何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

祥一郎………どうしても駄目だったよ……

2016年01月11日 | 日記
職場の女子職員が成人式の晴れ着で遊びに来た。他の職員もそれを見て浮かれ騒いでいる。


………私は身を隠すように、目に着かない場所で黙々と業務をこなしていた。

本当なら「成人式おめでとう。」くらいの一言をかけてあげるべきなんだろう。


できない。今の私にはできない。


片や二十歳になったお祝いで皆に祝福され、未来を夢見ている少女。

片や唯一の家族を突然亡くし、悲嘆の極致にいる初老の男。


あまりに対称的な人と人に、目眩を覚えた。

私は逃げた。きらびやかな晴れ着を着た少女から。

一言も口をきかなくても済むように………

大人げない?なくて結構。



祥一郎を亡くした悲しみを一時でも止めろというのなら、そんな誹りなど何ほどのものか。
悲しむのが仕事、悲しむのが義務、悲しむことが、今祥一郎にしてあげられる唯一のことだから………