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祥一郎………
この日記は書くのが怖かったのだけど、やはり記録として残しておくことにするね。
お前は自分の身体のことを、どこまでわかっていたんだい?
あの日が訪れる半月余り前から、お前は下血が始まって、痔ろうだって言ってた。
事実、座るのも辛そうで、お前の血の色は鮮血だったし、おっちゃんもてっきりそうだと思い込んでいた。
でもそのうち高熱は出る、酷い悪寒寒気が襲う、という症状が出だして、さすがにこれはおかしいと感じたので、おっちゃんは動き出したんだよね。
結果的にそれは徒労に終わり、お前は逝ってしまった…………
先日のお前の四九日に来てくれたぜんちゃんからショッキングな話しを聞いた。わざわざ医療関係の人に聞いてくれたそうなんだ。
ぜんちゃんの話を以下に挙げるよ。
「祥一郎さんが亡くなったときの状況、そしてけいさんから聞いた何日か前からの症状を、私の友人である聖路加病院の元看護士に話したところ、「肝臓ね」と。しゃっくり、下血、吐血などは肝硬変、肝がん末期に共通するものです。ある程度、ご自分の状態は分っていたのではないかと思います。それを知るのが怖かったのでしょう
吐血は肝がんを遠因とした静脈瘤破裂ではないかと思われます。もし仮にあの日に入院されたとしても、結果は同じだったのではないでしょうか。肝臓は沈黙の臓器と言われます。専門の医学知識がない限り、彼の症状に気がつかなかったのは仕様がないと思います。ご自身を責めないように。」
この話が真実だとすると去年末頃には、お前は勿論痔ろうなんかではなく、内臓、特に肝臓がどうしようもない状態になっていたことになる。
お前の死亡確認がなされた帝京病院の医者の「内臓のどこかに腫瘍かガンがあって、それが原因での上部消化管出血によるショック死の可能性がある。」という話とも符号する。
10年くらい前に、お前は大阪でB型肝炎で入院したことがあったね。
幸いその時は無事退院したんだけど、それからまともな健康診断もやらず、退院後の定期検診みたいなものもまったくやってなかったよね。
加えてその時に、また別の病気が見つかったんだった。免疫力が低下する病気。
お前はかなり落ち込んでいて、おっちゃんは一生懸命励ましたんだけどね。
本当に弱り目に祟り目だった。
それでもお前はその頃ちゃんと働いていたけど、入院中にその職場が潰れてしまって、退院後には失業してしまったんだった。
さてどうしたものかというときに、その後おっちゃんまで失業してしまい、不定期な仕事で何とか糊口をしのいでいたけど、もうどうしようもなくなって、東京の知人からの仕事の話に乗ったんだよね。
結局またお前とふたり、仕事を求めて大阪から東京に逆戻りしてしまった。
おっちゃんはまだ仕事があったけど、お前の気持ちや身体のことを考えると、あまり「ちゃんと働け。」なんて言えなくなってしまったんだ。
お前の身体のことは、おっちゃんにとってみれば爆弾を抱えているようなもので、いつそれが爆発するか怖々暮らしていく日々が続いて行くことになる。
それでも、少しばかり体調を崩すことは有ったけど、お前の身体には目立った変化は無く、日々二人の生活は流れて行った。
でもおっちゃんはやっぱり怖いので、「週に何日かでもいいからアルバイトして、せめて国民健康保険証を持って、体調悪かったら病院にかかれるようになろうよ。」って、ときおりお前に言っていたんだった。おっちゃんの収入ではふたり食べて行くのがやっとだったから。
お前は、「もうアルバイトは嫌だ。ちゃんとした仕事を、正規の仕事をみつけたい。」って言って聞かなかった。
そんなやりとりがときおりありながら、それでも二人の暮らしは続いて行ったんだ。
でも、でも上のぜんちゃんの話しが本当なら、その間にお前の肝臓は、静かに深く悪化していってたことになる。
確かに肝臓は沈黙の臓器っていう。悪くなってもあまり目立った症状が出にくい臓器だ。
その認識がおっちゃんには欠けていたのかもしれない。
確かにここ1年2年前くらいから、お前は「体調の良い日があまり無い。」なんてときおりこぼしていたよね。
「祥一郎の肝臓は一度やられているし、免疫力低下の病気もあるから、これは徹底的に検査するよう説得しなきゃ。」という認識がおっちゃんにもっと強くあれば、お前にはあの日は来なかったかもしれない。
お前の死後、お前の書いていたツイッターやブログ、そしてやっと見つけたお前の友人の話からも自分はガンであるという情報をおっちゃんは知った。
そのガンも脳の腫瘍だったり、他の部位だったり判然としなかった。お前はネット上で別人格を演じることが好きだったから、その延長でそんなことを書いたり話したりしていたのかなとも思った。
お前は自分がガンであるかもしれないと、有る程度分かっていたのかい?
それを認めるのが怖かったのかい?
余命いくばくもないことをなんとなくわかっていたのかい?
生きる事を諦めていたのかい?
でもでも、あの日がくる少し前お前は「病院に行けると思ったら、すこし安心した。」って言ってたよね。
泣きながら手を握ってっていうからおっちゃんが、「大丈夫。明日病院行くから。弱気にならないで。」っていったら頷いていたよね。
生きる事を諦めていたとはどうしても思えないんだよ。
そしてあの助けを求めるような悲鳴、大量吐血したときの悔しそうな悲しそうなあの表情…………
死ぬのは嫌だと絶対思っていたとしか思えないんだよ………
お前は自分の病気のことをある程度理解していながら、やはりそれを認めたくなかったのかい?
なんとかやりすごせると思っていたのかい?
お前がさんざん嫌がっていた、生活保護を受ける為のお父さんと弟さんの連絡先をおっちゃんに渡したのは、まさか自分はもう駄目だから、と思ったからじゃないんだろう?まさか、まさかね。
お前が本当に肝臓ガンでそれがもっと以前に分かっていたなら、結果的にお前は逝ってしまうことになってもお父さんや弟さん、おっちゃんも友人達の力を借りながら、全力でお前にできることをしてあげられたのに…………
殆ど、ほとんど何も病気のお前にしてやれなかったことが、おっちゃんは何よりも悔しいよ………
仮にお前は全てを悟っていたなら、なぜおっちゃんにそれを伝えてくれなかったんだい?
怖かったから?心配かけまいとして?お金がなかったから?
そうだとしたら、あまりにも悲しいよ…………おっちゃんの命を削ってでも祥一郎、お前の命を長らえることが出来なかったんだから………
お前の真意はどこにあるんだろう………お前はどこまで分かっていたんだろう………
そしてお前はこのことについて、おっちゃんにどうしてほしかったんだろう………
今となってはおっちゃんは色々な情報から想像するしかないんだ………
それがどんなに悲しく辛いことかわかるかい?
自分を責めるなと友人達は言ってくれる。
でも、でも考えれば考えるほど自分を責めてしまう事になるんだよ…………
祥一郎………お前の生への執着、死への想い、そして残されることになったおっちゃんへの想い………
その真実をもう知る術は無い…………
祥一郎………いつか、いつかまた再会したら、あの時はこうだったと、説明しておくれね。
そして今度は病気も無い、苦しみも悲しみも寂しさもない世界でふたり精一杯幸せに暮らすんだよ……いいだろう?
その日が早く早く訪れるように、おっちゃんは祈る…………祈るんだ………
この日記は書くのが怖かったのだけど、やはり記録として残しておくことにするね。
お前は自分の身体のことを、どこまでわかっていたんだい?
あの日が訪れる半月余り前から、お前は下血が始まって、痔ろうだって言ってた。
事実、座るのも辛そうで、お前の血の色は鮮血だったし、おっちゃんもてっきりそうだと思い込んでいた。
でもそのうち高熱は出る、酷い悪寒寒気が襲う、という症状が出だして、さすがにこれはおかしいと感じたので、おっちゃんは動き出したんだよね。
結果的にそれは徒労に終わり、お前は逝ってしまった…………
先日のお前の四九日に来てくれたぜんちゃんからショッキングな話しを聞いた。わざわざ医療関係の人に聞いてくれたそうなんだ。
ぜんちゃんの話を以下に挙げるよ。
「祥一郎さんが亡くなったときの状況、そしてけいさんから聞いた何日か前からの症状を、私の友人である聖路加病院の元看護士に話したところ、「肝臓ね」と。しゃっくり、下血、吐血などは肝硬変、肝がん末期に共通するものです。ある程度、ご自分の状態は分っていたのではないかと思います。それを知るのが怖かったのでしょう
吐血は肝がんを遠因とした静脈瘤破裂ではないかと思われます。もし仮にあの日に入院されたとしても、結果は同じだったのではないでしょうか。肝臓は沈黙の臓器と言われます。専門の医学知識がない限り、彼の症状に気がつかなかったのは仕様がないと思います。ご自身を責めないように。」
この話が真実だとすると去年末頃には、お前は勿論痔ろうなんかではなく、内臓、特に肝臓がどうしようもない状態になっていたことになる。
お前の死亡確認がなされた帝京病院の医者の「内臓のどこかに腫瘍かガンがあって、それが原因での上部消化管出血によるショック死の可能性がある。」という話とも符号する。
10年くらい前に、お前は大阪でB型肝炎で入院したことがあったね。
幸いその時は無事退院したんだけど、それからまともな健康診断もやらず、退院後の定期検診みたいなものもまったくやってなかったよね。
加えてその時に、また別の病気が見つかったんだった。免疫力が低下する病気。
お前はかなり落ち込んでいて、おっちゃんは一生懸命励ましたんだけどね。
本当に弱り目に祟り目だった。
それでもお前はその頃ちゃんと働いていたけど、入院中にその職場が潰れてしまって、退院後には失業してしまったんだった。
さてどうしたものかというときに、その後おっちゃんまで失業してしまい、不定期な仕事で何とか糊口をしのいでいたけど、もうどうしようもなくなって、東京の知人からの仕事の話に乗ったんだよね。
結局またお前とふたり、仕事を求めて大阪から東京に逆戻りしてしまった。
おっちゃんはまだ仕事があったけど、お前の気持ちや身体のことを考えると、あまり「ちゃんと働け。」なんて言えなくなってしまったんだ。
お前の身体のことは、おっちゃんにとってみれば爆弾を抱えているようなもので、いつそれが爆発するか怖々暮らしていく日々が続いて行くことになる。
それでも、少しばかり体調を崩すことは有ったけど、お前の身体には目立った変化は無く、日々二人の生活は流れて行った。
でもおっちゃんはやっぱり怖いので、「週に何日かでもいいからアルバイトして、せめて国民健康保険証を持って、体調悪かったら病院にかかれるようになろうよ。」って、ときおりお前に言っていたんだった。おっちゃんの収入ではふたり食べて行くのがやっとだったから。
お前は、「もうアルバイトは嫌だ。ちゃんとした仕事を、正規の仕事をみつけたい。」って言って聞かなかった。
そんなやりとりがときおりありながら、それでも二人の暮らしは続いて行ったんだ。
でも、でも上のぜんちゃんの話しが本当なら、その間にお前の肝臓は、静かに深く悪化していってたことになる。
確かに肝臓は沈黙の臓器っていう。悪くなってもあまり目立った症状が出にくい臓器だ。
その認識がおっちゃんには欠けていたのかもしれない。
確かにここ1年2年前くらいから、お前は「体調の良い日があまり無い。」なんてときおりこぼしていたよね。
「祥一郎の肝臓は一度やられているし、免疫力低下の病気もあるから、これは徹底的に検査するよう説得しなきゃ。」という認識がおっちゃんにもっと強くあれば、お前にはあの日は来なかったかもしれない。
お前の死後、お前の書いていたツイッターやブログ、そしてやっと見つけたお前の友人の話からも自分はガンであるという情報をおっちゃんは知った。
そのガンも脳の腫瘍だったり、他の部位だったり判然としなかった。お前はネット上で別人格を演じることが好きだったから、その延長でそんなことを書いたり話したりしていたのかなとも思った。
お前は自分がガンであるかもしれないと、有る程度分かっていたのかい?
それを認めるのが怖かったのかい?
余命いくばくもないことをなんとなくわかっていたのかい?
生きる事を諦めていたのかい?
でもでも、あの日がくる少し前お前は「病院に行けると思ったら、すこし安心した。」って言ってたよね。
泣きながら手を握ってっていうからおっちゃんが、「大丈夫。明日病院行くから。弱気にならないで。」っていったら頷いていたよね。
生きる事を諦めていたとはどうしても思えないんだよ。
そしてあの助けを求めるような悲鳴、大量吐血したときの悔しそうな悲しそうなあの表情…………
死ぬのは嫌だと絶対思っていたとしか思えないんだよ………
お前は自分の病気のことをある程度理解していながら、やはりそれを認めたくなかったのかい?
なんとかやりすごせると思っていたのかい?
お前がさんざん嫌がっていた、生活保護を受ける為のお父さんと弟さんの連絡先をおっちゃんに渡したのは、まさか自分はもう駄目だから、と思ったからじゃないんだろう?まさか、まさかね。
お前が本当に肝臓ガンでそれがもっと以前に分かっていたなら、結果的にお前は逝ってしまうことになってもお父さんや弟さん、おっちゃんも友人達の力を借りながら、全力でお前にできることをしてあげられたのに…………
殆ど、ほとんど何も病気のお前にしてやれなかったことが、おっちゃんは何よりも悔しいよ………
仮にお前は全てを悟っていたなら、なぜおっちゃんにそれを伝えてくれなかったんだい?
怖かったから?心配かけまいとして?お金がなかったから?
そうだとしたら、あまりにも悲しいよ…………おっちゃんの命を削ってでも祥一郎、お前の命を長らえることが出来なかったんだから………
お前の真意はどこにあるんだろう………お前はどこまで分かっていたんだろう………
そしてお前はこのことについて、おっちゃんにどうしてほしかったんだろう………
今となってはおっちゃんは色々な情報から想像するしかないんだ………
それがどんなに悲しく辛いことかわかるかい?
自分を責めるなと友人達は言ってくれる。
でも、でも考えれば考えるほど自分を責めてしまう事になるんだよ…………
祥一郎………お前の生への執着、死への想い、そして残されることになったおっちゃんへの想い………
その真実をもう知る術は無い…………
祥一郎………いつか、いつかまた再会したら、あの時はこうだったと、説明しておくれね。
そして今度は病気も無い、苦しみも悲しみも寂しさもない世界でふたり精一杯幸せに暮らすんだよ……いいだろう?
その日が早く早く訪れるように、おっちゃんは祈る…………祈るんだ………
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