モジリア

74歳のブロガー。ギネスを目指す!(^^)!
おじさんが読む「赤毛のアン」

東葛の文化と文学 書き写す -10-

2013年04月08日 | 近くを訪ねる
13・4・8
「……だから書き写せ!」と云う
私の問いには応えてくれない。

書き写すことは悪いことではない、
それどころか、
意外な発見があったり、気持ちを前向きにする

それは何故なのか…。

哲学、心理学、生理学と云った
専門的な事が複合的に絡み合っている

継続は力なり、とか、
指先の刺激は脳を活性化する、と云ったように
一言二言で片づけられてしまう

寺子屋も手習い、と云って書き写すことが
主力の教育方法です。

印刷技術が未発達だったから、
必然的に書き写す必要性があった、

つい最近迄そう解釈していた。

手習いと素読にはそれ以上の深いものがある。

そこまでは分かった、
それは何故なのか…何なのか…それを知りたかった。

老人施設でお年寄りと一緒に折り紙を楽しんでいる。
折り紙を折ること自体楽しい、

「折り方を教えて!」と云って
折り始めるお年寄りも少なくない。

折り紙自体に人を意欲的にする何かがある
「用のないはがきを貰った嬉しい日」(愚頭)

愚頭は私の柳名、ハガキは貰っただけでうれしい。

ハガキには人を喜ばす何ものかがある。

丸ごと書き写すことの効用は確かにある、

どのような効用があるのか、
詮索はもうやめて、

書き写すことを日常の生活に取り入れようと思う。

誠にだらしない結論ですが、
このテーマは一先ず終わることにします。

お付き合いいただきありがとうございました。
感謝申し上げます。

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