物別れに終わったウクライナのゼレンスキー大統領との首脳会談を踏まえ、ついに(「禁じ手」ともいえる)軍事支援の停止に踏み切った米トランプ大統領。トランプ氏は、自国抜きの交渉に強く反発するゼレンスキー氏を(自身が公約として打ち出した)早期停戦の障害になると見て、交渉から排除してく方針に切り替えたように見えます。
米ロ主導の和平交渉に応じる姿勢を見せず、トランプ氏に対しロシアのプーチン大統領と妥協しないよう迫るゼレンスキー氏。一方のトランプ氏は、ウクライナにはこれ以上の消耗戦は難しいとして、ゼレンスキー氏の姿勢を「勝てる見込みのない戦争にアメリカを巻き込もうとしている」「第三次世界大戦をかけたゲームをしている」と、相当強い言葉で非難しています。
こうしてみると、「米国は一体どっちの味方なんだ?」と思わないではありませんが、3月5日の読売新聞(朝刊3面「いらだつ米「禁じ手」」)はこのような状況を、「トランプ氏が問題にしたのは、自身が主導する和平プロセスがゼレンスキー氏によって破綻しかねないことだ」と(割と)冷静に分析しています。
記事によれば、早期の和平実現を目指すトランプ政権は、まずは停戦を実現させ、それから(次に)より困難な課題を協議する「2段階」の和平を想定している由。そしてその第一段階としてロシアとの協議を優先させ、米ロ2国で設定した条件をウクライナや欧州に飲ませる流れを作ろうとしているということです。
会見後、Xに「私が言った通り、この男(←ゼレンスキー氏)は米国の後ろ盾がある限り平和が訪れることを望んでいない」と投稿したトランプ氏。2月3日には「タンゴは二人いなければ踊れない」と話し、まずはロシアを交渉のテーブルにつかせ、米ロ両国の間で話をつけることが最善の方策だとの意向を改めて示したと伝えられています。
一方で、確かに(読売新聞も指摘するように)米国による「軍事支援の停止」という強力な措置の背景には、プーチン大統領が嫌悪するゼレンスキー氏を交代に追い込み、ロシアの意に沿う形で両国関係をリセットするという思惑もあるのかもしれません。
ともあれ、聞きようによっては、「俺がこれだけ骨を折ってやっているのに、言うことを聞けないお前はクビだ!」と言っているようなトランプ氏の言葉の数々に、(ロシアの侵略行為に抵抗し)これまで多くの血を流してきたウクライナの人々はどのような感想を抱くのか。
「大国主義」とは、経済力や軍事力にすぐれた国がその力を背景として小国に臨む高圧的な態度を指す言葉。今回のトランプ氏の態度が、そうした(ある意味「圧倒的」な)力の存在を背景に、自国(米国)の利益を求める姿であることを否定できる人は少ないでしょう。
ゼレンスキー氏に対し、「あなたがタフな男になれるよう力を与えたのは私だ。アメリカなしではあなたはタフではいられないだろう」と話し、「あなたが取り引きをするか、アメリカが身を引くかのどちらかだ」と恫喝するトランプ氏の姿を目の当たりにして、いよいよこうした子供じみた(弱肉強食の)時代がやってきたか…と力を落とした人も多かったに違いありません。
そういえば、今から10年ほど前の2013年、米国オバマ大統領(当時)と首脳会談を行った中国の習近平国家主席が「広い太平洋には中国と米国の両国を受け入れる十分な空間がある」と語り、「新型大国関係として太平洋を両国で分割統治しよう」という話を持ち掛けた(と伝えられている)のを思い出します。
「大国主義」とはまさにそういうこと。いざとなったら大国同士で話をつければ全て事は済む。自分たちの利益になるなら、「おまえら小国は、ごちゃごちゃ主張せずに黙って従え」…ということなのかもしれません。
2月3日、米国のバンス副大統領はFOXニュースのインタビューで軍事支援停止後のウクライナへの対応について問われ、「(ウクライナが)本当の安全の保証を望み、ロシアのプーチン大統領が二度とウクライナを侵略することがないようにしたいのであれば、ウクライナの将来における経済的利益を米国人に与えることが最善の安全の保証になる」と話し、米国への利益供与こそがウクライナ国民の安全を担保することを強調したと報じられています。思えばこれも、ずいぶんと露骨な話。見方を変えれば、こういう言い方をしないと、米国の有権者には伝わらないということなのかもしれません。
「自国のことで手一杯な島国日本に暮らすお前が何を言うのか」…と叱られてしまいそうですが、それでもこうした状況を放置していて良いものか。第二次世界大戦の反省の下で、世界の人々が何とか築き上げてきた平和な世界や社会の秩序。これらを壊すのが「人身の劣化」であることを目の当たりにさせられるのは、あまり気分の良いものではありません。
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