何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

宝くじが当たったら・・・・・・・・・・祥一郎の部屋

2016年04月05日 | ひとりぽっち
そうだな・・・・・・・・・・・・・

広さは3LDKくらいでいいかな。あまり広いと掃除も管理も大変そうだし。

リビングは12畳くらいほしいかな。

中央に掘りごたつがあって、大きな長いソファーも置きたいな。私は胡坐が欠けないので、それが楽だな。


そしてふかふかの絨毯を敷いて、欲を言えば暖炉なんか有ればいいな。マンションだと暖炉式の電気ストーブか。

勿論床暖房完備。

ダイニングには、7~8人くらい座れる、檜の匂いのする大きなテーブル。客を沢山呼べるように。

それから、キッチンからテーブルに直接料理が出せるようになっている。

キッチンは広い方がいいよね。
使いもしない洋食器や和食器が一杯良入る棚と、埋め込み式のコンロは四つくらいある。

冷蔵庫はそれこそ5人~7人家族要の大きなもの。

家庭用の大き目の冷凍庫も欲しいなあ。


風呂は二人一緒に入れる位の広さが欲しい。

カランが二つ有って、一緒に身体が洗えて、バスタブも一緒に入れる、足の伸ばせるくらい大きいものを。ジャグジーは必須だな。



祥一郎の部屋は8畳くらいでいいかな。

あいつは小物が好きだから、それがかわいく綺麗における棚と、コスメも好きだから、香水や化粧品が整然とおけるお洒落な段違いの棚も。

寝相が悪いからセミダブルのベッドも要るだろ。その上にトゥルースリーパーなぞ置いて寝易いように。

衣装持ちだから、大き目の箪笥も二つ必要だな。あと整理ダンスも。

パソコンデスクと、スペックの良いノートパソコン、大きなプラズマテレビとDVDリコーダーと、あいつは音楽が好きだから、オーディオ用品も一通り必要だ。

8畳じゃ狭いかな・・・・・・・・・

なにやら小坂明子の「あなた」っていう古い歌の歌詞みたいな内容になってるな。


そしておっちゃんの部屋は・・・・・・・・・・あれ?殆ど考えて無かった・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・


誰もが考える、もし宝くじが当たってマンションが買えたならする想像。

なにやら祥一郎の喜びそうな妄想ばかり考えてたな。

実生活ではあいつに貧しい思いばかりさせてきたから、たまに宝くじを買うとそんなことばかり夢想していた。



もしも、もしも今私にそんな幸運が巡ってきたらどうするだろう。

泣くかもしれないな。

なんで今頃って。なんで祥一郎も居ないのにって・・・・・・・・・・

なんでこの幸運を共有できる人はもう居ないのにって・・・・・・・・・・・・・


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3 コメント

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生きた証、伝わっています (きょうこ)
2016-04-06 14:01:51
はじめまして、この3カ月のブログを読ませていただき、涙が止まりません。
このブログを読んで、けいさんの優しい人柄、祥一郎さんへの愛情がどれほどのものかわかります。

祥一郎さんは日々鍛えているだけのことはあってスポーツ選手のような精悍な雰囲気で、でもけいさんとの日常では甘え上手なかわいらしい内面も持っている方で、きっととても魅力的な方だったのだろうなと思いました。

亡くなった日の壮絶な状況や、もっと早く病院に行っていたらという後悔などで苦しんでおられると思います。
私の父は58でがんで余命三カ月と言われ、母のためを思って少しでも長く生きようと苦しい抗がん剤を頑張り、1年ほど生きましたが、治療のせいで動けない、気持ち悪くて食べられない、髪が抜けるなどつらい思いをして逝きいました。
母も今となっては抗がん剤治療は父を苦しめただけかもしれないと思うこともあるといいます。
私もどちらがよかったかなんてたぶん一生わかりません。

けいさんも後悔のお気持ちもあるとおもいますが、祥一郎さんはご自宅で、大好きなけいさんと死の直前まで一緒にいられて、幸せだったのではないかなと思います。

文字におこすことは、気持ちを吐き出すとともにつらいことを思い出してしまう作業だと思いますが、けいさんのブログによって、祥一郎さんの生きた証は読者に伝わっていると思います。
長くなってすみません、またコメントさせていただきますね。

どうか少しずつでもご飯を食べてくださいね。
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Unknown (けい)
2016-04-07 11:03:02
>きょうこさん
コメント有り難うございます。
最愛の人を長い闘病生活の末亡くなってしまうことと、突然予期せぬ形で亡くすこと、それは折に触れ比較してしまう自分が居ます。
本当は分かっているのです。
どちらの悲しさも苦しみも喪失感も、経過は違えど重さに違いは無いと。
ただ、本人の意思は、本当の意志はどうだったのだろうと想像します。苦しんででもまだ生きたかったのかそうでないのか、一瞬にして天に召され、悔しさや後悔があるのか、長く苦しまなくて良かった等と思っているのか。

私は祥一郎の本当の意志を知りたかった。でもその僅かな時間さえ私には無かった。それが堪らなく悔しく哀しいのです。

こうして彼の生きた証が少しの人たちにでも伝わること、今は私にはそれしか生きる意味が有りません。
有り難うございます。
またいらしてください。
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Unknown (きょうこ)
2016-04-07 21:13:19
けいさん、お忙しい中ご返信ありがとうございます。
昨日のコメントで、家で亡くなられたこと、闘病せずに急死されたことがよかったというような風にとられたようでしたらごめんなさい。
そういうつもりでは全然ないのです。

私や母もすごくいろいろな後悔をかかえていますが、、不幸中の幸いとして亡くなる瞬間はそばにいることができましたので、祥一郎さんも家族であるけいさんがそばにいてくれたということが幸せだったのではないかなと思ったのです。
お気を悪くされたら申し訳ありませんでした。

亡くなって5,6年は、すぐ人と比較したり、幸せな家族が妬ましかったり、いまでもないとはいえないのですが、今は私も母も少しずつ現実を受け入れるようになったと思います。
でもさみしさと喪失感はいなくなった瞬間からかわりません。

おつらいと思いますが、けいさんも持病を抱えていらっしゃるようですのでお大事になさってください。

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