森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

カラカウア王のスーツ@イオラニ宮殿

2023年01月28日 | 歴史


昨日はイオラニ宮殿でご奉仕でしたー。午前中3時間、2階で(スタッフは)1人ぼっち。ちと寒かったですが、お陰であちこち、じっくり眺めることができました。

下の写真は、2階のカラカウア王の執務室に展示された王の衣装です。服飾の歴史研究ではハワイで第一人者として知られるハワイ島のデザイナー、アイリスさんによって復元されたもので、フリーメイソンの会合に参加時、カラカウア王が身に着けたスーツのレプリカですね。



そう、カラカウア王は友愛結社フリーメイソンのメンバーでした。フリーメイソンでは集まりの際に必ず、石工の作業着の一部だった小さなエプロンをつけることになっているそうで。言ってみれば儀式的なユニフォームのようなものでしょうか? フリーメイソンという団体は元々、中世に石工の互助組合から始まった団体ですからね。

さて2016年に始まったイオラニ宮殿の王族の服飾復刻プロジェクトでは、現在カラカウア王のスーツ2着、カピオラニ王妃のドレス3着、リリウカラニ女王のドレス2着が完成。宮殿のあちこちに展示されています。

このプロジェクトにつき、デザイナーのアイリスさんにインタビューしたことがあるのですが。なんとリリウオカラニ女王とカピオラニ王妃のドレスを作る際には、ビショップ博物館に残っていた2人の実寸を厳密に再現したということでした。

というのもアイリスさんは2009年から、他のプロジェクトのためもあってビショップ博物館で400時間を過ごし、ハワイ王族の服飾をリサーチしてきたのです。

なのでこちらのスーツも恐らく、カラカウア王の実寸に合わせて作られたものなのでしょうね。カラカウア王が1881年に世界を一周した際、カラカウア王の立派な風貌が各地で賞賛されたとの記録が残っていますが、確かに~。背が高くてガッチリとたくましく、威風堂々とした王の様子が、このスーツからも見て取れます。

…写真だけでは身長まではピンときませんが、昨日、宮殿でジロジロ間近にスーツを見てきたお陰で、カラカウアの立体的なご様子が、頭にピシッ! と入ってきた気がします。
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(再び)ヘンリー・バーガー氏秘話

2022年11月17日 | 歴史


「アロハ・オエ」を有名にしたヘンリー・バーガー氏について、地元紙からもう一つユニークな逸話をご紹介しますね。なぜドイツからヘンリー・バーガーがハワイにやって来たか…という裏話です。

時は1870年、カメハメハ5世の治世のこと。オーストリア海軍の小型駆逐艦ドナウ号が5、6カ月、修繕のためホノルル港に停泊していました。ドナウ号の軍楽隊はその間毎日、無料コンサートを開催したとか。

やがて船は去って行きましたが、ドナウ号の軍楽隊の演奏を懐かしんだのが、ホノルルの市民たちです。カメハメハ5世は新たにバンドメンバーと指揮者を雇い入れ、ドナウ号のコンサートを再現しようとしましたが、その演奏はドナウ号の軍楽隊にはるかに及びませんでした。

そこで1872年、「ハワイに軍楽隊を作るため指導者を送ってほしい」とカメハメハ5世がドイツにリクエスト。その結果、ヘンリー・バーガーがホノルルにやってきたというわけです。バーガーはまだ28歳の若者でした。

バーガーの指導のもとバンドは見る見るうちに上達し、1883年には「アロハ・オエ」の演奏でコンテストにも優勝したことは、前回書いた通りです。

…ちなみにバーガーは「世界でもトップレベルの音楽をハワイに提供する」という理念とともにハワイにやって来たそう。コンサートでも必ず1曲はクラシックの名曲を紹介したバーガーの音楽の影響は、とても大きかったようです。後年、バーガーは嬉しそうによく言ったそうですよ。

「ハワイアンはポイ作りなどの作業などしながら、よくクラシック音楽やオペラの一節を口笛で吹いていたものだよ」

う~ん、バーガーもすごい人ですが、その音楽を理解しそれほど愛したハワイの人たちも、すごい!

バーガーはそのままハワイに根づき、1929年、ホノルルで死去。享年85歳でした。バーガーがハワイの土を踏んでから、今年でちょうど150年だそうです。

(※注 バーガーはロイヤルハワイアンバンドの指揮者&指導者。そのロイヤルハワイアンバンドは1830年代、カメハメハ3世によって創設されたのですが、コラムではカメハメハ5世が新たにバンドを作ろうとしたかのように書かれていました。恐らくカメハメハ5世は新たなバンド創設というより、新メンバーを雇ったがうまくいかなかったのだろう…という風に私は解釈しています)

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「アロハ・オエ」ヒットの功績者

2022年11月14日 | 歴史


金曜日の地元紙のコラムに、とっても興味深い逸話が紹介されていたのでシェアしますね。ハワイ王国時代のドイツ人音楽家ヘンリー・バーガーと、「アロハ・オエ」にまつわるお話です。

ヘンリー・バーガーといえば、ロイヤルハワイアンバンドで40年以上も指揮者を務めた著名な音楽家。私はハワイ王国の国歌(現ハワイ州歌)の「ハワイ・ポノイ」に曲をつけた人として記憶していました。同曲の作詞をしたのは、ご存知カラカウア王ですね。

ヘンリー・バーガーに関してはそれぐらいしか知らなかったのですが、コラムによれば、彼こそがリリウオカラニ作の「アロハ・オエ」を世に知らしめた人なのだそうです。

それはロイヤルハワイアンバンドが、1883年にサンフランシスコのコンテストに参加した時のこと。コンテストには全米のバンドが出場していたそうですが、そこでロイヤルハワイアンバンドが(ハワイ外で)初披露したのが「アロハ・オエ」でした。

演奏は聴衆から絶賛され、何度もアンコールがかかり、コンテストでも見事、優勝。ロイヤルハワイアンバンドはそのまま全米ツアーもしたので、あの名曲が広く知られるようになったということです。

ちなみにリリウオカラニがこの曲を書いたのは王女時代の1878年。コンテスト時にもまだ王女でした。ヘンリー・バーガーはきっと「この曲はハワイの王女によって書かれたものでして…」などとリリウオカラニに言及したでしょうし、きっとその編曲も美しかったに違いありませんね。

…1929年に死去するまでに、75曲を作曲したというヘンリー・バーガーですが、記事の中で一番の功績と紹介されていたのが、ハワイの古いメロディを書き留め、それを曲として仕上げることで記録していったということでした。彼がルアウや街角で耳にしたハワイ語の歌の美しい旋律を日常的に書き留めていたお陰で、ハワイの古いメロディが失われなかったと高く評価されているそうです。

そんな功績もあってのことでしょう。リリウオカラニはヘンリー・バーガーを「ハワイアン音楽の父」と称していたということです。
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11月のアラモアナビーチ

2022年11月13日 | 歴史


このところ、少しだけ朝晩が涼しくなってきたホノルル。ダウンタウンでは朝から雨が降っていましたが、アラモアナビーチには青空が広がっていました。

その後曇ったと思えば、虹がお出まし。海には入れなかったけれど、ただ海辺に立つだけで気分はアゲアゲに! 雨のなか出かけてよかったです。

物価は高いけれど幸福なホノルル暮らし。タダで楽しめることがイッパイです。でもその後、$14のラーメンを食べ豪遊?してしまいました…。
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久々のイオラニ宮殿

2022年10月25日 | 歴史


久々に行ってきました! イオラニ宮殿に。

コロナ禍中、この1年くらいは宮殿にご無沙汰だったので、久々の宮殿訪問は嬉しく懐かしかったです。見学のルートが変わっていたり、新たにカラカウア王のユニフォーム(複製)が加わっていたりと、新たな発見も。

…ということで、まだ先になりそうですが、ボランティア復帰も思案中。たまには宮殿の息吹というか、マナにふれていないといけませんよね。ハワイの歴史を学ぶものとしては…。

また、ご報告します!
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