五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高における秋月胤永教授の終焉

2012-01-12 05:34:30 | 五高の歴史

秋月先生の五高における終焉は「高齢に達し授業上の都合有り候に付今般非職命ぜられ以段申候也」と明治28年8月6日非職の上申がされ、仝年8月26日には非職が発令されている。

それから非職の期間は約2年間で辞職時の理由書を紐解いてみると「当校非職教授秋月胤永より別紙辞表差出候為本人は七旬余の老年にて復職の見込無之候に付速かに願意御許容成候様致度此段上候也」と辞職の添申がなされている。

その上で明治30年6月16日秋月先生本人より恩給請求書が進達されている。

 

秋月胤永の五高在籍期間について確認する。
明治二十八年辞職、その後の様子について非職教授として明治三十年まで在籍していた  
  
 明治二八年六月六日       起案者    余田 司馬人
     教授 秋月胤永増俸上申の件
    第五高等学校教授 高等官五等八級俸   秋月胤永
    七級俸
    右者職務勉励其功積不抄候に付頭書の通り下賜相成候様致度以段上申候也
        文部大臣宛           校長

 明治二八年八月六日
     教授 秋月胤永 非職上申の件
    第五高等学校教授 高等官五等七級俸   秋月胤永
    右は高齢に達し授業上の都合有り候に付今般非職命ぜられ以段申候也
         文部大臣宛           校長

 明治二八年八月六日   電信   親展
     秋月の非職発令ありたし

 明治三〇年五月六日
     非職教授秋月胤永辞職添申の件
  当校非職教授秋月胤永より別紙辞表差出候為本人は七旬余の老年にて
  復職の見込無之候に付速かに願意御許容相成候様致度上申候也
           文部大臣宛          校長

 明治三〇年五月六日
      非職教授秋月胤永位階特進上申の件
  非職登校教授秋月胤永今般辞職願出候為本人は多年奉職中倫理の授業を担当致躬行実践  生徒を誘導し専ら人材養成に心を用い生徒間に良風を生じたる等功績少なからざりし者  に付特旨を以て位一級被進候様付度此段上申候也 
            文部大臣宛          校長

 明治三〇年六月十六日
       秋月胤永恩給請求種進達の件
   元当校教授秋月胤永より別紙恩給請求種の・・・・・・・・・・

非職というのは広辞苑では位はそのままで職を解かれるとなっているが、熊本をただちに離れたかどうかということは解らない。辞職した人の分も非職の場合は学校が世話を行っている。