先週の土曜日はお天気がよかったので京都へ。
京の冬の旅キャンペーンを参考にしつつ、お寺を散歩してきました。
そこで思い出したのが1月に行った妙心寺の大通院のこと。NHKの大河ドラ
マ「功名が辻」の山内一豊&千代にゆかりの寺として、ただいま一般公開中。
大通院は普通なら非公開のお寺なのですが、「第40回 京の冬の旅」の非公開
文化財特別公開の期間中なら拝観OK。
その時撮った写真の看板を見ると公開は3月19日までとなってます!
京都観光タクシーのサイトによれば、2006年10月7日(土)~12月17日(日)
にも妙心寺大通院の特別公開があるようです。
(2006/9/25追記)
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そもそもなぜ京都に一豊と千代のお墓が? というのが私の最大の疑問だっ
たのですが、中でガイドの方が丁寧に説明してくれました。なので、その辺
りのことを精一杯思い出しながら書いてみます・・。
一豊が亡くなって以後、千代は京都にある土佐藩の屋敷の近くに住んでいた
らしい。つまり、千代の亡くなった地が京都だったのですね。
夫婦にはたったひとり授かった、よね姫という子供がいましたが、長浜城主
時代に地震によって、まだ幼かったよね姫を亡くしてしまいます。
妙心寺はそのよね姫を供養したお寺。千代はその後、一豊のお墓もここに立
て菩提を弔いました。いまは千代自身も一豊の隣りに眠っていて、妙心寺大
通院は山内家の菩提寺となっているそうです。(お墓は高知にもあります。)
妙心寺との関わりは他にもありました。
山内家の屋敷前に赤ん坊が捨てられているのを見つけ、二人は拾って養子に
します。その子供はお拾と名付られ大事に育てられましたが、男子でありな
がら、実子ではないため山内家を継ぐことがかなわず仏門に入ることに。
その時に預けられたお寺がやはり妙心寺だったのですね。
お拾は湘南和尚という名で南北禅師の弟子となり、一豊が建立した塔頭
(たっちゅう)大通院で終生よね姫を供養したとのこと。
自分の夫と娘を供養しつつ、息子同然に育てた湘南和尚のいる妙心寺のそば
で過ごした千代の晩年は、おそらく深い慈愛に満ちた日々だったのではと思
います。
御廟屋では二人の卵塔の墓石も見ることができます。向かって右が一豊で、
左が千代。お墓の形がなぜ卵なのか? これは説明を聞いたのですが全く忘
れてしまいました(泣)。
御廟に行くまでの通路にある案内板には、大河ドラマが始まる前に訪問した
上川隆也さんと仲間由紀恵さんのサインもありました。
公開は3月までやね、残念!と私が言うと、同行の家人いわく(キャンペー
ンの)冬の旅が終わったら、すぐ春の旅が始まるやろ!(←ウソです)
3/16追記
<大通院殿心峯宗伝>が一豊の法名です。
先日JRの駅でポスターを見かけて、片隅に載っていた一豊の肖像画に「あ、一豊さま~♪」と立ち止まってしまいました。来週いっぱいだったので、ダメかーーと思いながら。いつも見られるわけじゃないんですね・・。
あの仲良く寄り添うように建てられた墓石には、涙が出ますね。ほんとうにずっと一緒なんだなあって。
千代と湘南和尚のエピソードも心温まるものがありますね。幼少時のこと、千代の晩年のこと。そのとき歴史が動いた」でも触れられていました。ドラマでも期待できそうですね。
TVでもご覧になったかと思いますが、正面から見ると同じ御廟の中に本当に同じ大きさで二つ仲良く並んでいて、ちょっと感動しました。大河収録開始前に主演の二人がまず大通院を訪れた理由がわかるような気がします。
千代が養父母に大事にされたようにお拾い様もまた大事に育てられ、湘南和尚となってからも千代さんを支えたのですね。
また公開して頂ける機会があるといいですね!