五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

八月十五日になったがまだ暑い

2015-08-15 04:09:05 | 日常生活について
八月十五日になったのに朝から既に暑い、気候はおかしくなったのであろうか?。今朝など俺の部屋でまだ午前4時と言うのに28度である。窓を開放しても涼しい風は吹いてこない。しばらくパソコンとにらめっこする。去年の様子を見返してみるにピンポンサークルでビール会など計画している。一年の間で俺自身が大分年取った感じで右肩は痛く体の調子もピリッと来ない状態で困っている。

八月十五日は第二次世界大戦が終了して七〇年と言う事であるからか、テレビでも戦争時の関係者を中心として報告に切りがない。総理大臣は一つの区切りとして声明を出したようであるが、当時を知った人は殆どいなくなった時代になったので解釈はどのようにしてもいいのかもしれない。俺にしてもはその当時は小学校の二年生でただ防空壕へ追い立てられたことだけしか記憶にはない。
テレビ報道では終戦記念日、終戦記念日と言っているが70年も昔のことになれば前述のようにどのように解釈しても良いようである。

俺は昭和二十年は小学校二年生になっていたはずであるが、この一年間の小学校の記憶は全く残っていない。この時期は分散教育と称して付近に大きな養鶏所があったのでそこの鶏舎を借り受け何回かその鶏舎で授業を受けた記憶がかすかに残っている。そして二十年七月一日には夜の熊本市への焼夷弾攻撃、当時の小学校校舎は軍隊の駐屯宿営所になっていたためか八月十日には小学校校舎への焼夷弾攻撃があって、其の為に校舎は丸焼けになってしまった。当時から米軍の情報網は発展していたと見えこの田舎の片隅の小学校の校舎だけを焼夷弾で丸焼けにしていた。