昨日は習学寮の自治制度を確立し龍南会の初代総務を務めた藤本充安について検討して見たが、ここでは明治23年10月10日に開校式がおこなわれ生徒代表としては武藤虎太が祝辞を読んでいるが翌24年のこのとき10月10日に開校記念祭が開催されている。このとき藤本は開校記念式の挨拶として学友会(龍南会)の立上を提案している。全文転載して見たいが何しろ現代の当用漢字にはない漢字も多く転載が上手くいかないので半分だけ書いて残りは明日また転載することにしたい
第五高等中学校開校記念式祝辞 生徒代表 藤本 充安
本年四月の頃なりき、本校生徒中に撃剣会を創立せん事を企てたる人ありて、其の用談を帯び首席の教授に某館に面し説くに該会創立の事を以ってせしに、教授之れを是とし許すに其の会費の一部を出さん事を以ってし、話頭一転遂に第一高等中学に及び其の授業方より、生徒の有様に渡り又転じて彼の校の裏面の組織に移り、校友会の談となりしが、其生徒皆大に之を賛成し、是非此れ組織を採用せんと決心したりと云う、是れぞ恐らくは今回大に生長せる我校龍南会の発端なるか
今又一歩進めて理屈を付けて見ると曰く意思を発表するを得るの多少は万有開発の標準なるが如し夫れ金石草木動物人類は恐らくは皆意思を有するなるべし
六月の第一月曜日と覚えに本校協議会の開会ありしが、例の龍南会一件議題となり遂に満場一致の賛成にて該会様のものを創立する事に決し、白石、木崎、佐藤、梅野、藤本の
五氏当選し、該会規則草案を作りしが、遂に秘書の為に隔てられし、其の儘となれり、
越して九月となり十月となりしが、十月の協議会にも又該会創立を急とするの議出てもとより之を創立するに決し、此の度は委員を職員及び生徒より出す事となり、職員方よりは戸沢、永井の両氏出て生徒の方よりは先の委員引き継いで其の選に当たれり、茲に大に記憶す可きは十月二十四日なり何となれば此日龍南会創立の正式の基礎とも称すべき委員選挙会開かれたる日なればなり而して其結果は佐の如し(其姓名を略す)指を屈すれば其発端より大凡百七十余日を経て初めて茲に正式に生まれ出たり
龍南会生まれ出たり加之此会の意思と知識と及び感情とを発表す可き雑誌の又生れ出でたるを見る吾人豈に祝せけるを得んや侍って或いは祝すべからざるか
発端巳に彼が如く行路又巳に此の如く恰も万有若しくは其法則が一の一層単純なるもの若しくは法則に帰する傾きある如く又近くは我熊本の四私立学校が聯合し九州学院となりしが如く遂に万有摂にして一有となり萬則理して一則に帰す可しとの仮説にでも象りしものか数小会を合して一大会をなし以って本校生徒の一致を計るは本会創立の主眼なるが如し而して其耳目となり股肱となる雑誌の発行其祝す可きや皎々として日の如きを覚ゆ。
然れども之を発表するを得るものは動物以上のみ而して之を稍や完全になし得るものは人類にして之を完全に顕し得るものは唯夫れ賢者のみ而して賢者の之を発表する手数は曰く二あるのみ(一)口演(二)文学而して(一)は短く(二)は長し此れ不朽の文字の操作取扱をなすと共に思想の鍛錬を兼する雑誌の発行豈に之を祝せずるを可らんや勉めて益盛大にせざるべからざるや明なり