朝起きてフェースブックを見ていた。
ブログ友達である北斗市吉田氏のフェースブックを見ていて驚いた。
登山で天狗岳向かいの三角山に登っていた。
頂上から撮った写真に三等三角点の「湯ノ先」が写っていた。
実は今この山の再調査を始めようとしている。
過去に3度位調査しているが見つけられていないものがある。
それは箱館戦争の下二股口台場で最大の銃撃戦が行われた。
鶉山道との位置関係からして今の天狗岳ではおかしいのである。
そこで近くにある三等三角点「湯ノ先」では無いかと思い調査をしてきたが、まだ分からないでいる。
それが吉田氏の写真を見たら、何か道らしきラインと3本の線が写っている。
鶉山道の上側にあり、進攻してくる新政府軍に対応した位置になっている。
写真に斜面に横に3本の筋が見える。
さらにそこから続く道らしきものが頂上に向かっている。
箱館戦争では新政府軍に攻められたが直ぐに撤退している。
方向としては下二股口台場がある右手に敗走する。
ただし真っすぐ右は急な斜面なので一度上に上がらなくては駄目なのだ。
その様に道らしき跡がある様に見える。
塹壕の絵としては岡山藩水原久蔵氏の書いた絵がある。
ただしこの塹壕の有る山の名称は入っていない。
「湯ノ先」は笹が強烈で登るのに苦労する。
ブログ友達である北斗市吉田氏のフェースブックを見ていて驚いた。
登山で天狗岳向かいの三角山に登っていた。
頂上から撮った写真に三等三角点の「湯ノ先」が写っていた。
実は今この山の再調査を始めようとしている。
過去に3度位調査しているが見つけられていないものがある。
それは箱館戦争の下二股口台場で最大の銃撃戦が行われた。
その中で天狗岳に旧幕府軍が3ヶ所の塹壕を築いた事になっている。
その塹壕がなかなか見つかっていない。
北斗市の教育委員会も探し出せないと言う。
現在国土地理院の地図に天狗岳が載っているが、どう考えても箱館戦争時の天狗岳とは違うのでは無いかと言う疑問がある。
その塹壕がなかなか見つかっていない。
北斗市の教育委員会も探し出せないと言う。
現在国土地理院の地図に天狗岳が載っているが、どう考えても箱館戦争時の天狗岳とは違うのでは無いかと言う疑問がある。
下の写真は現在の天狗岳の裾野にある案内板である。
天狗岳の標高が530mになっているのを白いペンキで消している。
ここの天狗岳は373mだから消したのか。
しかしここには塹壕がない。
530mであれば「湯ノ先」が523.2mなのでほぼ合っている。
鶉山道との位置関係からして今の天狗岳ではおかしいのである。
そこで近くにある三等三角点「湯ノ先」では無いかと思い調査をしてきたが、まだ分からないでいる。
それが吉田氏の写真を見たら、何か道らしきラインと3本の線が写っている。
鶉山道の上側にあり、進攻してくる新政府軍に対応した位置になっている。
写真に斜面に横に3本の筋が見える。
さらにそこから続く道らしきものが頂上に向かっている。
箱館戦争では新政府軍に攻められたが直ぐに撤退している。
方向としては下二股口台場がある右手に敗走する。
ただし真っすぐ右は急な斜面なので一度上に上がらなくては駄目なのだ。
その様に道らしき跡がある様に見える。
塹壕の絵としては岡山藩水原久蔵氏の書いた絵がある。
ただしこの塹壕の有る山の名称は入っていない。
「湯ノ先」は笹が強烈で登るのに苦労する。
時期を選んで確認に行かなくては駄目だ。
今まではもっと西の方の斜面ばかり探していた。
ここが塹壕だったら歴史が変わる。
今まではもっと西の方の斜面ばかり探していた。
ここが塹壕だったら歴史が変わる。