沖縄の旅・・・
「日本100名城」スタンプ集めで、グスクを訪ねました。
本日は、勝連城(カツレンジョウ)のお話です。
前記事、中城(ナカグスク)でも触れましたが、琉球王国時代の
「護佐丸・阿麻和利(ゴサマル・アマワリ)の乱」。
中城が護佐丸なら、勝連城は阿麻和利の城でした。
勝連城も、世界文化遺産、国指定遺跡、そして「続日本100名城」の城です。
まずは、アタクシが胸キュンキュンとなる、
沖縄の城(グスク)のポイントから申しますと・・・
その1、海が見える!
眼下に海が眺められ、海外貿易が盛んだったことも納得でございます。
近代までは、城で行われる神事の最中に、
城下の漁村から、魚を売りに来たなんてこともあったとか。
その2、曲線を描く、石垣(城壁)が美しい!
その3、祭祀の場でもあったこと!
勝連城は、阿麻和利の敗北、落城で、廃城になります。
でも、その後も、17世紀頃までは祭祀の場として使われていたのだとか。
そのせいか、グスク内に御嶽(ウタキ)がたくさんあります。
首里城と同じく、政治的な施設である殿舎の前に、
儀式や祭祀が行われる、広場(御庭:ウナー)のある形式だとか。↑
・・・ということで、こちらも、アタクシのキュンキュン・ポイント三つを持つ、
見事なグスクでございます。
それに加え、「護佐丸・阿麻和利の乱」の阿麻和利の城ですから、
面白さも倍増でした。
勝連城は、アジア諸国との貿易で財政も豊か、
城の普請も見事です。
たとえば、石段。
これがやたらと急なんです。
曲輪と曲輪を結ぶ石段は、右旋回した、急傾斜・・・
急傾斜は登りにくく、スタミナを消耗します。
さらに、右旋回することで、敵方の機動力や攻撃力を削ぎ、
城方の攻撃が有利になるのだとか・・・
(これって、右利きが多いからっていうこと?)
さらに、一の曲輪へ向かう階段は、最終防衛ライン。↓
登るにつれ、階段の幅が狭くなっているのだとか・・・
攻め手の兵士の辛さを体感できましたw
おみ足に自信のない方は、お覚悟を!
阿麻和利は、ライバルの重臣・護佐丸を排除するため、
王に讒言、まんまと信じ込ませた後、護佐丸を滅ぼします。
次に狙うは、王位です。
ところが、護佐丸の妻は琉球王・尚泰久の娘、百度踏場(モモトフミアガリ)。
夫の企みを知ると、首里城の父に、これを知らせます。
百度踏場は、琉球王と護佐丸の娘である后との間に生まれた王女。
父と祖父を裏切った夫・阿麻和利が許せなかったのかもしれません・・・
それとも、大城賢雄に惹かれていたのか・・・
百度踏場は、注進のため、首里へ向かう間、
付き人である大城賢雄(オオシロケンユウ)に背負われていたとか。
この後、大城賢雄は、王府軍を率いて戦い、阿麻和利を滅ぼし・・・
百度踏場は、大城賢雄と再婚します。
もともと好感があったのか、それとも、危機に遭って助けてくれたからか
百度踏場は大城に惹かれていたと、思いたいのです。
だって、二度も政略結婚したのだとしたら、切ないではありませんか!
ところが、大城賢雄も、やがて王府の陰謀によって殺され、
百度踏場は再び夫を喪い・・・その後、寂しい隠居生活を送ったとか・・・
この「護佐丸・阿麻和利の乱」で一番、得したのはダ~レ?
実は、琉球国王・尚泰久なのです!
史実だけ見ると、阿麻和利は、とんでもない奴ですが・・・
現在の研究では、阿麻和利も、また名君であったと讃えられていたことが
明らかになったとか。
結局、「護佐丸・阿麻和利の乱」は、
二人の力を畏れた、琉球国王が仕組んだ陰謀だったのではないかとの説も
浮上しているそうです。
実際、この乱の後、琉球王家に対抗できる有力な家臣はなくなり
政権は盤石になるわけで・・・
勝連城には阿麻和利にまつわる伝説が残っています。
一の曲輪の「玉ノミウヂ御嶽」は、大きな石をご神体としています。
この石は、勝連城を守護するとされおり、グスク時代は建物の基礎だったと・・・
上の画像・霊石の、右にある洞窟に、ご注目。↑
これは、下にある、二の曲輪の「ウシヌジガマ」とつながっているとされます。
「ウシヌジ」とは身を隠すの意味で、
天災や戦のとき、このガマ(洞窟)に身を潜めたとか・・・↓
難攻不落の勝連城が落城する際、
阿麻和利は、、一の曲輪から二の曲輪へ、
そして現代の読谷へと逃げ延びたとか・・・
阿麻和利を慕う庶民が、名君を喪った嘆きが、
このような伝説につながったのでしょうか・・・
だとしたら、やっぱり、阿麻和利は簒奪を企んだ悪人ではなさそうです・・・
歴史は、強者の言い分だけが残るのが
世の習いでございますなぁ・・・
(大河ドラマ「麒麟がくる」の明智光秀だってねぇ・・・)
英雄ゆかりの城として、また祭祀の場として、歴史に名を刻んだ勝連城。
残念ながら、大正時代以後は海岸整備工事や建築用材として、
城の石が使われるようになり、石垣が消えてしまったのだとか・・・・
◆参考
上里隆史・山元正昭『沖縄の名城を歩く』 吉川弘文館
「勝連城」パンフレットおよび、説明板
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