昨日のこと 娘夫婦が久しぶりに遊びに来て
食事をしながら いろんな話が盛り上がっていた時
「拓也も頑張っているよ」と、つい言ってしまった。
このところ・・・いやもっと前からだったのだろうが
鈍感な私は気が付かなかった というか
10歳も年上の 長男長女は 拓也が生まれたとき
超未熟児で命があることが不思議くらいの状態から
神様から頂いた生命力を身いっぱい 生かし
自分が本当に好きなことに出会い
それを職業にして 頑張っている姿は
きっと兄弟なら 喜んでくれているだろう
心配もしてくれているだろう と・・・
勝手に思い込んでいたようだ。
どうも拓也の話を持ち出すと 空気が悪くなっていくので
そのあたりで気が付くべきだったのに
二人は私から見ても 立派な大人だし
何も心配する要素もなかったので
心配りが足りていなかったらしい
もうひとつ 私がこだわっていた 拓也が高校を辞めたとき
「どうしょうもない人間だ!」と
お母さんが説得もせず 好きにさせたことをかなり
注意してくれた娘婿の手前
拓也がドラムで ご飯を食べていけるようになってほしい
そのためなら 何でも応援する!と
意地でも 拓也を世の中で通用するドラマーに!と
ほんらいの親の愛から 少しレールがずれていたこともある。
だから 頑張っているよと いわなくてもよいことを
聴きたくない人に 言っていたのだった。
そんなこんなを 話し合っているうち
子どもはいくつになっても 親から一番だと思われて居たいのだろうと
気がついた。
いつの間にか うえの二人は 兄弟の枠から外れ
自分と同じ 保護者であるような 錯覚をしていたとおもった。
一晩過ぎて 反省したり
どの子も育っていく過程で 必要な分だけは十分応援してきたことも
確認し
自分もそうだったように してもらったことは 忘れていく
思い出すときは 親がいなくなったときか
子供で苦労をしているとき だったのだと・・・
感謝につながってっ行くのは
60歳を過ぎ 人生のほぼ経験を積んだ頃にならないと
分からないんだな~と。
お母さん ごめんなさい!
食事をしながら いろんな話が盛り上がっていた時
「拓也も頑張っているよ」と、つい言ってしまった。
このところ・・・いやもっと前からだったのだろうが
鈍感な私は気が付かなかった というか
10歳も年上の 長男長女は 拓也が生まれたとき
超未熟児で命があることが不思議くらいの状態から
神様から頂いた生命力を身いっぱい 生かし
自分が本当に好きなことに出会い
それを職業にして 頑張っている姿は
きっと兄弟なら 喜んでくれているだろう
心配もしてくれているだろう と・・・
勝手に思い込んでいたようだ。
どうも拓也の話を持ち出すと 空気が悪くなっていくので
そのあたりで気が付くべきだったのに
二人は私から見ても 立派な大人だし
何も心配する要素もなかったので
心配りが足りていなかったらしい
もうひとつ 私がこだわっていた 拓也が高校を辞めたとき
「どうしょうもない人間だ!」と
お母さんが説得もせず 好きにさせたことをかなり
注意してくれた娘婿の手前
拓也がドラムで ご飯を食べていけるようになってほしい
そのためなら 何でも応援する!と
意地でも 拓也を世の中で通用するドラマーに!と
ほんらいの親の愛から 少しレールがずれていたこともある。
だから 頑張っているよと いわなくてもよいことを
聴きたくない人に 言っていたのだった。
そんなこんなを 話し合っているうち
子どもはいくつになっても 親から一番だと思われて居たいのだろうと
気がついた。
いつの間にか うえの二人は 兄弟の枠から外れ
自分と同じ 保護者であるような 錯覚をしていたとおもった。
一晩過ぎて 反省したり
どの子も育っていく過程で 必要な分だけは十分応援してきたことも
確認し
自分もそうだったように してもらったことは 忘れていく
思い出すときは 親がいなくなったときか
子供で苦労をしているとき だったのだと・・・
感謝につながってっ行くのは
60歳を過ぎ 人生のほぼ経験を積んだ頃にならないと
分からないんだな~と。
お母さん ごめんなさい!