―からくり時計ー
JR船橋駅北口のバスターミナルからエスカレーターで2階広場へ出た。
白髪の紳士が立ち止まって一点を見据えている。
不思議だった。
こんなところに立ち止まって何かを見ている。
私は彼の視線を追った。紳士は時計を見つめている。
「なんだ!時計か……」と思ってその場を立ち去ろうとすると
オルゴールが鳴り始めた。紳士は穏やかな表情だ。
「そうか!カラクリ時計か!」
3時ちょうどにカラクリ時計はオルゴールの音楽とともに、
やや高い所の窓が開き、中から
男女ペアの人形が出てきて円を描いて動く。
紳士はうれしそうに眺めている。
からくり時計が動き出すのを待っていたらしい。
私はそこに立ち止まってからくり時計と紳士を交互に見た。
紳士はからくり時計から目をそらそうとしない。
私は彼に話しかけてみたくなった。
しばらくオルゴールが鳴るのを待った。
オルゴールが終わると同時にからくり人形は窓の中に納まった。
「からくり時計っておもしろいですね」と声をかけた。
「面白いでしょう!」と彼は応じてくれた。
近くのベンチへ誘うように、彼は歩を進めた。
彼はそこに座り、私は体を彼の方に向けて隣りに座った。
彼はからくり時計の存在を知ったのは、
「約一か月ぐらい前なんです」と打ち明けた。
「船橋に住んで30年以上になるんですよ」と云う。
家から駅まで最短距離を歩き、帰りも又、同じ道を早足で帰る。
ある時、からくり時計のオルゴールが聞こえて、
ふっと見るとカラクリ時計なんですよ。
立ち止まって眺めたのは初めてだったんです。
ほんの一瞬、でも立ち止まったのです。
そしてからくり時計を眺めたのです。
立ち止まって眺める。たったそれだけのことですが、
私には新鮮な喜びに感じられたのです。
以来ほぼ毎日このからくり時計を眺めているのです。
「わざわざそのためにここへ?」
私は解せない感じだった。
3時にからくり時計が鳴るのを見るためだけにここに来る。
「そうなんです、からくり時計を見るためだけにここに来るのです」
紳士は当然のことのように言う。
そして、
「しばらく続けようと思っているのです」
今までになかった習慣、
考えられなかったことを敢えてやろうと思っていることを
手短に話してくれた。
「ありがとうございます。私もセカセカここを通り過ぎるだけで……」
「またお会いしましょう!」と云って紳士は右手を差し出した。