先月出かけた、佐賀への旅・日記。
最終日のラストスパートです。
夕方、福岡空港へ戻るまでに、
まだ行きたいところがあります!
今、佐賀と言えば・・・
吉野ヶ里遺跡でしょう!!
弥生時代の最大、環濠集落跡は、
広い広い「吉野ヶ里歴史公園」になっています。
吉野ヶ里遺跡・・・
ただいま、おおがかりな発掘・調査中、
期待が高まっているのです。
「フィーバー」って、いかにもバブリー😅 ですが・・・
バブル直前の頃。
吉野ヶ里遺跡の発掘の結果、
「魏志倭人伝」、卑弥呼の邪馬台国は九州、とする
「九州説」が勢いづきました。
でも、その後、
奈良の纏向遺跡(まきむくいせき)が
発見されて、「畿内説」が盛り返し・・・
今回の発掘で、
再び「九州説」の強まる発見があるのでは!?
と、期待が高まっているのです。
・・・と言いながらも、
私たちは、この時代は、どうも・・・😖
二人とも歴史は好きなんですけれど ・・・
ここを訪ねたのも、
そんな発掘が行われているとは知らず、
「日本100名城」のスタンプのためだったという・・・😅
あまりに広い公園・・・
あまりに暑い日・・・
(5月とは思えないぞ~)
ヘタレな60代が歩けるはずもなく・・・
↑園内バスで、ぐるり一周して帰ってきました。
話題の発掘現場も素通り、
バスの中から、ちらっと眺めただけでした😅
バスの中から、ちらっと眺めただけでした😅
でもね・・・
唯一、見学した「北墳丘墓」↑↓から
「甕棺墓列」を経て「北内郭」へのルート。
これは、心がしんとしました。
↑「北墳丘墓」は歴代の王の墓。
今は、それ自体が展示館となっているのです。
展示館を出れば、
そこからは「甕棺墓列」が続きます。
こちらは庶民の墓。
エンエンと甕棺の列がつながっていたそうです。
弥生人と令和の私達では
死生観は違いましょうが・・・
それでも、
身近な人を喪う悲しみは同じはず・・・
粛々と続いたという甕の列に
言葉をなくすばかりでした。
ここに絞って見学したことで、
かえって吉野ヶ里遺跡の印象が強まった・・・
かもしれません。
どうか、無事に発掘・調査が進みますように!
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
本日の画像は、夫が撮影したものです。
わたしはヘロヘロで・・・ほぼ撮影せず。
日曜日、
どなた様にも「優しい風が吹きますように」
吉野ヶ里遺跡のあの「フィーバー」ふたたび、
となるか、興味深いところですよね~
この日も、熱心なファンの方々が(平日なのでシニアばかり!)
発掘現場を見学しておいででした。
邪馬台国、わたしは九州へ行けば九州説に、
奈良へ行けば畿内説に傾いていますw
失礼ながら、アクセスしやすくてびっくりしています。
あっこちゃんもぜひぜひですよ~~~~
いままで発掘が出来なかったところで発掘した石棺を開けていて・・・
邪馬台国の九州説の照明になるかも・・・と。
今週中には何かしらの発掘品が出て・・・何かしらの証明もなされるかも・・・
佐賀の旅、堪能されましたね。
帰京の時間までぎりぎりまでの吉野ケ里。。。
新発見があったら是非もう一度行かれてくださいませ。
実は私、吉野ケ里遺跡には行ったことないんです。