大喧嘩をしても 二人は一緒 その一の続きです。
祥一郎はもう帰ってこない、そう諦めて寝入ったころ、何か物音がする。
どこから聞こえてくるのだろうと聞き耳を立てると、どうやら押入れの中だ。
「ぐーーーー、ずーーーーー・・・・」
開けて見るとなんと、祥一郎が押し入れの中で寝ていた。私はへなへなとその場にへたりこんだ。
目の前の光景を見て、びっくりするやら安心するやら腹が立つやらで、祥一郎を思い切り揺さぶって起こした。
「あんた、どこ行ってたんや!どんだけ探したと思うてんねん。このアホ!」
祥一郎はバツの悪そうな、寝起きの顔でだんまりを決め込む。出て行ったものの、金も無く行くあても無いので、こっそり戻って来たのだろう。
私は私で(はあ、良かった。何事も無くて。)と思い、じんわり涙さえ滲んでくる。
その後やや落ち着いた二人は、喧嘩の原因を少しテンションを下げて話し合う。
私の方は、祥一郎を責めるような言葉ではなく、諭すような、優しく説きふせるような言葉で話しかける。
祥一郎は祥一郎で、大見得を切ったものの戻って来た自分に色々感じることもあったのだろう。
大人しく私の話を聞いている。
その内二人とも段々疲れ、眠くなってくるので、結局はいつの間にか喧嘩も中途半端なまま寝てしまう。
翌日から二、三日はお互いまだしこりが残っているので殆ど口をきかないが、その内祥一郎の方から
日常の会話が出てくる。
「おっちゃん、黒門市場歩いとったらあのオカマが猫を肩に乗せて歩いとったわ。」
「あの店で、ユーミンのアルバム、安売りしとったで。」
などなど。
これがもう仲直りの合図。
その後はいつもの暮らしに戻り、大喧嘩など無かったような生活が続いて行く。
祥一郎と私の喧嘩のパターンはいつもこのようなものだ。
出て行く祥一郎を引きとめたり、本当に出て行ってしまったら探し回るのはいつも私。
一緒に暮らし始めてから何年か経ったころ、私は自覚していたのだ。
どちらかが居なくなったとしたら、寂しくて悲しくて後悔するのは私の方だと。
そして更に年月を経ていく内、その後も何度か出て行けがしの喧嘩はあったけれど、結局より相手に依存していたのは私の方だと認めざるをえなかった。
祥一郎が本当に居なくなったら困るのは私の方なのだ。
あいつはブチ切れたらどうにでもなれと覚悟を決められるタイプだけれど、私はくよくよと引き留め、説得し、後悔し、何とか宥めようとする。
たった一人の家族。たったひとりのパートナー。たったひとりいつも傍に居てくれた人。
私がどんな状況になろうとも。そんな人を失うのが怖かったのは私の方なのだ。
以前の日記に書いたことがある。最愛の人を喪った悲しみに耐え切れる方が残されると。
そんな馬鹿な話があるか!
誰がいつどうやって耐え切れるなどと決めるんだ。冗談じゃない。
耐えてなどいない
悲しみ、苦しみ、自殺願望を抑えきれず、ただただそれを抱えて耐えて生きている。
いや、耐えているなどという前向きな生き方ではない。そうやって生きるしかないのだ。
死ぬことが出来ずにその勇気を持てずに、祥一郎を喪ったありとあらゆる想いや感情に一方的に鞭打たれ、抵抗できずに生きているだけなのだ。
祥一郎・・・・・・・
おっちゃんはもうずっと前から、お前との喧嘩に負けていたんだよ・・・・・・
「おっちゃん、うちが死んで寂しいやろ?」と、お前がおっちゃんに言ってる
そうだよ。その通りだよ。そこから見えるだろ?おっちゃんの負け方が・・・・・
お前が居なくなって、人生そのものに負けたおっちゃんの姿が・・・・・・