五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

九時からのピンポンであった

2014-11-28 04:12:27 | 俺の卓球
ピンポンが九時からと言う事で八時過ぎには上の郷を出発した。何時ものように新土河原から荒尾を通って行ったが一時間早いだけにどうもピンとこない付近の保育園の送りは何時もの通りであった。八時三十分過ぎには南部スポーツセンターへ到着した。九時を挟んで何名かやって来ていた。とても九時には来る者はいないと思って行ったのであるが殆どの会員はやってきた

でやはり遊びたいと思っている連中ばかりの様である。例の先生と呼ばれている人と朝市帰りと言われている人も九時には来て乱打を始めていた。俺たちは九時ではあったが全然面白くなく、また俺自身が疲れてそのため三時間の予定であったが二時間を過ぎたころ帰途に着いた。これは勝手な人の集まりと言っているが黙って出てきて黙って帰るという按配である、来週も絶対来てくださいと催促する人もあった。

若い時代には午前中一杯三~四時間ピンポンを遣っても何も感じなかったが疲れることこの上ない。今日の俺の場合二時間の練習で十分であると感じた。その前の約三十分の自転車通勤は行くだけで準備体操の様相を示している感じであった。十一月も二十八日になった十二月になると何もしないが世間はせわしくなる早くもおせち料理の案内など限がない。五高記念館からの忘年会の案内も来ていた。