第一回の受験者の実力が不足していたのか、野村彦四郎校長は以下のような別科(補習科)を設置しなければ定員を満たすことが出来ないと文部大臣に別課の設置を要求している。
これに対し文相森有礼は予科補充生として入学させるよう許可している。課設置の要求とそれに対する文相の許可の文章を掲げる
課設置之義ニ付伺
当校ニ於イテ今般始メテ入学生徒ノ募集ヲ致候処応募者百二十六名中試験ヲ結了セシスノ百八名其ノ中予科第二級入学ノ許スノ資格アルモノ僅カニ二十四名其伸一二科一所短アリチ仮入学ヲ許セシモノ五拾八名此実況ヲイテ将来ヲトスル中ハ当校定員ニ充鶴ノ生徒ヲ得ルハ実ニ数年ヲ期セザルベカラズシカル中ニハ本科生卒業数ニモ冥係リ及弟シ大学生需用ノ点ニ於イテ欠乏ヲ来タシ候儀ハ眼前ノ事ヲ有之候間来ル明治廿一年ヨリ予科第三級のシタニ別課二年をチキ授業科ハ初度の募集ニ限リ壱名一ヶ年金八円ニシ広ク九州地方ヨリ志望生募集致度此段相伺候也
明治二十年十二月三日 第五高等中学校長 野村彦四郎
文部大臣 子爵 森 有 禮 殿
追ッテ地方ノ進歩ニヨり漸次上級生ヲ得候気運至候、別課ヲ止メ便様致度見込ミ有之候也
この申請に関して二十八日には森有禮文部大臣より認可の通知が来ている。
伺之趣予科補充生トシテ入学セシムルコトヲ認許ス
但尋常中学校第一学年級第二年級ノ学科及程度ニ依ッテ教授スベシ
明治二十年十二月廿八日 文部大臣 官印