何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

春の陽だまりの中の祥一郎

2016年03月29日 | ひとりぽっち
この季節、春の日だまりが公園に人を群れさす季節になってきた。


うちの近所に、清水坂公園という、木々などあまり茂っていない、芝生の広場があるくらいのしょぼい公園がある。

日差しの柔らかいこの時期、祥一郎はよくこの公園で日向ぼっこをしていた。

私が所用で部屋に戻って来て、祥一郎を探すと大概この公園で日向ぼっこをしていた。

とにかく陽に当たることが好きな奴だった。

初めて逢ったあの日も、真っ黒に日焼けして目立っていた。そうでなければ声をかけなかったかもしれない。

亡くなったあと、遺品整理している中で日焼けサロンの会員カードが何枚も。



「この時期の紫外線が、一番肌に優しくてよう日焼けするねん。」とか言いながら、毎日のようにその公園に出掛けて行った。


貧乏で冬の間は日焼けサロンなどあまり行けなかったものね。この季節、太陽を取り返そうとするように、祥一郎は陽の光をいっぱい浴びていた。


部屋に帰って来ては、「あのな、隣で寝ころんでたにいちゃんが、ちょっとイケメンやってん。」とか、「ガキがうるそうてかなわんわ。」とか、「ぼーっとしてたら変なおっちゃんが、家あるんかって聞いてきよったわ。あるっちゅうねん。」とか私に報告しては、シャワーを浴びていた。


祥一郎・・・・・・・・

お前の人生に陽のあたる時期はあったのかい?

46年の短い人生、その半分ほどはおっちゃんと一緒だったけど、おっちゃんは自信を持って

「俺と出逢う前より、いい人生やったやろ?」と言えるだろうか・・・・・・・

 
二人で暮らし始めても、苦労が絶えなかったものね。


おっちゃんはお前に、目いっぱ明るい陽の光を浴びせてやれなかったのが、悔しい・・・・ごめんね祥一郎・・・・・・・・

でも、でもね、世界で一番お前を愛していたと、それだけは自信をもって言えるよ。

生まれ変わっても、また苦労をしても、お前と一緒に暮らしたいと思うよ・・・・・

それは本当にそう思うんだ・・・・・・・お前がそのおっちゃんの言葉を聞いてつんと横を向いても。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今でもあの公園を一人で歩くことがある。

戯れる家族連れ、暇を持て余す老人達、ボール遊びに興じる若者に混じる中で・・・・・・・・

祥一郎、お前が、

お前が居るんじゃないか、お前の幻が見えるんじゃないかと、何度も何度も振り返りながら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



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