祥一郎が亡くなってから、4ヶ月が経とうとしている・・・・ たった4ヶ月・・・・何も変わるはずがない。
祥一郎を喪った、ありとあらゆる負の感情は一向に小さくならず、何かをして少しは忘れようと足掻いても足掻いても、それが終れば元の悲しみに取りつかれた壮年の男に戻ってしまう。
ここへ来てまた体調を崩してしまった。 胃から腹部にかけて耐えられない痛みを感じ、下痢も併発。便の色も血が混じっているようだ。
医者にはウイルス性胃腸炎だと診断された。 勿論仕事には行けるはずも無い。
あれから私の生活は乱れに乱れている。
食事は、朝、昼共に小さなパン一個のみで済ませ、夜はコンビニ弁当やレトルトのカレーなど、およそバランスのとれた食事とは言い難い。
しかし、何かをまめに作って、色々考えて料理を作ろうという気にならないのだ。 野菜不足、偏食、粗食・・・・・ そして感情を抑えようと心療内科でもらった薬を多用し、そうでないときは酒を煽る。
体調を崩さない方がおかしい生活になってしまった。 ただでさえ不規則な仕事で、健康な人でも体調管理の難しい介護の仕事。
これではこの先、続けて行けるかどうか。 二人で暮らすということは、生活の質を整えなければやっていけない。そして食事も二人分となると、色々と気配りした料理を作るものだ。
そう、あの頃は生活にリズムがあった。 今は、ひときっきりになり、電池の切れかけた時計の秒針のように、進んでは止まり、止まっては進むというような生活になっている。規則正しいリズムなど全く無くなってしまった。
祥一郎の昼寝用に新調したソファーで横になり、痛みに耐えている。 こんなときあいつが居たら、おぼつかない手つきでお粥のひとつも作ってくれただろう。 そして早目に寝るよう、寝床を整えてくれただろう。 私は、そんな状態でもあいつの背中を見ながら、痛いだの苦しいだのと甘える事ができただろう。
誰かが傍に居てくれる・・・・ 体調の悪い時にはそれがどんなに心強いことなのか、今身を持ってそれを、逆の意味で強く感じている。
今は誰も傍に居ない・・・・・ 悲しみに耐え、喪失感に耐え、孤独に耐え、
そして体調悪化にひとりで耐える。そうするしかないのだから。
私はもう還暦まで残り4年だ。 今の悲しみのどん底のような状態が何年続くかもわからない。
あいつが生きて居た頃の体調に戻る可能性は低い。
愛する伴侶を亡くした人は、あまりの悲しみの為に自らも体調を崩し、やがて遅からず後を追うように自分も死んでゆくケースが多々あるという。 自分がそうなるならそれでまったくかまわない。
ただ、できるならあまり苦しまずに、安らかに祥一郎の後を追いたいものだ。そして「祥一郎、今おっちゃん帰ったよ。」と、にっこり笑ってあいつを抱きしめたい・・・・・・。
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