MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2633 時には自分を振り返る

2024年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 振り返れば、現在ではすでに還暦を迎えている1960年代生まれの人々が、「新人類」などと呼ばれた時代がありました。

 高度成長や学生運動などを主導した一回り上の(やたらと熱い)「団塊の世代」が旧人類だとすれば、彼らに比べ少しばかりクールで斜に構えた若者たちの姿は、(上の世代からは)何を考えているかよくわからない不気味な存在に映ったのかもしれません。

 「しらけ世代」などとも揶揄された彼らは、その青春時代にバブル経済を経験し、気が付けば「失われた」と言われる30年にもわたる低成長の中を何とか生き抜いて、今や定年退職を迎えようとしています。

 その間、日本の社会に大きな戦争や政変などの混乱はなかったものの、幾たびかの経済危機や大災害、感染症のなどに見舞われる中を、何とか地味に生き抜いてきたというのが本音のところでしょう。

 そして時は移り、「令和」の時代を迎えた今日、様々な分野で世界的な活躍を見せている若い人たちは、ちょうど彼ら新人類の子供の世代に当たります。

 「令和の怪物」と聞いて真っ先に思い出すのは、米国メジャーリーガーとして活躍する大谷翔平選手(1994年生まれ)。打者と投手の二刀流で並外れた結果を出し続ける姿は、まさに本当の怪物と言えるでしょう。

 また、ボクシングの世界で史上2人目の2階級4団体統一チャンピオンとなった井上尚弥選手(1993年生まれ)なども、怪物の名に恥じないすさまじい活躍ぶりです。安定した実力と完璧なボクシングスタイルから『日本ボクシング史上最高傑作』と呼ばれ、世界中のファンから評価されている日本人の一人です。

 そして、もう少し若い世代となりますが、将棋の世界で史上初の7年連続での年度勝率8割以上、タイトル戦を勝ち進み史上初の八冠全冠制覇を達成した藤井壮太棋士(2002年生まれ)なども、「怪物」の呼び名にふさわしい活躍を見せています。ぼそぼそっとした話しぶりやシャイな笑顔に「怪物」の呼称はどうかとも思いますが、正確な棋風や勝率の高さ、連敗の少なさなどには定評があるところです。

 さて、そんな彼らに共通しているのは、年齢よりも随分大人びて見える落ち着いた振る舞いと、揺るぎのない「安定感」と言えるのではないでしょうか。「スランプ」というものを感じさせない実践成績からインタビューの受け答えまで、セルフコントロールの効いたその姿には、新しい時代の到来を感じさせるものがあります。

 イマドキの言葉で言えば、「メンタルが強い」ということになるのでしょうか。置かれた状況を冷静に分析し、物事をポジティブに捉え、ぶれることなく実践できる精神力に感心しているオジサンは、実際、私だけではないでしょう。

 世界一を決するような大きな戦いを前に、彼らはどうしてそこまで落ち着いていられるのか。5月10日の日本経済新聞のオピニオン欄「私見卓見」に博報堂若者研究所 の山崎茜(やまざき・あかね)氏が『若者から学ぶ「自分の扱い方」』と題する一文を寄せていたので、参考までに内容を紹介しておきたいと思います。

 一人ひとりの個性や多様性が尊重されるようになったこの時代、若者にとって人生の「正解」は外から与えられるものではなく、「自分だけの正解」として自ら探し求めるものとなったと山崎氏はこの論考の冒頭に綴っています。

 物心ついた時から交流サイト(SNS)などの膨大な外部情報に接している(Z世代と呼ばれる)若者たちは、「あなたはどうする?」と日々問われながら暮らしている。そこで興味深いのは、そうした状況への対処法として、若者たちが「自分の心身の扱い方」に対して極めて自覚的で、スキルを身につけていることだというのが氏の指摘するところです。

 外部からの刺激に影響を受けて変化し続ける自身の心身と向きあい、それを最適な状態に整えることは、若者たちにとってこの時代を乗りこなすための「必修科目」となっていると氏は言います。

 実際、博報堂若者研究所が大学生への調査を実施したところでも、「自分の扱い方」として若者が日々心身のゆらぎを「波」のように感じ、その振れ幅を時々の心地よい状態にするため、様々な行動を取り入れている実態がわかったということです。

 若者が自分の心身のゆらぎに向き合う方法は、2つに大別できると氏はこの論考で説明しています。

 氏によれば、その一つは「波をしずめる行動」とのこと。具体的には、一日SNSから遠ざかって予定を入れずに頭を空にしたり、好きなモノで満たした空間に身を置いたり、感情を極力言語化して吐き出したりすることなど。心身のゆらぎが大きく抑え切れなくなりそうな時に緊急避難的に外部の声を遮断したり、内なる声に耳を傾けたりすることで、荒立つ波を落ち着かせようとするということです。

 そしてもう一つは、逆に「波をつくる行動」だと氏はしています。これは、理想に向かって奮起したり未知の領域に手を伸ばしたりして、自ら心のゆらぎを増幅させようという行動のこと。具体的には、日常に刺激がないと感じた時に目標を立てて張り出してみたり、やったことのない予定ばかりをスケジュールに詰め込んだり、自己診断ツールを使って自分の未知な部分や可能性を掘り下げてみたりすることなどだということです。

 ネット上には様々な意見が飛び交い、わかりやすい正解や模範的な人生の形が見出しにくい現代社会であればこそ、心身の感覚に耳を澄まし自分で自分の機嫌を取ることは、(若者に限らず)これからの時代を生きる上で社会共通の課題となるだろうと、氏はこの論考の最後に記しています。

 まずは自分の状態を冷静に顧みて、必要に応じて刺激を与えたりクールダウンを促したりすること。自分自身を客観的に認知する能力を「メタ認知」と呼ぶそうですが、自分の思考や行動そのものを対象化して客観的に認識し、必要な対応を行っていくことの大切さを、かつて新人類であった私も改めて認識させられたところです。