何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

給料日・・・・・祥一郎は居ない・・・・・・・・・

2016年03月24日 | 何故死んでしまったの
給料日の後のオフの日。

支払いという支払いを済ませて、残った生活費とにらめっこ。

「はあ、今月も苦しいなあ・・・・・・・・・」

とかなんとか呟きながら、それでも支払いの帰りに祥一郎に電話する。

「昼飯、マクドナルド食べる?」「なんか買っていくものある?」

祥一郎からは「うん、食べる。照り焼きバーガーセットとコーヒー。」「うーんと、あ、入浴剤とシャンプーが無い。」

などというやりとりがいつものことだった。


そしてその日の晩飯は、ちょっと贅沢に海老フライやカキフライ、豚肉のしゃぶしゃぶや薄い牛肉で鉄板焼きなんていうメニューになる。

ささやかな、本当にささやかな給料日後の贅沢。

生活は確かに苦しかったけれど、それでも二人で過ごすため何とかやりくりし、小さな小さな二人の温かい暮らしがあった。




今は一人で支払いを済ませ、誰かに電話することもなく、極端に少なくなった買い物もついでに済ませ、晩飯のメニューを考えることもなく、誰も居ない部屋で漫然と過ごす。

何も食いたいとも思わず、ぼーっと祥一郎のことを考えながら、ひとしきり咽び泣いた後、風呂に入り、冷たい寝室に横たわる。

まだ正気でいるのが不思議なくらいな、生活の激変。いつまで耐えられるのだろうか・・・・・・・・・・


祥一郎・・・・・・・・・・

毎月の支払いは減ったよ。お前はもう風呂にも入らず、電気を点けることなく、暖房にあたることも無いからね。

そのかわりにおっちゃんに増えた物は・・・・・・・・・・・・・・

大きな真っ暗な穴に真っ逆さまに落ちて行くような孤独感、胸から血が大量に吹き出しそうな悲しみ、頬が炎症を起こすほどの大量の涙、そしていつやってしまうともわからない自死願望。


あんまりじゃないか。
少しばかりの支払い減と引きかえに、増えたのがそんなものとは。

あまりにも価値がアンバランスだよね。

こんなことになるのなら、もっと収入が少なくともお前と二人で居たかった・・・・・・・

お前との20数年間の温かい暮らしは、僅かな支払い減なんかと引き換えになど出来ない。


おっちゃんはあといつまで働けるかわからない。

でも給料日の度に、そんな思いをすることになるんだよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小さな公園に、きょうが卒業式だったのだろう、沢山の中学生達が未来を夢見て喧しくしている。

その公園の汚れたベンチに座りそれを横目で見ながら、私はその場で絶え逝ってしまいそうになりながら、そんなことを考えた給料日後のオフの日だった。



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