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前回、小松宮彰仁親王、またの名を東伏見宮嘉彰親王、に触れました。
カラカウア王の訪日に関連して、この方にも関係があるユニークな逸話が一つありますので、ご紹介しましょうね。正確にいうとこの方にまつわる話ではなく、義理の息子さん(かつ弟さん)についての逸話なのですが。
この時、なんとカラカウア王は明治天皇に、小松宮彰仁親王の義理の息子である東伏見宮依仁親王と、姪のカイウラニ王女の縁談を持ちかけたのだそうです。依仁親王は彰仁親王の腹違いの弟。後に養子縁組で親子となっています。
カイウラニ王女はカラカウア王やリリウオカラニ女王の妹リケリケと、イギリス人のクレッグホーンの間に生まれた絶世の美女(上の写真をご覧ください! 美人でしょう?)。もっともこの縁談が持ち上がった時にはまだ6歳でした。一方の依仁親王も14歳でした。
ところが明治天皇は、この申し出を「前例がない」との理由で、丁重に断っています。当時の皇室は、まだ外国の王族と婚姻関係を結ぶことに積極的ではなかったのですね。
きっとカラカウア王としては同じ小国同士、手を結んで、列強諸国に対峙していこうと思ったのかもしれませんが…。
その後、美貌のカイウラニ王女は、23歳の若さで独身のまま病死。ハワイ王国が革命によって倒れて6年後のことでした。世が世なら、カイウラニは女王になっていたはずなのですが。王国最後の女王、リリウオカラニには子供がなく、姪のカイウラニを跡継ぎに指名していたからです。
一方、依仁親王はその後、土佐藩主の娘と結婚し、54歳で亡くなっています。
もしもこの2人が結ばれていたら…。その後の歴史は少し変わっていたかもしれませんし、今頃、上野にカイウラニ王女の銅像が立っていたカモ? しれませんよ。そして「アロハ・オエ」を創ったハワイの女王の姪として、日本でも愛されていたカモしれません。
ちなみにワイキキのシェラトン・プリンセス・カイウラニホテルが建っているのは、カイウラニの生家跡。その近くには、麗しいカイウラニの銅像も建っています。
(写真はHawaii State Archivesからお借りしました)