何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

鬱病なのか悲しみなのか‥‥‥‥

2016年03月29日 | 死別体験
心療内科に通っている。

私はうつ病なのか、それともあまりに惨い悲しみ故なのか、精神状態が最悪なので、定期的に通院している。

「先生、私は鬱なのですか?原因のはっきりしている哀しみに打ちひしがれてるだけなんですけど。」

と言ったら、

「それでも、気分の落ち込みは薬で和らげることはできます。哀しみが全部なくなるわけではないですけどね。」

との答え。

なるほど。確かに薬をちゃんと飲んでいる時は、激しい気分の浮き沈みや、涙があふれて止まらないというようなことはあまり無いように思う。

睡眠導入剤も貰っているので、その効果で眠ることは出来ている。


しかし、医者の言うように哀しみが無くなっているわけではない。

寧ろ、薬の力で無理矢理感情失禁を止めているといった感覚が強いような気がする。

なにか、溢れかえる悲しい感情を、鼻の奥あたりで何とか堰き止めているような・・・・・


薬の副作用なのか、頭がぼーっとするし、考えも上手くまとまらず、足取りもフラフラする。

それでもなんとか薬に慣れて来たのか、辛うじて仕事は何とかこなしている。

これでいいんだろうか。

薬で無理矢理抑えることなどせずに、感情の発露のまま、哀しみ、苦しみ、寂しさのまま、正直に
過ごした方が私には相応しいのではないか。

そんな気もする。

薬を止めて、酒をあおり、感情を思い切り吐き出して泣くだけ泣いて、そして疲れきって浅い眠りにつき、祥一郎の夢を見る。

それが、最愛の人を喪った者の過ごすべき姿なんじゃないだろうか。

私はもっと泣きたいんだ。悲しみを表現し、錯乱しまくり、畳を掻き毟って、胸を爪で引き裂きたい。


それが薬を飲んでいる事で出来ないなら、後で甚大な揺り戻しがくるような気がしてならない。


祥一郎・・・・・・・・・・

教えておくれ・・・・・・・おっちゃんはお前への想いをどう制御したらいいんだろう。そもそも制御などせずに、思うままに生きたほうがいいんだろうか。

私は薬に逃げているんじゃないのか。自分が何をしでかすか怖いがために。

身体が重いよ・・・・・・・・変な倦怠感が続くよ・・・・・・・

悲しくて悲しくてしかたないのに、それを発露できないのは、しないのは、お前への背徳行為じゃないんだろうか・・・・・・・

おっちゃんは勇気がないんだろうか・・・・・・・


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