アイツがいなくなってしまってから ずっと踏ん張ってきた。
ん?なんじゃそれ? と思った人は こちらへどぞ。
とにかくごちゃごちゃしたことは後回しにして
目の前のことに集中して 坊主を抱きしめて トモダチと遊んで
酒飲んでバレーやって 踏ん張ってきた。
でも。
ちょっと疲れた。
腕がプルプルしてきた。
だから ちょっと力を借りることにした。
筋トレで言うプロテイン的なもの(?)
自分一人ではもう支えきれないのである。
伊集院さん。 この言葉は本当ですか。
あれからずっと ちゃんまーは苦しくて哀しくてどうしようもないです。
毎日ちょっとずつ読んでる。
でも、愛娘をじっくり思い出すのも良いものだよ。
亡くしたばかりで、ああすれば良かった、こんなこともしてあげたかったって、苦しくて辛くても大切な愛しい娘を最後まで抱きしめられたんだもの。
明境くんと一緒に、Mちゃんまんの話をしようよ。
私も、8年前と7年前に最愛の息子とその母の愛娘を亡くした時、1人ぼっちになった気がした。
でも、残された娘のお陰でなんとか生き延びたよ。
今も新たに息子ができた、やんちゃな四つ足の息子が…
毎日、息子達に亡くなったママシェパや兄シェパの話を未だにしてる。
思い出万歳な日がくるよ。
一緒に過ごした日々は、絶対に色あせることはない。
一緒に過ごせた幸せを一生の宝物にして、
いつもいつも思い出してあげる事が、その子の
供養になると私は思っている。
たまにどっぷり落ちるのも、絶対必要だ・・・・
そうやって 人は強くなっていくもんだから。
明鏡ちゃんが、うちのジャムにそっくりだったから。
また、ちゃんまーさんが面白い人だから。
伊集院さんの文面を見て、思い出しました。
フランスのことわざに「別れは小さな死」というのがあります。別れは、小さな死のような体験だという意味です。
別れとは、一方的に失うものと解釈しがちですが、ドイツでは、別れは受け取るものであり、失うものだけではないと、その言葉に意味が込められているのだそうです。
小さな死をとげ、それを受け取り、そして小さな再生をとげながら、人生というものを成熟させていく、ドイツのフランクル「夜と霧」の訳者霜山とくじ氏の言葉ですが、その小さな死を経験した者として、とても支えになっています。
ちゃんまーさんは、ものすごいものをMちゃんから受け取ったのではないでしょうか。
祭壇のMちゃんの笑顔から、幸せがはみ出ています。^^
踏ん張って頑張っても、全然ダメな時間ってあるんだよ。
でもね、本当に少しずつ少しずつ、悲しみも苦しみも切なさも、きちんと消化できるようになる。
それがどのぐらいの時間が必要なのかは、人によって違うから。
長い時間がかかること=愛情の深さではない。
短い時間で立ち直ること=愛情の浅さではない。
愛情の深さは、自分と繋がった相手だけにしか分からないんだよね。
自分が闘病生活をする中で、そういうことって凄くクリアに見えてきます。
悲しいかな、どんな人間よりも四本足の子供たちの方が、遥かに遥かに深く強く愛情を感じるんですよ。
人間のようにタテマエは使わない。
いつも本音でぶつかってくる子供たちに、どれほど救われて助けられているか。
天使になった子達は、肉体と言う重たい荷物を脱ぎ捨てて、軽やかにいつでも私の傍に来てくれて。
辛くて、痛くて、苦しい時にそっと寄り添ってくれているのを感じる事が出来る。
面倒見ているつもりでいたけど、ホントは私の方が救って貰っているんだって、支えて貰っているんだって思う。
何度も旅立ちのを見送っても、それでも彼らと暮らしたくて。
何度も泣いて、悔やんで、哀しんで。
それでもやっぱり彼らと暮らすことを諦められないんだよね。
人間って、ホントにどうしようもないよね(笑)
ちゃんまーさん、もうさぁ、ホント良いんだよ。
何時までも泣いていたってさ、良いんだから。
私だってずっとずっと思い出しては泣いてるもん。
忘れない、絶対忘れない。
泣きながら思い出して、また泣いて。
そんな事ばっかりだよ。
生も歓喜死も歓喜
私はそう信じています。
ちゃんまーさん こんな私だけど
ちゃんまーさんの気持ちわかるから。
一人じゃないよ!
Mちゃん 笑ってるよ
でもまたありがとうって、言える日を待ってます。
基準が有る物でもないから 難しいんだよね
私の方が苦労している! とか
変な主張するヒトがいるけれど
誰にも計れないもん。
ちゃんまーさんが書けるだけの事を綴ってくれて
感謝しているよ。
想っても想っても足りないのが当然。
シャッターだって重くなる。
Mちゃん2世を迎える心の準備が整う頃でも
やっぱり心は傷ついたままの場所と
強くなってそれもを覆ってくれて
やがて「力」になるんだと思う。
遺された者には、「時=時間」というモノが流れています。
この「時=時間」というモノは、ゆっくりではありますが確実に流れ、色んなモノを違うカタチに変えてくれます。
今は、「時=時間」に身を任せ身を委ね流れてみてはいかがでしょう?
「時=時間」に甘えてみてはいかがでしょう?