沖縄の旅、城(グスク)レポ・第1弾!
まずは、中城(ナカグスク)。
「世界遺産」「国指定史跡」「日本100名城」と三冠のグスクです。
初めて見た、沖縄の城(グスク)と言うことを抜きにしても、
一番、感動した城でした。
・・・というのも、まず、大好きなツワブキに感激しました。
毎年、ツワブキ祭をするほど、こちらは、この花がいっぱい!
築城の頃に植えられたと言われているので
14世紀後半から、ツワブキの咲き乱れる城だったということ・・・
素敵!
そして、何よりも、沖縄戦で、ほとんど被害を受けなかったたため
築城当時の姿を、ほぼ残していること・・・
旅の間、折に触れ、沖縄戦のすさまじさを知らされたため、
これは、もう、奇跡的・・・
たとえば、↓の裏門は、黒船のペリーも絶賛したそうです。
そんな姿を沖縄の中部の城で留めているなんて・・・
それは、感動します!
さて、前記事でも書きましたが、・・・
グスクの魅力、その1、海が見えます!
軍事施設としてみるならば、崖の上に立ち、まさに天然の要害です。
グスクの魅力、その2、城壁(石垣)がカーブを描いているのが、
見慣れた戦国の城とは違う美しさで、うっとりでした。
ここの場合、連郭式山城で六つの曲輪を、美しい石垣が取り囲んでいました。
石垣は、琉球石灰岩(サンゴ。「ブラタモリ」でもお馴染みw)の切石で
積まれています。
しかもっ!
中城で、注目すべきなのは、三種の石垣を見られることです。
沖縄のグスクは、本土よりも古い時代から石積み技術が発達していたとか。
(台風の被害が大きいからかなぁ)
まずは、野面積み。↑(つわぶきでよく見えませんが・・・)
一番古い積み方で、石を自然ののままに使って積んでいきます。
隙間があるため、敵に登られやすいのだとか・・・
一方で、排水は良いそうです。
次の時代が布積み(豆腐積み)。↑
豆腐のような(まさにw)直方体の石を一列に積み上げます。
大きな石を使うと、強度も上がるのだとか・・・
そして、あいかた積み。↑
本土の城では、亀甲乱れ積みと呼びますが、
亀甲形(多角形)の石を組み合わせています。
三種の中では、一番頑丈なのだとか。
野面積み、布積み、あいかた積み・・・
中城の曲輪で言うと、南から北への順です。
この順に、城を拡張していったということなんでしょうね。
そして、グスクの魅力、その3、祭祀の場であること。
こちらでも、8つの拝所があります。
今でも、拝む人が絶えないそうですから、
それだけ、地域に根付いている神域なんですね。
琉球の歴史には、とんと疎かったのですが、
それでも、覚えてきたのが、護佐丸・阿麻和利(ゴサマル・アマワリ)の乱。
現在の中城は、この護佐丸が増築しました。
護佐丸が増築した部分は、新城(ミーグスク)↑と、呼ばれ、
この増築が、のちの悲劇につながってしまうのです・・・
15世紀、琉球は、ようやく統一されますが、まだ尚・王家の力は
盤石とは言えません。
琉球王・尚泰久は、勝連城主・阿麻和利を警戒。
娘を嫁がせ、信頼する重臣・護佐丸を中城へ入封し、監視させます。
一方、阿麻和利は、まず、ライバルの護佐丸を追い落とすため、王に讒言。
護佐丸が中城を増築し、兵馬の訓練を行い、
謀反の準備をしていると告げたのです。
実は、護佐丸は、阿麻和利・対策として、城の増築、訓練を行っていました。
阿麻和利は、護佐丸をうまく利用したわけです。
最初は信じなかった王も、この讒言を信じ・・・
阿麻和利を総大将とした王府軍を中城に差し向けました。
護佐丸は、阿麻和利の策略にはまったことを悟るものの、
時すでに遅し。
王府軍には抵抗できないと、家族とともに自害しました(1458年)
でも、結局、阿麻和利も国王に滅ぼされちゃうんですけどね。
その顛末は、阿麻和利の城・勝連城で、また詳しく♪
(琉球寒緋桜が咲きはじめていました)
私たちは、この日、朝一番に入城です。
受付の後、もう一組のご夫婦と、電動カートで正門まで、上がります。
登り坂なので、とってもありがたい、サービスです。(無料!)
また、J★Bのツアー特典で、iPadによるガイドサービス(無料!)を
借りましたが、これが、とっても優れもの。
もし、ご利用できるチャンスがありましたら、おすすめです。
朝一番、緑豊かなグスクを独占、満喫・・・
これが、高評価の所以かもしれませんw
◆参考
上里隆史・山本正昭編 『沖縄の名城を歩く』 吉川弘文館
中城城跡パンフレット
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お読みいただき、どうもありがとうございました。
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一方通行のブログでごめんなさい。