13・3・30
3月19日日経首都圏欄に
「東京は酪農大国だった」記事を見た。
野菊の墓を書いた伊藤左千夫は
東京茅場町で牛乳屋をやっていた。
もしかしたら牛乳の関係で
松戸の矢切を訪れたことが考えられる。
野菊の墓は矢切を舞台に描いた小説、
左千夫の年表を見ると、
牛乳屋を始めるに先立って、牧場で働いている。
松戸の矢切にも住み込みで働いている。
水上勉もやはり松戸の矢切に縁があり、
小説家を断念、洋服生地の行商をしていた。
川上宗薫によって、再び小説を書くようになった。
最盛期には毎日30枚以上書いた……。
左千夫は矢切の牧場に住み込みで働いていた、
水上勉は毎日30枚以上書いた。
野菊の墓はそれほど長い小説ではない。
左千夫が住み込みで働いていた矢切を
どう捉えているか、そのことに興味があった。
原稿用紙に換算すると、百枚足らず、
3日間集中すれば書き写せる、と思った。
小中学生用の国語ノートは
1冊60ページ一ページ17行、
タテ21・5センチ、
文庫本1行37文字、行数も文字数も丁度良い。
改行もそのまま、書き写す。
3月19日日経首都圏欄に
「東京は酪農大国だった」記事を見た。
野菊の墓を書いた伊藤左千夫は
東京茅場町で牛乳屋をやっていた。
もしかしたら牛乳の関係で
松戸の矢切を訪れたことが考えられる。
野菊の墓は矢切を舞台に描いた小説、
左千夫の年表を見ると、
牛乳屋を始めるに先立って、牧場で働いている。
松戸の矢切にも住み込みで働いている。
水上勉もやはり松戸の矢切に縁があり、
小説家を断念、洋服生地の行商をしていた。
川上宗薫によって、再び小説を書くようになった。
最盛期には毎日30枚以上書いた……。
左千夫は矢切の牧場に住み込みで働いていた、
水上勉は毎日30枚以上書いた。
野菊の墓はそれほど長い小説ではない。
左千夫が住み込みで働いていた矢切を
どう捉えているか、そのことに興味があった。
原稿用紙に換算すると、百枚足らず、
3日間集中すれば書き写せる、と思った。
小中学生用の国語ノートは
1冊60ページ一ページ17行、
タテ21・5センチ、
文庫本1行37文字、行数も文字数も丁度良い。
改行もそのまま、書き写す。