上間陽子『海をあげる』(筑摩書房)。
「海をあげる」・・・?
どういう意味なんだろう・・・と思いつつ、読み進め、
最後の最後、その意味を知らされました。
その重さに、しばし放心・・・
(以下、画像は昨年の旅で撮影した今帰仁<ナキジン>城跡。
上間さんの祖父母様は今帰仁村に、ずっと住んでいらしたとか)
去年の今頃、沖縄を初めて旅しました。
今まで妙に構えてしまい、避けてきた土地です。
それだけに、出発前、沖縄を知りたくて、社会学者・岸政彦氏の
本を読み・・・上間陽子『裸足で逃げるー沖縄の夜の街の少女たち 』
(太田出版)に行き会いました。
『裸足で逃げる』は、沖縄の夜の街で働く少女達に
上間氏が寄り添い、聞き取りをした記録です。
恋人や家族からの暴力の中、身を守りながら、
必死で生き抜く10代の女の子・・・
わたしの想像の域を遙かに超えていました。
その彼女たちに、どうして上間氏は、ここまで寄り添えるのだろう・・・
読み終わった後も、ずっと考えていました。
その答えが、ほんの少し、上間氏の初エッセイ集、
この『海をあげる』で、わかったような気がしています。
とはいえ・・・冒頭エッセイから、つまずいてしまいました。
自分にひきつけ、考え込んでしまったのです。
書き下ろしでもある、「美味しいごはん」で
上間さんは、ご自身の若き日の苦しみを語っていらっしゃいます。
それを受け、エッセイの最終盤は、現在の幼い娘さんとの暮らしに移り、
こんな風に綴られていました。
「あなた(娘さん)の窮地に駆けつけて美味しいご飯をつくってくれる友達が
できたなら、あなたの人生は、たぶん、けっこう、どうにかなります。
...そういう友達と一緒に居ながら人を大事にするやり方を覚えたら、
あなたの窮地に駆けつけてくれる友達は...どんどん増えます。」31頁
ご自身の経験を元に語られる、この言葉に、
わたしも、ウンウンとうなずきました。
・・・うん?
待って、待って!
私の友達も、私も、窮地に立ったとき、そのことを、相手に話してきたかな?
・・・少なくとも、わたしは、人生で一番辛かったことを、
今もって他人に話してはいないよなぁ。
友達も、あとから、「実はね・・・」と話してくれることはあっても、
渦中で口にすることは、おそらくないのではないかしら・・・
もしかして、それは、相手が私だから・・・
頼りないからなからなの・・・?
わたしは、きちんとした人間関係を築けなかったのだろうかと
考え込んでしまいました。
いやいや・・・
たぶん、わたしの友達は、辛くても、そのときに、辛いとは言わず、
じっと一人で過ごしてきたのだと思います。
だから、友達である私が、窮地に駆けつけ
彼女たちに「美味しいごはん」を食べさせてあげることもできない・・・
この上間さんとの違いは何なんでしょう?
う~ん・・・
私より一回り近く年下の上間さんとの世代の差?性格?
むしろ、これから老いていく歳月の中で、必要なことなのかも。
窮地に立ったとき、「美味しいごはんを作ってくれる」ことは
比喩的な意味としてとらえ・・・
生きることを支えてくれるとでも、言い換えましょうか・・・
いずれにせよ、人と人との結びつきという意味で納得し、
次へ・・・という具合に読み進めました。
ここを導入として、人が人を大事にすることを、
どのエッセイでも語られていきます。
でも、上間さんが一番語りたかったことに対し・・・
私は、何も言えないのです。
本のタイトル「海をあげる」の「海」は、沖縄の海のこと、
米軍基地問題につながるのでした。
この件については、
沖縄出身の知人から、地元でも、いろいろな考えがあると聞いています。
彼は、明らかに上間さんと違う意見でした。
地元を二分するような大事なことを、
軽々に語ることはできません・・・
今は、ただ・・・
上間氏や岸政彦氏の著作だけでなく、逆の立場も含め、
きちんと受け止め、考え続けていきたいと思います。
一年前、初めて旅した沖縄は、
わたしのちっぽけな想いを吹き飛ばす、圧倒的な存在でした。
また、いつか沖縄を旅するときには、しっかりと向き合えるように・・・