も~さんブログ

日常の出来事や旅日記を書いています。

11月29日 山陰の旅を振り返る No.2 フェリーは退屈

2020-11-29 07:10:16 | 歴史
夜遅くフェリーに乗ったので、少し飲んで直ぐに寝てしまった。
バイクの走行も250km位なので相当頑張ったので疲れている。
朝起きればもうインターネットに繋がらない。
能登半島を越えるまでは繋がらないようだ。
朝起きて船内を一回りしても人とは殆ど会わない。
ツーリストの定員は12名なのに、私一人だけ。
コロナの感染防止での処置なのか、乗っている人が少ないのか。
船の窓からは大海原が見えるだけで、その景色は一向に変わらない。

こんな事もあろうと1冊の本を持ち込んでいた。

ペリーが来て開港する以前に多くの外国船が禁を破って日本に近づいていた。
当時の日本周辺の海は鯨が多くいて、アメリカの船も捕鯨に来ていたが、食料や水の補給をしたいのだが出来なかった。
彼らは数ヵ月に渡って捕鯨をするので、補給は重要な項目だった。
当時の日本の漁業は遭難が多く、大海に流され外国船に救助される事が度々だった。
ジョン万次郎もその一人だ。
彼はアメリカに渡り捕鯨技術を学び後に日本に帰ってくる。
函館にも来ており、函館の鯨塚には彼の名が残る。
多くの救助された漁師を日本が受け入れるのは、何処の港でも良いと言うことが無かった。
わざわざ長崎まで行かなくてはならない。
捕鯨を中断して長崎まで漁師を送り込むのは、大変な事だった。
しかしその時には食料や水の補給を受けた様である。
長崎まで送るのが大変なので、日本の近くで小舟を与え、漁師を乗せて日本に返したと言うアイデアも生まれた。
日本人が船で入国するのは問題無かった。
そんな本をずっと読んでいた。
途中の上りと下りの船がすれ違うときにボーと汽笛を鳴らす。
退屈なので見に行った。

夕食は船内のレストランで摂った。
昼もそうだったが若い男性の二人連れがいつも外のオープンデッキに食事を持ち込んで、楽しそうに会話しながら食事していた。
良い雰囲気だ。

かつ定食を地域クーポン券で食べた。
フェリーのレストランは高そうで、いつもは食事する事は無いのだが、意外と安かった。
肉厚のかつは美味しかった。
地域クーポン券は2日しか有効期間がない。
2日目の舞鶴に着くのは夜だ。
店が開いているか分からない。
残った分は船内の売店で消費した。
少し高めだが仕方がない。
夜8時過ぎに30分早く舞鶴港に着いた。

下船もスロープは急で更に照明も暗い。
一緒に乗っていたバイクの人に、よく転ぶ人も居るんですよと言われ緊張感全開。
慎重に下って無事下船。
ターミナルの外も暗くて寂しい。
事前調査ではこのフェリーターミナル付近に公園がある筈だったが全く分から無い。
結局、道の駅「舞鶴とれとれセンター」に行く。
もう閉まっていて真っ暗だ。
大型トラックが多かった。
エンジンがかけっぱなしだったが、気にせずにバス添乗員控え室の前にテントを張る。




今日の日記
今日は旅でのバイクの不具合を直した。
旅用にLEDライトを追加した。
古いカブは兎に角ヘッドライトが暗い。
特に暗いトンネルに入ると、左側の歩行者用の段差が見えず危険だ。
そこでトンネルの左側を照らすライトを付けた。
効果は有ったが、スイッチの位置が右手ハンドルから離れていて操作がしにくかった。

スイッチの左側に付いていた時計も旅の中で手が強当たり取れてしまった。弱いのは想定している100均だ。
この復旧も兼ねて改善を図った。
時計は台座に穴を明け、ボルトで固定した。


再取り付けを行った。

これで右側の赤いスイッチが、アクセルハンドルを離さないで操作が可能になった。
明日はLED照明の位置も変える。