昨日は早く寝すぎて、2時過ぎに目が覚めた。
その内大きな木の倒木が沢山道を遮っていた。
しばらく沢を歩いたら左手に弾薬庫が出てきた。
下二股口台場の弾薬庫と全く同じ作りだ。
調査を終えて、次は佐藤安之助の墓に行く。
写真を撮って戻る。
墓の前には新政府軍の仮埋葬地もある。
今日はこの程度にして実家に戻る。
youtubeで和裁の勉強をしていたら、そのまま朝になってしまった。
やはり寝不足気味である。
しかし家でぼんやり出来ない。
今執筆中の本に載せる場所の取材に行く。
まずは焔硝の倉。
ここは箱館戦争の旧幕府軍の弾薬庫だ
仙台額兵隊が築いたもので、この近くには方形台場である、四稜郭と五稜郭があった。
ここ10年くらいは焔硝の倉に行っていない。
藪や木々の枝が密集していて歩きにくいのだ。
でも今の季節なら歩き易いだろう。
箱館戦争に関する本で史跡巡りの本が五稜郭タワーの売店に有ったので覗いて見たら、説明文は有るのだが、写真の部分は白い四角で、辿り着けず撮影は出来なかったと書いてあった。
それほどの事も無いのだが、藪をやっていない人にとっては大変な事なのだろうか。
入口に有った家は廃屋になっていた。
土方隊も通った鶉山道は笹が延び放題だった。
最初の道はまあまあだった。
その内大きな木の倒木が沢山道を遮っていた。
跨いだりくぐったりして進む。
やがて道は無くなり沢を歩く。
しばらく沢を歩いたら左手に弾薬庫が出てきた。
下二股口台場の弾薬庫と全く同じ作りだ。
床には石が敷き詰められている。
湿気を防止するためであろう。
当時のミニエー銃は紙にくるまれて装薬と弾丸が入っていた。
湿気には弱いのだ。
下二股の戦いは雨になったので
皆着ているものを脱いで覆い湿気対応をしていた。
調査を終えて、次は佐藤安之助の墓に行く。
新政府軍の戦死者の墓が一基だけある。
他の亡くなった人は江差の護国神社にある。
何故この人の墓だけがあるのだろう。
彼は津軽藩なのだが薩摩藩の夫卒として出仕していたのだ。
彼の墓は函館護国神社の薩摩藩の合同慰霊碑にも名がある。
写真を撮って戻る。
墓の前には新政府軍の仮埋葬地もある。
今日はこの程度にして実家に戻る。
家で焔硝の倉を纏めた。