モジリア

74歳のブロガー。ギネスを目指す!(^^)!
おじさんが読む「赤毛のアン」

東葛の文化と文学 書き写す -3-

2013年03月31日 | 近くを訪ねる
13・3・30 

3月19日日経首都圏欄に
「東京は酪農大国だった」記事を見た。

野菊の墓を書いた伊藤左千夫は
東京茅場町で牛乳屋をやっていた。

もしかしたら牛乳の関係で
松戸の矢切を訪れたことが考えられる。

野菊の墓は矢切を舞台に描いた小説、

左千夫の年表を見ると、
牛乳屋を始めるに先立って、牧場で働いている。
松戸の矢切にも住み込みで働いている。

水上勉もやはり松戸の矢切に縁があり、
小説家を断念、洋服生地の行商をしていた。

川上宗薫によって、再び小説を書くようになった。
最盛期には毎日30枚以上書いた……。

左千夫は矢切の牧場に住み込みで働いていた、
水上勉は毎日30枚以上書いた。

野菊の墓はそれほど長い小説ではない。
左千夫が住み込みで働いていた矢切を
どう捉えているか、そのことに興味があった。

原稿用紙に換算すると、百枚足らず、
3日間集中すれば書き写せる、と思った。

小中学生用の国語ノートは
1冊60ページ一ページ17行、
タテ21・5センチ、

文庫本1行37文字、行数も文字数も丁度良い。
改行もそのまま、書き写す。