよ・・・

WZ-オルキエストラ

2008年02月06日 | トーダル
WZ-オルキエストラとは一言で説明するとトーダルのバックバンド。2002年に結成された。

「WZ」とは何を意味するのか? というと 古いベラルーシ語で「東西」を表す言葉の頭文字。(WOSCHOD と ZACHOD)

 日本語に訳すと「東西オーケストラ」という意味。命名したトーダルによると、ベラルーシは東西ヨーロッパの間に位置しているから、だそうです。
 この「東」というのは、ベラルーシから見て東にあるロシアのことをさしており、マヤコフスキーの詩に作曲してロシア語の歌も歌ったのは、そういう理由もあったからだそうです。
 でも「月と日」を発表後はこの「東」はロシアではなく、もっと東にある日本のことを意味しているんだそうです。
 つまり今ではグループ名は「日本と西ヨーロッパの間にあるオーケストラ」という意味ですよ。
 スケール、大きいです。
 もっとも結成当初は4人しかメンバーがいなかった。

アリャクサンダル・シュバラウ(アレックス):バヤン
クセニヤ・ミンチャンカ:バイオリン、ジャム・ビー(打楽器)、ボーカル
アレーク・イワノビッチ(イワ):アコースティック・ギター、アコーディオン
ヴャチァスラウ・シャルギエンカウ(スラーワ):コントラバス
 
 その後、メンバーが交代したり、曲に合わせて、メンバーが一時的に参加したり、と顔ぶれは流動的。
 トーダルの曲作りの上ではバヤン(ロシアのアコーディオン)とバイオリンを多用しているところが、大きな特徴となっている。

 メンバーの詳細はまた改めて投稿しますね。

トーダルの人生 4 ソロ活動 そしてWZ-オルキエストラ

2008年02月06日 | トーダル
<ソロ活動開始>

 2000年クリヴィを脱退し、ソロ活動を始めたトーダルは、新しいアルバムの製作に取りかかった。それは2001年にソロ活動ファーストアルバム「オモチャヤサン」となって誕生する。
 クリヴィをあんなにもめて脱退したほどトーダルがやってみたい音楽とは何なのか・・・と思っていたファンは「オモチャヤサン」を聴いたとき、びっくり仰天したと思う。
 「オモチャヤサン」はもちろんクリヴィ時代の音楽とは全く異なる作品だった。
 なぜなら、そこには「ブラックユーモア」と「人間社会への風刺」がぎっしりつまった異色の歌が収録されていたからだ。
 もっとも歌詞はレアニード・ドラニコ-マイシュークという詩人が書いた物で、トーダルが書いたわけではない。しかし、わざわざこの詩人のこの作品を選んだところにトーダルの挑戦があったと思われる。

 こうしてソロ活動ファーストアルバム「オモチャヤサン」で衝撃を与えたトーダル。
 確かに作品の中でも異色のアルバムと言えるけれど、(「月と日」も異色かも。(^^;))ベラルーシ音楽史上の中で見ても相当異色の作品である。聴いていると笑えるのに、笑顔が凍りつく瞬間がたくさんある・・・。

 その一方で、子供向けの舞台音楽にも手を出すことになる。
 ミンスク子ども劇場がスウェーデンの児童文学「屋根の上のカールソン」(原作アストリッド・リンドグレーン)をベラルーシ語の劇にして上演することになり、その音楽をトーダルが担当した。

<WZ-オルキエストラ結成>

 2001年トーダルは自分のグループ「トーダル&WZ-オルキエストラ」を結成する。
 結成当初はトーダルが吹くクラリネット以外に楽器は、ギター、バイオリン、バヤン、コントラバス(ベース)ぐらいしかなかったが、この基本編成に加えて、アルバムの作品によって、さまざまな楽器(メンバー)を自由に加える形を取っている。 
 「トーダル&WZ-オルキエストラ」として最初に発表したアルバム「バラード」はベラルーシ民謡をアレンジしたもの。
 つまり、クリヴィ時代にしていた音楽と傾向は同じなのだが、クリヴィ時代とは全くちがう編曲の方法を採っている。
 これがトーダルがやりたいと思っていたがクリヴィ時代はできなかった音楽の一つだったのだろう。

 その後も1年に1枚か2枚という超ハイペースでアルバムを発表している。
 基本的には「オモチャヤサン」同様、ベラルーシの詩人の作品をトーダルが読んで、気に入ったものに作曲する、という形式でアルバムの製作を行っている。(「季節の香り」「愛の汽車」「薔薇と踊るタンゴ」「LIRYKA」など)
 一方で、ロシア語の作品を手がけたり(「MW」など)、日本の歌を歌ったり(「月と日」)しており、また「I want you now」は英語で、アルバム「ベッラ・チャオ」に収録された2作品ではイタリア語で歌うなどしている。
 さらにユニセフから依頼されユニセフ創立60周年記念アルバム「子守唄」を製作するなど、最近は「ベラルーシナンバーワンの国際派アーティスト」と呼ばれるようになっている。
 2008年はスウェーデンの詩人の作品をベラルーシ語に翻訳した歌詞に作曲するという「スウェーデン・プロジェクト」が待っている。
 活動の場をポーランドにも広げ、学生だったとき、その入り口前でガラス製品を売っていたワルシャワ科学文化会館で、現在ではコンサートを開き、満席の観客の前で自分の作品を歌っている・・・。

 この調子でがんばれ、トーダル! マーサは応援し続けるよ。

 しかし・・・この記事、どこまで続くんだろう? 「トーダルの人生」なんていうタイトルにしなきゃよかった。(^^;) トーダルが死ぬまで(あるいはマーサが死ぬまで)これ、続くんだろうか。
 
 WZ-オルキエストラはまだまだ続くと思うし、次の記事のタイトルは「トーダルの人生 5 WZ-オルキエストラ時代中期」とか「トーダル40歳代」「50歳代」「60歳代」という具合に分けたらいいのだろうか。
(そのころ、どうなってるんだろ、トーダル。本人はこの間「白髪頭の小ぎれいなじいさんになることを目指す。」と言っていたが。)

 とりあえず「トーダルの人生 5」に続く。(そのうち・・・)
   

トーダルの作品リスト

2008年02月06日 | トーダル
<パラーツ時代>

1995年
 「パラーツ」が発表したアルバム「フォークロア・モダン」製作に参加。(2005年に再リリース)


<クリヴィ時代>

1997年
 アルバム「ヘイ・ローリー」発表。(2005年に再リリース)
 アルバム「Narodny Albom」製作に参加。

1998年
 アルバム「霧のかなたに」発表。

1999年
 アルバム「人々に」発表。
 アルバム「Вольныя танцы: слухай сваё」製作に参加。

2000年
 アルバム「僕はここで生まれた」製作に参加。
 クリスマスソングアルバム「聖なる夜」製作に参加。


<ソロ活動・WZ-オルキエストラ時代>

2001年
 ソロ活動を開始。第1作目のアルバム「オモチャヤサン」を発表。(作詞はレアニード・ドラニコ・マイシューク)
  映画「新鮮な肉は花火とともに」(ベラルーシフィルム イワン・パブロフ監督)の音楽を担当し、ラストシーンで音楽家の役で1秒間ほどクリヴィのメンバーとともに出演する。
 ベラルーシ語版の劇「屋根の上のカールソン」(原作アストリッド・リンドグレーン)の音楽を担当する。ミンスクの現代芸術劇場で初演。
 アルバム「Вольныя танцы: альтэрнатыва by」にクリヴィ時代の作品が収録される。

2002年
 トーダル&WZ-オルキエストラとして初めてのアルバム「バラード」を発表。
 英語の歌「I want you now」がアルバム「Personal depeche Belarusian on tribute」に収録される。
 クリヴィのアルバム「ミンスク・ベルリン」に作品が収録される。

2003年
 アルバム「季節の香り」発表。(作詞はアレーシ・カモツキー)
 プロモーションビデオを6作品製作する。

2004年
 アルバム「愛の汽車」発表。(作詞はルィゴール・バラドゥーリン)
 アルバム「ベッラ・チャオ」の製作に参加。イタリア語に翻訳された自作の曲をイタリア語で歌う。

2005年
 アルバム「MW」(歌詞はウラジーミル・マヤコフスキー)
 アルバム「月と日」(日本の歌)発表。日本国内でも販売され、ベラルーシ人アーティストのアルバムとしては、最も多数売れる。
 日本のラジオ番組(「文化放送」「NHK地球ラジオ」「FM東京」)で取り上げられる。また日本の雑誌「マガジンALC」(アルク発行)などでも紹介される。

2006年
 アルバム「薔薇と踊るタンゴ」(作詞はウラジーメル・ニャクリャーエウ)
 アルバム「長い引き出しの歌」(今までのアルバム未収録曲を集めた作品集)発表。
 「ベラルーシポップス ヒット1ダース 2005」に「春の日」(アルバム「愛の汽車」収録曲)と「君の元へ」(アルバム「季節の香り」収録曲)が収録される。

2007年
 ユニセフ創立60周年記念アルバム「子守唄」製作に参加。収録曲のプロモーションビデオに山猫の役で出演する。 
 アルバム「LIRYKA」(作詞はゲナジー・ブラウキン)発表。
 「ベラルーシポップス ヒット1ダース 2006」に「村祭」(アルバム「月と日」収録曲)と「道」(アルバム「薔薇と踊るタンゴ」収録曲)が収録される。

2008年
「ベラルーシポップス ヒット1ダース 2007」に「海」(アルバム「長い引き出しの歌」収録曲)が収録される。
 アルバム「いるもの全て」(今までのアルバム未収録曲に新作曲を加えた作品集)発表。


(新しい作品を発表したら内容に追加します。)

トーダルの人生 3 「クリヴィ」時代

2008年02月05日 | トーダル
<クリヴィとトーダルの誕生>

 1996年、パラーツを作ったものの、リーダーではなかったフランツが、パラーツを脱退し、新しいグループを作ろうと、トーダルに呼びかけた。
 これを機会に、トーダルはパラーツを抜け、そしてボーカルとしてベラニカ・クルグロワを加えた3人のグループ「クリヴィ」を結成する。
 クリヴィとは、昔ベラルーシで旅人が道中に飲む飲み水を入れた水筒のことである。
 つまり、クリヴィの音楽を人生と言う旅で飲む水にたとえたのである。
 
 ここでもフランツは新しいグループを作っても、自分はリーダーにはならず、ベラニカがリーダーになった。ベラルーシでは異色の女性がリーダーのグループである。
 トーダルとフランツは作曲や編曲、楽器の演奏やサイドボーカルを分担した。
 クリヴィ結成時にトーダルは、芸名をフョーダルからトーダルに改名。
 その理由は
「これからは、優しい親切な人なだけじゃだめだ。」
と思ったから。ちなみにトーダルとは、ベラルーシ人の古い男性名で、今は自分の子どもに名づける人はめったにいない、という名前。意味も「強い男」。
 フョーダルはパラーツのメンバーにつけてもらったが、トーダルという名前は自分で選んでつけた。かくして、ここにミュージシャン「トーダル」が誕生した・・・。
 そして、当時のプロデューサーの考えだったと思われるが、トーダルのことは「マルチ・インストゥルメンタリスト」として売り出された。
 マルチ・インストゥルメンタリストとは何かと言うと、つまり「何でも楽器が弾ける人」という言葉である。トーダルが器用で、いろいろな楽器が弾けるため、そのような肩書きをくっつけたのである。
 しかし、マーサが後になってトーダルに確認したところ、「何でも楽器が弾ける」わけではなく、ピアノやバヤン(ロシアのアコーディオン)といった鍵盤楽器はそれほど上手に弾けないことを白状している。
(「クリヴィのマルチ・インストゥルメンタリストの人でしたよねえ。」
と人に言われると、苦笑いをしている。)

 パラーツがベラルーシ民謡とロックを融合させた「フォークロア・モダン」という新しいジャンルを創ったのに対し、クリヴィはそれに「ベラルーシ・エトノミュージック」をさらに融合させようとた。
 ベラルーシ・エトノのエトノとは、エスノ・ミュージックのこと。
 エスノ・ミュージックは主にアジアやアフリカのエキゾチックで、民族色を前面に出した音楽のことだが、「ベラルーシ・エトノ」というジャンルではベラルーシ民族色を下地にした創作的な音楽が多い。

 クリヴィはベラルーシ民謡、ロック、エトノなどのさまざまなジャンルの音楽が融合した新しい音楽を創り始めた。
 そして、これが大成功を収めたのである。
 同じ歌詞を何度も繰り返す手法のメロディーライン、巫女を連想させるヴォーカルのベラニカ。フランツがかぶせるテクノサウンドといったさまざまな音。トーダルの巧みなアレンジ。
 デビューしたとたんに、クリヴィはベラルーシ音楽シーンのスポットライトに登場し、パラーツと人気を二分するようになった。
 そして、ドイツ公演を実現。
 1997年にファーストアルバム「ヘイ・ローリー」を発表したが、録音作業が行われたのはドイツのベルリン、と当時のベラルーシの音楽グループとしては異例の「出世」だった。 

 ところが、フランツはファーストアルバム発表後、1年ほどでクリヴィを脱退。次にとうとう自分がリーダーを勤めるグループ「URI'A」を結成し、現在に至っているが、この人どうして新しいグループを作ってはすぐ自分は抜けてしまうんだろう? ある意味、マーサがとても気になっているミュージシャンの一人である。

 フランツが抜けた後、ピート(本名はピョートル・パウラウ)がメンバーに加入。ギターを担当し、再び3人になる。
 トーダルはほとんど全ての作品の作曲、編曲、楽器演奏、サイドボーカルを担当し、大忙しとなるが、次々に発表したアルバム「霧のかなたに」「人々に」などで、大成功を収めた。
 知名度が飛躍的に上がり、ベラルーシ、ポーランド、ドイツのコンサート会場で大喝采を浴びるようになった。
 1999年には「ロック・カラナツィヤ」コンクールでクリヴィが「ベラルーシ最優秀グループ賞」受賞。
 トーダル自身は「ベラルーシ最優秀ロックシンガー男性ボーカリスト部門」優勝。(別名「ロック・キング賞」)ベラニカも女性ボーカリスト部門で優勝した。(別名「ロック・クイーン賞」)
 また2001年に上映された映画「新鮮な肉は花火とともに」(ベラルーシフィルム)の音楽を担当し、ラストシーンで音楽家の役で1秒間ほどクリヴィのメンバーとともに出演するなど、活動の場所も広げていった。
 こうして90年代を代表するグループに成長したのである。
 
<クリヴィ脱退騒動>

 ところが・・・2000年にドイツのベルリンで行われた音楽コンクール「Musika Vitale」でクリヴィが優勝するという、人気絶頂期にトーダルはクリヴィを脱退した・・・。
 その理由はいろいろあるが、最大の理由は、他のメンバーと意見が合わなくなったこと。
 トーダルによれば、ベラルーシ・エトノではなく、もっと違う音楽にも挑戦したいと言ったのに対し、他のメンバー、特にベラニカが反対したから。
 ベラニカは今までのクリヴィ路線で進めばよく、変更する必要はない、と言い、さらに、あんたは私が歌いたい歌を作曲すればそれでいい、というような自己中心的なことをトーダルに言ったらしい。
 トーダルがそれに反発し、ピートもそれにからまって、大変な口論になってしまったらしい。
 そしてとうとう、トーダルがソロ活動をしてでも、自分のやってみたい音楽がやりたいと言い出したが、それもベラニカが反対したため、また揉めに揉めてしまった。(その情景を想像したくない・・・)

 結局はトーダルが脱退してしまうのだが、しばらくの間、ベラニカ&ピートとは口もきかぬ、という冷えた関係が続いてしまうほどだった。
(しかし、その後すぐに、まずピートと和解。ベラニカとは長い間、疎遠な状態が続いていたが、2007年にはいっしょにステージに立って、クリヴィ時代の歌をデュエットするなど感情的なしこりは解消した模様。)

 こうして、トーダルはソロ活動に入った。トーダルのクリヴィ脱退はファンに衝撃を与えた。しかし、一番ショックだったのはベラニカだったろう。
 トーダルあってのクリヴィだったことは、誰の目にも明らかだった。作曲・編曲・演奏のほとんどを担当していたトーダルが抜け、クリヴィの人気は急激に失速していった・・・。

 トーダルにとっても自分に課したソロ活動への道は、厳しいものになるかもしれない、と自覚していた。しかし、自由な音楽上の実験ができることになり、自分の才能を次の段階へと上げていくことになったのだった。  

 (トーダルの人生 4 に続く。)

画像はクリヴィのメンバー。
右からトーダル、当時のサポートメンバー、ベラニカ、ピート。
トーダルが持っているのはベラルーシの民族楽器手回しリラ。(摩擦弦楽器ハーディーガーディー)

トーダルの受賞歴

2008年01月31日 | トーダル
 トーダルの輝かしい受賞歴の数々。
 トーダルのプロフィールのほうに入れていたけど、ごちゃごちゃして分かりにくくなったので、ここで受賞歴だけ紹介します。
 でも、本人も全部覚えていないほど、たくさん受賞していて、ここにあるのは確認できたもののみ。
(画像ではめがねをかけていますが、トーダルです。)


1993年「ラジオ・フランス・インターナショナル」コンクールで東欧民謡ロック部門に当時参加していたグループ「パラーツ」が入賞。

1999年「ロック・カラナツィヤ賞」で当時参加していたグループ「クリヴィ」が「ベラルーシ最優秀グループ賞」受賞。
 トーダル自身は「ベラルーシ最優秀ロックシンガー男性ボーカリスト部門」優勝。(別名「ロック・キング賞」)
 
2000年 ドイツのベルリンで行われた音楽コンクール「Musika Vitale」で「クリヴィ」が優勝。

2001年 「ロック・カラナツィヤ賞」で、「2001年度最優秀ミュージシャン賞」受賞。
 
2002年 「ロック・カラナツィヤ賞」で、「伝統と現代音楽部門」優勝。
 アルバム「季節の香り」が「2002年度ベラルーシ語音楽最優秀アルバム部門」の2位に入賞。その収録曲「君の元へ」が「2002年度ベラルーシ語音楽最優秀曲」4位に入賞。(「ヒット1ダース」主催)

2003年 ノルウェーで行われた「ヨーロピアン・ブロードキャスティング・ユニオン」コンクールの伝統音楽部門、抒情歌部門で「トーダル&WZ-オルキエストラ」が入賞。

 2004年 アルバム「愛の汽車」が「2004年度ベラルーシ語音楽優秀アルバム」のうちの1枚に選ばれる。その収録曲「春の日」が「2004年度ベラルーシ語音楽最優秀曲」2位に入賞。(「ヒット1ダース」主催)

 2005年 アルバム「月と日」「MW」が「ベラルーシ語音楽アルバム・2005年の10枚」のうちの2枚に選ばれる。
 「2005年度ベラルーシ語音楽最優秀曲」に「月と日」収録曲「村祭」が3位、「MW」の収録曲「モルチャノフの恋人への手紙」が2位、そして「薔薇と踊るタンゴ」の収録曲「9番目の哀歌」が1位に入賞する。(「ヒット1ダース」主催)

 2006年「ロック・カラナツィヤ賞」で、「2006年度最優秀ミュージシャン賞」受賞。
 アルバム「薔薇と踊るタンゴ」が「ベラルーシ語音楽アルバム独立ジャンル部門賞」受賞。(ミステリヤ・ズブーカ主催。)

 2007年「ロック・カラナツィヤ賞」で「2007年度最優秀音楽プロジェクト賞」受賞。

2008年アルバム「LIRYKA」により、「ベラルーシ文化功労者賞」受賞。

トーダルのプロフィール

2008年01月31日 | トーダル
本名:ズィミーツェル・ヴァイツュシュケーヴィッチ(舌噛みそう。)

芸名:トーダル (1996年までの芸名は『フョーダル』)

生年月日:1971年(誕生日の日付は、マヤコフスキーの誕生日の次の日)

星座:かに座

出身地:現在のベラルーシ共和国グロドノ州ベレゾフカ市 (当時はソ連)

学歴:ベレゾフカの小学校と中学校 → リダの音楽専門高校(専門はクラリネット) → 国立ベラルーシ文化大学音楽部(専門はクラリネット)在学中にグリンカ名称ミンスク音楽専門学校にも入学。(専門は声楽。バリトンを専攻。)
 合計10年間音楽を専門的に勉強。

経歴:
 1992年 ベラルーシ文化大学在籍中だったに音楽グループ「パラーツ」に加入し、プロデビュー。パラーツのヨーロッパ公演に同行する。

 1996年 「パラーツ」を脱退し、「クリヴィ」結成。ドイツなど海外でも公演を行う。
 
 2000年  「クリヴィ」を脱退し、ソロ活動に入る。

 2001年 「トーダル&WZ-オルキエストラ」を結成。現在にいたる。
 活動拠点はベラルーシとポーランド。
 ポーランドでは“Todar & Cheremshina”“Todar & Kvartet YORGI”“WZ-Orkiestra & Verhovyna”といったポーランド人ミュージシャンとユニットを組んで活動している。
 主な海外公演先は、ウクライナ、ドイツ、スウェーデン、フランス、イタリア、ロシア、スロベニア、カザフスタン、エストニア、リトアニア、ラトビア。
 
 2007年から オートラジオ「簡単な言葉」というラジオ番組のパーソナリティを担当する。

 2008年2月にベラルーシ語歌手としては初の日本公演。
   
言語:ベラルーシ語、ロシア語、ポーランド語が完璧に話せる。
 歌うときはほとんどベラルーシ語。
 作品によってはロシア語や、ポーランド語、英語やイタリア語でも歌うことがある。
 日常会話レベルの英語ができる。

演奏できる楽器:クラリネット、フルート、トロンボーンなど吹奏楽器全般。
 ギター、打楽器も弾ける。
 作曲するときは鍵盤つきのPCを使用しているが、ピアノやバヤンのような鍵盤楽器の演奏はあまり得意ではないそう。
 専門はクラリネットで、本格的に高校と大学で学んでいるが、ギターは自分で練習しただけで、誰かに習ったりギター教室に通ったりはしていない。
 ジャンルもクラシック音楽が専門で、ベラルーシ民謡は専門に学んだことはない。ベラルーシ民謡は体にしみついた音楽だそう。
愛用のクラリネットは40年前に作られたフランス製。20年前に知り合いがベルギーで購入し、ベラルーシへ持ってきてくれたもの。

声域:3オクターブ プラス 裏声

好物:酢漬けのきのこ、ミンスクの製菓会社が作っている「ユージノエ・クッキー」 逆に苦手な食べ物はゆでた玉ねぎ。

趣味:森できのこを集めること。

スポーツ:週3回の水泳と散歩が健康の秘訣だそうです。観戦するのはサッカーが好き。

好きな色:赤

好きな歌手:シザエラ・エボラ。U2のボノ。ローリング・ストーンズ。フランク・シナトラ。

好きな女優:キーラ・ナイトレイ(「この人の顔が好き。」と言っていたが、名前をちゃんと覚えていなかった。)

ひそかに抱いている夢:絵画を真剣に学びたい。(今はそのための時間がない。)
 最近は執筆業にも手を出しているので、いつか作家デビューするかもしれません。夢は大きく「ノーベル文学賞受賞」! (夢、大きすぎ。まだ1冊も本を出していないのに。)

信仰:スラブ正教徒。

プライベート:2児の父。
  
外見について

 目の色:ブルー 
(眼球から光線のような光が出ている。この光が出ている間は彼の音楽人生は安泰であると見た。)

 髪の毛の色:ダークブラウン 
(ただし染めるため変わることがある。髪型やひげ型はしょっちゅう変わる。)
 いきつけの美容院はなく、知り合いの女性にカットしてもらっている。その女性の職業は服飾デザイナーで、プロの美容師ではない。

 服装:普段はとても地味なので、街中を歩いていても芸能人だとは気づかれない。でもベラルーシではスーパースターである。
黒縁の眼鏡をかけるときがあるが、おしゃれ(イメージを変える)のためで、視力が悪いわけではない。

その他の特徴:歩くときの速度がやたら速い。
 話すときの速度も速い。
 金銭感覚と時間感覚が普通の人とはかなり異なる。(芸能人はみんなそうか・・・。)
 死んだ後、たてる自分の墓の場所をもう決めている。
 携帯の着メロに自分の曲を入れているのかと思いきや、ナイチンゲールの鳴き声を入れている。
 歌手なので風邪をひかないよう、体調にいつも注意している。
 いつも枕元に水を入れたコップを置いて寝ている。喉が渇いたらすぐ飲むんだそう。
(1回だけ、風邪のためステージの上で突然がらがら声になったことがあったが、断りを入れてから一応最後まで歌い通した。)
 風邪を引いたら、ジャガイモをゆでて、その湯気で喉を温めて治すらしい。

 作品については「トーダルの作品リスト」やそれぞれの作品解説を参考にしてください。受賞歴については「トーダルの受賞歴」をご覧ください。

(内容に追加することがあれば更新します。)

トーダルの人生 2 「パラーツ」時代

2008年01月27日 | トーダル
<デビュー前夜>
 
 トーダルが学生だった90年代前半は、ソ連の崩壊、そしてベラルーシが独立したばかりで、経済の大混乱が続いていた。
 たとえば、母親が当時働いていたベレゾフカの老舗ガラス工場「ネマン」でも、給料の支払いが遅滞し、現金の代わりに給料がガラス製品で支払われていた。
 音大生トーダルは、実家の家計を助けるため、母親の給料であるガラスのコップや花瓶をかついで、ベレゾフカからは近い隣国ポーランドにときどき行き、ワルシャワ科学文化会館の前でガラス製品を売っては、現金に換えていた。
 さらにはミンスクにある最大の市場、カマロフスキー市場で、やはりガラス製品を売っていたら、「非合法的商売」をしている、と言う理由で警官に罰金を取られたことがある。

 あまりにも経済が混乱していた時期で、芸術方面の職業に進んでも、将来が非常に暗いという理由から、大学卒業後は音楽の道に進まず、故郷に帰ってガラス工場「ネマン」や建築関係の企業に就職しようかと悩んでいた。

<スカウト>

 ところが1992年のある日、大学の建物の入り口にある階段に腰掛けて、クラリネットを吹いていたら、「パラーツ」のメンバーの一人がやってきて、
「君、『パラーツ』のメンバーにならないか。」
といきなりスカウトされた。
 そして、そのまま芸能界入り。21歳のときだった。
 ・・・とトーダルはマーサに語った。
 が、実際にはそんな絵に描いたようなシンデレラストーリーではなく、パラーツの主要メンバーだったフランツ(本名はユルィ・ヴィドロナク)と前から面識があったのである。
(大学の階段でクラリネットを吹いていたときにスカウトされたのは本当の話。)

<パラーツ>

 ところで、「パラーツ」について。
 90年代前半はソ連が崩壊して経済的には混乱していたが、ベラルーシ共和国が独立したことから、ベラルーシ民族がベラルーシ固有の文化や歴史を見直す動きが一度に始まった時期でもある。
 そんな中で、ベラルーシ語で書かれた文学やベラルーシ民謡などが、急にブームになった。
 そこへ登場したのが音楽グループ「パラーツ」である。パラーツはベラルーシ民謡を民族楽器も取り入れたロックと融合させ、大胆な現代風アレンジを施した。
 このような音楽を「フォークロア・モダン」と最初に名づけたのもパラーツである。
 新しいジャンルの、しかもベラルーシの音楽が誕生し、たちまちパラーツは大人気グループになったのである。
 
 パラーツを結成しようと呼びかけたのは、フランツで、リーダーはボーカルのアレーク・ハメンカ。
 1992年の結成当時はトーダルはメンバーではなかったが、アレンジのときに吹奏楽器、特にベラルーシの民族楽器である笛、ジャレイカの演奏者を探していたフランツが、トーダルをスカウトしたのである。

 こうしてトーダルはサポートメンバーとしてパラーツに参加。
 ジャレイカやクラリネットを吹くほか、バックボーカルも担当する。
 またパラーツがヨーロッパの民族音楽フェスティバルに出場するのに同行した。若い音楽家としては非常にいいスタートが切れたと言っていいですね。
 
 こうして、トーダルは迷いを捨て、「やっぱり自分は音楽の道に進もう!」と決意。
 いやあ、本当にそうしてよかったよ。でなかったら、「月と日」も全然ちがう作品になっていたと思いますよ。トーダルじゃなしに他のミュージシャンに編曲を頼んでいたと思うからね。

 さて、パラーツでバックボーカルをすることにもなったトーダルは専門のクラリネット以外にも、声楽を専門的に学ぶことにした。
 そこで、大学4回生進級と同時に、ミンスク市内にあるグリンカ名称音楽専門学校の4年生に中途入学する。
 そこで、バリトンを専攻し、ベラルーシ文化大学音楽部との通学と平行しながら声楽を勉強した。
 昼間は文化大学と専門学校に通い、夕方はパラーツのステージに立っていたのである。
 2年後、文化大学と音楽専門学校を同時に優秀な成績で卒業。
 そしてそのまま、パラーツに就職する形となり、1995年にパラーツが発表したアルバム「フォークロア・モダン」の製作にも参加する。

 しかし、パラーツでの仕事だけで十分食べていけるほど、ギャラをたくさんもらっていたわけではなかった、とトーダルは当時の生活を振り返っている。
 パラーツなどの音楽の仕事がないときは、誰から頼まれたわけでもないのに、一人黙々と作曲をしていたそう。

 ところで、ベラルーシでも芸能界に入ると、芸名をつけることが多い。
 トーダルがパラーツに入ったときも、芸名をつけることになったが、そのときパラーツのほかのメンバーが
「お前はフョーダルって感じだな。」
と言ったので、芸名をフョーダルにした。日本人にはよく分からないけど、何でもフョーダルという名前には「優しくて親切な人」というイメージがあるそうだ。
 
 こうして、パラーツの新メンバー、フョーダル(後のトーダル)は25歳になろうとしていた・・・そしてまた大きな人生の転機が訪れたのだった。

(トーダルの人生 3 に続く。)

 画像は1996年のパラーツのステージの写真。分かりにくいけど右端がトーダル。左から2人目はリーダーのアレーク・ハメンカ。 

 パラーツ時代のトーダルの声はパラーツの公式サイトで試聴できます。

http://www.palac.org/


 分かりやすいのはこの中の、

http://www.palac.org/disc.htm


 2002年にパラーツが発表したベストアルバムの8番目に収録されている「メリークリスマス」と言う曲。
 これは英語で(Merry Christmas)と表記もあるので、ベラルーシ語が分からない日本人でも見つけられると思います。
 この曲の間奏部分で、トーダルが一人、英語でラップの歌詞を歌っています。
 コーラス部分でも歌っているけど、他のメンバーといっしょに歌っているので、トーダルの声は聞き取りにくいですが、ラップは一人で歌っているので、分かりやすいですね。
 リードボーカルのアレーク・ハメンカの声も聴いてくださいね。
 マーサはハメンカさんのファンなのだよ。

 しかし、日本人がイメージするクリスマスソングとはだいぶイメージが違いますね・・・。
 間奏のラップ歌詞と「メリークリスマス」という歌詞以外は、ベラルーシ語です。
 聴いてていつも思うけど、ああ、やっぱり「パラーツ」はゴージャスだわ。
 

トーダルの人生 1 デビューまで

2008年01月26日 | トーダル
 トーダルの今までの人生について、知っていることをご紹介します。

<誕生>
 1971年、ベラルーシ共和国グロドノ州リダ地区ベレゾフカ市(当時はソ連)で生まれる。
 大変な難産の末、生まれたそうで、お母さんの話によると、2日間陣痛が続いたのに生まれないので、ふらふらになっていたら、当時は非常に珍しかったチューインガムをどこからか手に入れた親戚が差し入れてくれた。陣痛がくるたび、そのガムを噛み締めていたら、やっと生まれたので、親戚の間から「チューインガムの申し子」というあだ名をつけられた。

<幼稚園>
 3歳のとき、父親が交通事故のため死去。その後、いわゆる経済的にあまり恵まれない母子家庭に育つことになる。
 ちなみに兄弟はなく、一人っ子である。母親が仕事で忙しかったため、おばあちゃんに面倒をみてもらうことが多かったそうである。
 父親の記憶はほとんどなく、周囲の人から
「あんたのお父さんは歌がうまかった。」「ええ声しとった。」
と小さい頃から言われ続けたため、自分も歌が得意かも、と思い込み、家の外で大声で歌うようになったそうだ。
 ちなみに父親は生前、ベレゾフカの歌好きの有志が集まる歌唱団の団長をしていた。

<小学校>
 音楽の才能があることに気がついた母親が、音楽学校(公立の小学校だが、音楽の授業が多い)に入学させようとする。
 しかし入学説明会で、ピアノを買うことが必須条件であることを知り、経済的な理由から、(つまり母親の給料ではピアノが買えなかった。)入学をあきらめる。
 地元の小学校に入学。この小学校は英語学校で、英語の授業が多かったため、基本的な英語を学ぶ。

 小学3年生のとき、学校のレスリング部に入り、30キロ級地区大会で優勝したことがある。
 その後は吹奏楽部に入り、さまざまな楽器に挑戦する。
 吹奏楽部ではフルートを担当していたが、それを習おうと思ったのはフルートを教えていた先生が若くて美人だったから。(^^;)
 その後はサックスを習っていたが、学校にあったロシア製サックスは音がろくに出なかったらしい。
 子どものときから楽器を演奏したり、歌ったりするのが好きだったが、音楽ばかりしていたのではなく、放課後は友達とサッカーをする普通の子どもだった。
 
 中学生のときには同級生とロックバンドを結成し、ドラムを担当し、文化祭で人気者になる。
 またベラルーシの民謡アンサンブルの舞台を聴きに行っては、民族舞踊や民謡をに感動し、自分も音楽家になりたい、と考えていた。 


<高校>
 1986年、日本でいうところの中学卒業時に、音楽の道に進むことを希望し、ベレゾフカ市から約20キロ離れたリダ市にある音楽専門高校(5年制)に進学。
 専門はクラリネット。そのほかの楽器や音楽についての専門知識を学ぶ。
 本当はサックスをしたかったので、入学時にそのことを言うと、
「うちの学校ではサックスは教えていない。」
と言われ、
「その代わりにクラリネットをやりなさい。」
と、本人の意思とは関係なく、専門はクラリネット、ということになってしまった。
 この学校でサックスを教えていたら、トーダルはサックス奏者になっていたと思われる。 

 学校の寮に入り、週末だけ、ベレゾフカの実家に戻るという高校生生活を送る。
奨学金をもらっていたが、土日には結婚式の披露宴で、クラリネットを演奏したり、歌ったりするアルバイトをして、家計を助けていた。
初めてベレゾフカからリダに出てきたときは、
「市バスが走ってる!」
と大都会に来たようなカルチャーショックを受けたらしい。
(でもベレゾフカって私も行ったことがあるけど、そんなド田舎じゃないぞ。)

高校生のときリダに国民的グループ「ペスニャルイ」がコンサートで来たので、聞きに行き、とても感動して、自分も
「ミュージシャンになりたい。」
と憧れた。「ペスニャルイ」のことをトーダルは「ベラルーシ人でミュージシャンを目指す者にとっての学校。避けて通れない。」と語っている。

 高校卒業間近になったある日、ロシアのペトロザボーツクにある音楽院で1年間学べば、サンクト・ペテルブルグ音楽院に入学できる、という話が本人に舞い込んできた。
 プロの音楽家を目指す者にとっては夢のような話である。
 が、断った。と言うのもそのころはソ連崩壊前夜のことで、食べるものを手に入れるのも難しくなっており(パン屋に行列3時間待ちなど)ベラルーシから見ればずいぶんと北のほうにある地方都市ペトロザボーツクで、1年間無事に暮らせる自信がなかったからだ。


<大学>
 1990年、国立ベラルーシ文化大学音楽部(5年制)に入学。ついに首都ミンスクへ。専門はクラリネット。作曲法なども学ぶ。
 当時はクラリネット奏者になるべく、毎日1日、6-7時間クラリネットを吹く、という猛練習を続けていた。
 このまま、何事もなければ、どこかのオーケストラに入って、クラリネットのソリストになっただけだろうと思われる。

 しかし、大学生のときに、芸能界に入るという人生の一大転機が訪れるのだった・・・。


(トーダルの人生 2 に続く。)

ベラルーシの音楽ニュースでトーダル初来日

2008年01月23日 | トーダル
 ベラルーシの音楽ニュースでトーダルの初来日のことがすでにニュースになっています。(まだ行ってないのに。)
 共演するオルケステル・ドレイデルさんのことも記事になっています。おお・・・
(ただし、記事は全部ベラルーシ語。)そして、ついてる画像は、・・・変。(まあ、日本を意識してこの画像にしたんだろうな。

http://music.fromby.net/article/1036/
 

 これは日本へ出発する前に行われたインタビュー。(ベラルーシ語)

http://generation.by/news2098.html

 ここでも「日本に行ったらヨーコ・オノに会いたい。」と言っている。そんなにヨーコ・オノが好きなのか? 知りませんでしたよ、トーダルにそんなに好きな日本人がいたなんて。と言うか、ジョン・レノンが好きなんだろうな。

 こちらはロシア語のニュースサイト。画像はありませんが、ロシア語読める方は、こちらをどうぞ。内容は両方のニュースともほぼ同じです。

http://www.puls.by/news/2868/

トーダルにインタビュー 「月と日」について・後編

2008年01月12日 | トーダル
(前編からの続き)

P:今ベラルーシでは日本の文化が流行っていますよね。村上春樹といった文学、映画とか詩。このような流行に合流したいと思いましたか? あるいは現代日本文化に対する興味を興したいとは思いませんか?

トーダル:このアルバム自体は何も興さないよ。ただ、とっても美しい・・・僕はそう思うな。すごくうれしいのは、僕がついに他の作曲家と交わることができて、自分が作ったわけじゃない歌を歌ってるってことなんだ。(* 確かに自分以外の音楽家が作った歌をトーダルが歌うのは、非常に珍しいことです。)
 この曲を聴いてみたら、たぶん10曲中8曲がメジャー調の明るい歌で、2曲だけがマイナー調の哀しい歌だと多くの人は思うでしょう。でもね、僕にとっては正反対なんです。8曲がマイナー調で、2曲だけがメジャー調の歌なんです。
 日本文化の流行のことだけど、どうなんだろ、そんなこと考えもしなかったな。もちろん現実に流行に合流できたらいいと思うよ。でも一番大事なのは、このCDはベラルーシ人のために作った、ということなんだ。この文化をみんなで分かち合えたら、と思って作ったんです。(* トーダル、よく言った! えらいぞ。拍手!)

P:アダム・グリョーブスは俳句を朗読しているのですか?

トーダル:いいえ、ただ自作の「日本風」な詩を朗読しています。(* あの挿入詩はベラルーシ人が感じるところの「日本風」なんだそうです。)
 話し合って俳句はやめておこう、ということに決めました。俳句はない代わりにいろんな詩を入れました。ベラルーシの類似点もある詩もいくつかありますよ。そうしたら、本当に日本とは不調和なものができました。(* この不調和性をトーダルは成功と捉えています。何せ「対比」がテーマですから。)
 僕はいつも自分の音楽の中に、独自の映画やイラストが加わっているような、そんな音楽を作りたいと思っているんですが、今回それができたと感じています。
 ところで、アダム・グリョーブスは日本について、いろいろ知っていますよ。その点、僕はほとんど素人。おもしろいと思うのは創作活動とその過程だね。

P:冗談でこのCD「月と日」はNeuro DubelのCD「タンキ」と比較されるのではないでしょうか? 「タンキ」も日本の美術観にどこか関連しているでしょう。ですから、同系統の分野という意味では、「月と日」はベラルーシ初の日本の歌のアルバムとは言えないのでは?

(* Neuro DubelのCD「タンキ」についてですが、ジャケットデザインをここで、ご紹介できないか検索したのですが、見つかりませんでした。「タンキ」とは「短歌」と「戦車」(ベラルーシ語で「タンク」)の複数形です。
 ジャケットデザインを言葉で説明すると、表ジャケットの真ん中に戦車が2台、そしてその周りに桜の花が描かれていて、縦書きでバンド名やCDタイトルが書かれています。裏ジャケットは、灰色の筆文字で「ベラルーシはあなたのために ベラルーシはわたしのために」と下手な字で一面びっしり繰り返し書かれています。中を見ると、リーダーが中国風の衣装を身に着け、茶碗を手に持っている写真が・・・(茶道のつもり?)
 正直言って、このジャケットデザインを見たとたん、購入する気が失せ、収録曲「タンキ」も私は聴いたことがありません・・・。
 Neuro Dubelなんて、ブラックユーモア系コメディ・バンドなのに、「月と日」といっしょにしないでほしい。)(怒)

トーダル:Neuro Dubelのリーダー、サーシャ・クルリンコビッチに、日本の歌のCDを作ることについて、電話したんだ。でも彼は何も反対しなかったよ。(* クルリンコビッチに反対されたら「月と日」は作らなかったのか、トーダルよ! 反対されても作っていただろう!)
 僕は日本のオリジナル曲を演奏したわけだしね。確かに東洋をテーマにする作曲家は今までにたくさんいたよ。彼らは作品の中で
「ほら、このように自分は日本を見ていますよ。」
と言っている。でも僕が歌う曲は、もともと本当の日本人が作曲したものだからね。まあ、いろいろ言ったけど、もちろんこのアルバムには、僕の日本の芸術観に対する考えが存在しています。
 マーサがくれたカセットテープに録音されていた歌のほとんどは、子どもが歌っていて、とても短かくて、簡素で、かわいらしいものだった。それはみんな、とても変っていて、それでいて、とても感動的な曲だった。
 その後、僕は分かったんです。ベラルーシ人は、日本人とは違う! そして日本人は、ベラルーシ人とは違うんだって。(* 「そんなの当たり前じゃん。」なんて言わずに最後までお読みください、皆様。)これが分かったときの陶酔状態! 
 これらの日本の歌はとても奥深くて、その中にすごく真剣なものがあるんです。
 そんなわけで、二つの文化が音楽を通して「出会う」・・・こういった方法を採ることにしました。

P:アルバムのタイトルは、どのようにしてつけたんですか?

トーダル:「月と日」というタイトルは、ちょうどベラルーシと日本の「出会い」を表しています。もっともこのシンボルマークはフランツィスク・スカリナのもので、普通、太陽と月と呼ばれるものです。スカリナの商標ですよね。マーサはこのマークがとても気に入っていました。日本語では、月と日という二つの漢字が「流れゆく人生」「時の輪」を意味するんだそうです。何かこう、静かで、永遠で、常に動きの中に存在するもの・・・。
 このシンボルマークの意味においてでも、二つの文化が出会ったことになるんです。
 でもまあ、何だかんだ言っても、このアルバムはとても日本的ですよ。ちょっとばかりロックンロールが入っているとしてもね。
  
P:ということは、このアルバムは、あなたの日本に対する熱い関心からではなく、実験したい、という願いから作られたのですね?

トーダル:これはとても難しいプロジェクトでした。でも、いつも僕はこのようなプロジェクトに心惹かれるんです。マヤコフスキーの詩に曲をつけたCD「MW」も同じ理由で作りました。これも簡単じゃありませんでしたよ。たぶん僕はエゴイスティックに自分自身のことを、音楽を通して「教育して」いるんです。
 今、僕は日本についてもっと知りたい、と思っています。つい最近、ふっと分かったんです。日本の曲はとても簡素。ところが、その音楽を他の言語に訳することは本当に難しいことなんです。

P:あなたはいつも何かとても難しい課題や境界や束縛を、自分に課していますね。でも人生は常に理想的であるとは限りませんよね。失敗については、どのように対応していますか?

トーダル:権力組織のある決まった範囲のためには、前もって失敗することを予測しておくようにしているよ。
 僕はよくステージに立つようにしていて、それで古くからの固定ファンもいます。難しいことをわざとしたくなるのは、心理的問題だね。つまり、僕は自分に地平線を広げさせ、自分自身の視界を広げるような企画が好きだっていう「問題」です。そして、そのために全てのプロジェクトを現実のものにしようとします。
 もちろん、自分自身を高めることは、おそらくないだろうと思われるテーマは最初から選びません。個人的な嗜好で選ぶようにしているんです。例えばマヤコフスキーと僕は誕生日がほとんど同じで、マヤコフスキーの人生は難しいものだったけど、僕の人生も「楽しい」もんですよ。
 確かに僕はいつも自分の目の前に、野心に満ちたプロジェクトを置くようにしています。でも、それを成功させるには、たくさん働いて、知って、読んで、感じて、常に自分の表現力を磨いていなければならない。それに僕には献身的なファンがいます。いっしょになって、表現力の進歩を手伝ってくれる、ファンの感想がね。
 多くのベラルーシ人リスナーは低品質の音楽に慣らされていっている。単純で原始的な音楽です。まじめな音楽を聴いたり、それについて考えたり、詩を読んだり、まじめな絵画などを見る人は減ってきています。
 芸術を理解すること、それは本当に大変な作業。それが分かっている人々も少なくなってきている。ミンスクにとっては、これは現代の問題だよ。僕の創る音楽が、何とかこの現状を変えることができれば・・・と僕は願っているんです。

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 この画像も「РИО」からです。
 トーダル君インタビュー記事は全部で4ページに渡っていましたが、そのうちの最初の見開き2ページを撮影しました。(この画像の掲載は許可を得ています。)

 「月と日」プロジェクトがトーダルにとって、「地平線を広げさせ、自分自身の視界を広げる」ような企画であったことを祈ります!


トーダルにインタビュー 「月と日」について・前編

2008年01月12日 | トーダル
 トーダル&WZ-オルキエストラが2005年に発表したアルバム「月と日」について、当時ベラルーシのマスコミがさまざまな報道をしました。

 その中で最も詳しいのが、雑誌「РИО」(2005年第38号 9月19日発売)の記事でした。(雑誌名は「娯楽と休息」の略語。)
 これを読めば、他の報道の内容も大体網羅している(少々、くだらない質問もしていますが。)と思われますので、その日本語訳を公開します。(ただし、「月と日」に関する以外内容については若干省略しています。)
 また翻訳文中の(*)は私からの注釈。あるいはコメントです。

 原文は現在「Belarus Today」というサイト上でも読むことができます。(ただしロシア語表記のみ。)

http://www.belarustoday.info/?pid=20827


 この画像は「РИО」の表紙です。トーダルの横顔が表紙です。彼が向いている方角は当然右!つまり、東=日本!
 それにしてもバックに合成された日本語の古文書のようなものが、逆さまに印刷されているのが笑えますね。(^^;)
(この画像の掲載は許可を得ています。)


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「芸術を理解すること、それは大変な作業」

 トーダルは最も多芸で、最も驚かされるベラルーシのミュージシャンだ。常に意外な、いや、かえって馬鹿げて聞こえるほど困難な計画を立てる。ジャンルからジャンルへと移動する、創作活動の放浪の旅を常にしているようだ。
 長い間その完成が待たれていたCD「月と日」をついに発表した。コンサートは本物の日本の歌がベラルーシ語で聴けるという、またとない機会となるだろう。ここにはサムライも羊男もいない。桜の花も富士五十夜景もない。(*「さくら」は収録されてますよ! それと「富士五十夜景」って「富嶽三十六景」の間違い?)

 日本文化愛好者がひけらかす標準的でステレオタイプ的な、そして陳腐な日本より、このCDはずっと難解で、繊細である。
 ここにはバラードがあり、カントリーミュージックがあり、ジャズさえある。しかし、このCDの持つ世界観は明らかに日本的であり、それにより独自の性格を持ち合わせているのである。

・・・ 

РИОの記者(以下、P):まずこのプロジェクトについて、はじめから話してください。CD完成まで2年もかかったのは、どうしてでしょうか?

トーダル:全ては日本人マーサに出会ったことから始まりました。プロデューサーをしているユーリー・ツィビンのおかげで会うことができたんです。二人は日本の歌をベラルーシ語に翻訳してみないか、と持ちかけてきました。そのときは、どんな曲ができるのか、まるで分かりませんでしたね。でもこのアイデアはおもしろそうに思えました。日本の歌をベラルーシ語で歌える、なんて今まで考えもしなかったし。
 マーサとは今後どのように話を進めたらいいか、話し合ったのですが、当時は別のアルバム(* 2004年発表のCD「愛の汽車」のこと。)を作っていて、忙しかったんです。日本の歌のCDは慌てて、間に合わせ的には作りたくなかった。
 その後、僕は詩人のアレーシ・カモツキーといっしょに翻訳を始めました。日本の歌が録音されたカセットテープと、歌詞をロシア語に翻訳されていたのをもらっていたんですが、作業はとても難しいものとなりました。
 まず、オリジナル曲を聴いたんですが、何だか二人とも変な気分になりました。というのも、日本のことについて伝統がある古い国で、サムライがいるといったイメージを持っていたけれど、収録予定の曲は現代西欧音楽に聞こえたからです! (* トーダル君たちは日本の音楽イコール東洋の音楽で、とてもニョロニョロした音楽を想像していたようです。)
 まあ、とにかく課題が難しければ難しいほど、働くのが楽しくなってくるんですよ。

P:このアルバムには何か構想はありましたか?

トーダル:構想を決める段階で、これは自分一人でできる仕事ではない、と分かりました。そう、いろんな楽しい、思いがけないプレゼントがつまった共同のプロジェクトなんです。それにアレーシ・カモツキーが参加するのは自然なことでした。そこへアリャクサンダル・パミドーラウがラップでもって合流する。さらにアダム・グリョーブスが詩を持って合流。ミハル・アネムパディスタウも僕たちを支えてくれた。文字通り総動員の状態です。
 そして一番大事なのは、(特に僕にとっては、これが自慢なんだけど)今まで誰も日本の歌をベラルーシ語に翻訳した人がいなくて、日本の有名な歌を編曲した人もいなかった、ということなんです。
 ところで、はっきり知っているわけじゃないけど、ベラルーシと日本の文化には共通するものがあるんですよ。例えば、日本にも日本のダジンキ(* 収穫祭のこと。日本で言うところの「村祭」)がある。
 曲は季節に合わせて順に収録されているんですが、日本固有の世界観で、並んでいるんです。だからCDは春の茶摘み式の歌から始まる。(* 収録曲最初の曲は「さくら」で、「茶摘み」は初夏の歌だから3番目です。)

P:このCDは日本とベラルーシの文化交流の促進につながる可能性はあるでしょうか?

トーダル:もちろん、どんな可能性もあるよ。経営の視点から対応すればね。でもそれはそんなに重要なことじゃない。このCDが日本人にとっても、おもしろい作品であれば、と思っているんだ。そして、僕は日本に行ってみたいけれど、単に「編曲の専門家」として行くのではなく、「ベラルーシ文化の公式代表者」として行きたい。(* 全くそのとおりです! トーダルは編曲しかしていない人だと、日本の皆様に勘違いされたくないと、私も思っています。)

P:編曲した曲はオリジナルとはだいぶ違っているのですか? 独自の「混合分野」を作りたいとは思いませんか?

トーダル:もしオリジナル曲を実際に聴いたら、どのように違うのか分かると思うよ。
 まず、歌詞が全く違うんです。マサカが書いた歌詞の逐語訳からアレーシ・カモツキーは非の打ちどころのない完璧な詩の翻訳をした。ロシア語訳には「この歌ではこういうことを歌っていますよ。」といったことしか書いてなくて(* 私としてはもっと詳しく翻訳したつもりでしたが。)言葉を拾って詩を作ったんです。でも、できるだけ元の歌詞を変えないように努力しました。反面、収穫祭の歌「村祭」は「ダジンキ」について歌っている歌詞もわざと加えました。
 大体において、僕たちはこんな印象を持ちました。日本の音楽家はモスクワ音楽院で教えることのうち必要最小限だけ学んだじゃないかって。ハーモニーはとても西洋風なんだけど、歌詞は日本の風土そのものです。そんなわけで、このCDでは対比というものを特色として出すことにしました。古くからある対比、です。例えば「静けさと嵐」「愛と憎悪」といったような。

(* トーダルは他の新聞

http://mk.by/archiv/30.09.2005/rub11.php

のインタビューで「日本の詩は人生そのものについて瞑想している。」と感想を述べています。
 このインタビューで語っている「対比」の発想は、そのまま日本の歌とグリョーブスさんの朗読する詩の構成にも当てはまります。他にも「○○とXX」という発想はあちこちに見られます。「日本とベラルーシ」「日本語とベラルーシ語」「音楽と文学」「春と秋」「夏と冬」・・・
 「月と日」というアルバムタイトルにも、これは言えることです。タイトルは私の発案によるもので、トーダルたちが作業を開始した時点で、すでにタイトルも決定していました。私は「対比」という発想は持ち合わせていなかったのですが、図らずもこのような意味づけが、作られていく過程で、このアルバムになされていったのでした。)
 
 (後編に続く)