朝シャワーを浴びて朝食を食べて、居間の掃除機をかけていたら読売新聞の集金。
安藤広重の「六十余州名所図会」二枚を持ってきてくれるのですが、
今月は「水運」がテーマの様です。
・「駿河 三保のまつ原」
三保松原といえば、日本新三景の一つ。
天女が舞い降りたという羽衣伝説も有名ですね。
謡曲「羽衣」の舞台でもありますね。
・「出羽 最上川 月山遠望」
「最上河のぼればくだる稲舟のいなにはあらずこの月ばかり」と古今和歌集にも詠まれているように、
最上川流域は米沢盆地・山形盆地・庄内平野と米どころがあり、稲舟が多く往来していたようですね。
「最上河上のぼればくだる稲舟の」までが「いな(否)」を導く序詞ですね。
最上川を上り下りして行き来する稲を積んだ舟ではないけれど答えは「否」ではないよ。
会えないのは今月だけですよ。
先月の広重の浮世絵と架け替えます。
そして日曜版には「ニッポン絵ものがたり」として「鯰絵と江戸の災害」。
「鯰の切腹」は安政2年の作品ですがこのころは黒船が来航し、安政江戸地震が起こった年。
ナマズは地震をおこすと信じられていました。
背中に矢が刺さったナマズ、地震をおこした罪により切腹。
すると腹から小判がザックザク。
それを千両箱に詰めて被害者に渡している。
そしてその様子を、矢を放った鹿島神が見届けているという図ですね。
「雨には困ります 野じゅく しばらくのそとね」(歌川豊国)
地震で歌舞伎小屋が被害を受けて役者の仕事がなくなったために描かれた絵。
「暫」の鎌倉権五郎景政が鯰坊主を要石で取り押さえていますね。
「ます」が三枡であらわされていますね。
安政江戸地震に際して発生した大火事を描いた「江戸大地震之図」
江戸だけではなく、南海地震も起こっていましたが、大坂が大津波に襲われていたことを描いた
「大地震末代噺種(第箋・地震津浪末代噺乃種)
浅間山の噴火を描いた「夜分大焼之図」
台風による水害を描いた「小田原大海嘯図絵」
カメラやビデオ、スマホの無い時代に災害を描いた江戸時代の人々の技には感心させられますね。
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