森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

アロハストリートのコラム、番外編

2024年10月01日 | 歴史


時が経つのは早いものですね。隔月で更新のアロハストリートのコラム、本日更新されました~。

ふだんは場所を切り口としたウンチクを語っていますが、今回は番外編。「ハワイ州歌」について書いています。

ちなみに番外編としてはこれまでに、「ハワイ王国の紋章」「ハワイ州旗/ハワイ国旗」についても書いており、今回が3つめ。たま~に書く番外編、なかなか楽しいものです。

もしも皆さんから番外編として取り上げてほしいテーマがあったら、ぜひお寄せくださいね。今後の参考にさせていただきます!
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リリウオカラニ女王侍女の恋@ニューヨーク

2024年09月18日 | 歴史


先日、久々にホノルル美術館に行ってきました~。自宅から歩いて20分ほどなので、年間会員になっているのです。

そこで見たのが冒頭の写真。ウクレレを弾く男性のこの肖像画、けっこう有名な作品ですよね。皆さんも見かけたことがあるのではないでしょうか?

今回その説明書きを初めてじっくり読んだところ、なんともユニークな史実が隠れていました。作者のオランダ人画家ハバートがハワイで同作品を描いたのは、1898年。ハバートは1896年、リリウオカラニ女王の侍女としてNYに滞在していたエレノアと恋に落ち、1897年に結婚。ハワイに移り住んだのだそうです。

ハバートはその後、ホノルルのダウンタウンにアトリエを構え、ホノルル港で働くハワイアン男性と懇意になりました。その男性をモデルに描いたのが、冒頭の作品だそうです。

…1896年といえば、ハワイ王国が白人勢力によるクーデターで崩壊してから3年後。そしてリリウオカラニがハワイアンによる武装蜂起に関係しているとの嫌疑で逮捕されてから、1年後のことです(失敗に終わったその武装蜂起に、リリウオカラニは全く関与していなかったのですが)。

逮捕後、イオラニ宮殿で1年間幽閉され、釈放された後にアメリカ本土に旅立ったリリウオカラニ。急ピッチで進行中だったアメリカによるハワイ併合計画に抗議するため首都ワシントンDCを訪問したその前後に、NYにも滞在したのですよね。

リリウオカラニのワシントンDC訪問も効果はなく、ハワイは1898年にアメリカに併合されてしまうのですが…。そんな悲しい旅の最中に、オランダ人画家とリリウオカラニの侍女との間に素敵なロマンスが生まれていたとは!

2人の恋の経緯については詳細わかりませんが、いつかリサーチしてみたいですー。もし発見があったら、ご報告しますね。
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幸せな1日@イオラニ宮殿

2024年05月25日 | 歴史


昨日はイオラニ宮殿でのご奉仕でした。はい、ドーセントガイドとして、日本語ツアーのご案内をしたのです。

ツアーの定員は20人なのですが、パンデミック以来、満員になることはついぞなくて…。ここ数年、ゲストの数はほぼひと桁だったのですが、昨日は15名が参加。活気がある賑やかなツアーとなりました。

しかももう一つ、嬉しいことが! ふだん私は、ツアー前に軽く自己紹介をします。「ボランティアの森出じゅんです」と…。そのためでしょう、昨日はあるお客様に「『ハワイカルチャーさんぽ』、買いました!」と声をかけていただいたのですよ。

宮殿では7、8年前からボランティアをしていますが、森出さんですか? と声をかけられたのは今回が3回目。実際に本を買ったと言われたのは、昨日が初めてでした。ものすご~く嬉しかったです!

昨日のツアーでは、ほかにもハワイアンキルトを習っているのでリリウオカラニ女王について勉強中だという方や、日本在住の同業者(メディア)の方にもお会いできて、なんだかワクワクする1日となりました。

そんなわけで、月2回といわずもっともっと宮殿にお手伝いに行かなくちゃと感じた、素敵な1日でした。自宅から宮殿までは、徒歩10分ですしね。

(冒頭は、ツアーが始まる宮殿裏側のラナイからパチリと撮った光景です。しょうもない写真でスミマセン)
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カラカウア王家の紋章@王家の霊廟

2024年05月24日 | 歴史


あれ!? 王家の霊廟について書いていて、こちらの記事を下書きフォルダーから見つけました。2017年10月に書かれたものなのですが、この記事、投稿されていなかったのでしょうか? それとも、なぜか一度公開して、不表示にしてしまったのでしょうか?

…よくわかりませんが、ここに公開しますね。見覚えのある記事だったら、ごめんなさ~い!


このオブジェは一体なんでしょうか…? 

ハイ、実はこれ、王家の霊廟内にあるカラカウア一族の墓所の鍵なのでございます。

カラカウア王朝の地下墓所への入口は、しっかり鉄の門によって閉ざされていまして。その奥に入るには、このドッシリとした鍵が必要なのです。その鍵を管理する、前カフ(管理者)が教えてくれました。鍵の重さは8ポンド(約3.6キロ)。(現在、人が住む)ハワイ主要8島を現しているそうです。

そして8ポンドの鍵を使って鉄の門を開けるには、左に8回、鍵を回さなければなりません。これもやはりハワイ8島を表し、8回、鍵を回すのだそうです。

カウアイ島より西にはさらに多くの無人島がありますが、古来、人が暮らす8島が、ハワイにとっては重い意味を持っているよう。ハワイでは「8」という数字が、何やらマジカルな印として使われているのでした。

ちなみに冒頭の鍵は、ローマ字のKが二つ、組み合わされています。これはカラカウア王の紋章とか。

知れば知るほどディープな、ハワイのお話でした。
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芳香が漂っていた今日の「王家の霊廟」

2024年05月21日 | 歴史


たまたま近くを通りかかったので、今日は久しぶりに「王家の霊廟」を訪れました。

ヌウアヌの丘にある王家の霊廟は、ハワイ王族50人以上が永眠する聖地。敷地を巡っていたら、花の香り強く漂ってきて…。カメハメハ王朝の墓石の前に、たくさんのレイが供えられていたのに気づきました。



王家の霊廟には100回くらい行っていますが、こんなにたくさんのレイが供えられているのを見たのは、5月2日を除いて初めて(レイの祭典、レイデーである5月1日にはカピオラニ公園でレイコンテストが行われ、その出展作は翌日、王家の霊廟に捧げられることになっています)。

しかもフレッシュでまだ真新しいレイだったので、「今日、ここで何かイベントがあったのかな~?」と思い、自宅に戻って調べてみると…。今日はカメハメハ4世&エマ王妃の愛息、アルバート王子の誕生日だったのですね。王子は1858年のこの日、ホノルルで生まれています。

カメハメハ王家にはしばらく子供が生まれていなかったので4世はそれは喜び、アルバート王子を即、跡継ぎに指名。ハワイ王国は喜びに沸いたのですが…。1862年、王子はわずか4歳で亡くなってしまいました(その理由には諸説がありますので、またの機会に!)。

その頃、イオラニ宮殿の前庭にあった旧霊廟はすでに満杯になっていたので、カメハメハ4世&エマ王妃はヌウアヌの丘の王家の土地に新たに霊廟を造り、王子を埋葬することに。そう、アルバート王子の死をきっかけに、現在の王家の霊廟が設けられたのですよね。

…それにしても、墓石の前に捧げられていた夥しいレイを見ると、150年以上前に幼くして亡くなったアルバート王子が今もどれほど愛されているか、よ~く感じられました。王国が倒れてから久しいですが、ハワイ王国と王族の記憶はまだまだ生々しいというか。

ハワイはアメリカであってアメリカではない。そんな特殊な土地柄を、こういう機会にひしひしと感じるハワイ暮らしなのでした。
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