東日本大震災津波において、自らの命を顧みずに他の命を
救った方々のことを忘れてはならないと思います。
消防署員や消防団の人、警察官、民生委員などの方々、
そして、幼児や児童、生徒のかけがえのない命を守るという
使命を自らの命が尽きるまでまっとうした教職員。
私たちは自他ともどもの「命の灯」を大切に燈し続けなければ
ならないと思います。
同じように、子どもの命を自らの命をかけて救った教員の話
をお伝えします。ぜひ知っておいてほしい事実です。
その人とは、岩手県大槌町出身の小国テル子訓導
(おぐに てるこ くんどう)です。
訓導とは、今は使われない職名ですが、戦前の教育制度
において、師範学校を卒業し、教員になるための学業を修め、
教員免許状を所持した教員を指す職名でした。
太平洋戦争開戦から約半年後の昭和17年7月29日。
小国訓導は下閉伊郡豊間根村の荒川国民学校の1・2年生
45名を水泳学習のため、学校からほど近い河川に
引率しました。
水遊びにはやる児童の一人が、流れてきた木片を取ろう
として川に入り、溺れかけました。気がついた小国訓導は、
その子の名前を叫びながら着衣のまま水中に身を投じました。
小国訓導は、もがく子どもに行き着き、しっかりと抱きかか
えました。溺れかけた子どもは無我夢中で小国訓導にしがみ
つきました。その瞬間深みにはまってしまいました。
水中で着衣のまま、しかも子どもを抱きかかえた小国訓導
は身体の自由を失い、自身も溺れかけました。やっとのこと
で岸にたどり着き、子どもを押し出すと直後、小国訓導は力尽き、
再び深みに落ちて殉職したのです。
子ども達の引率は、小国訓導一人であり、複数の引率者が
いれば、と悔やまれた事故でした。 その時、小国訓導は妙齢
21歳でした。
教員を志望して岩手女子師範学校に入学し、晴れて念願の
教職に就いたものの、憧れの教職生活は僅か4か月にも
満たないものでした。
殉職後、小國訓導の純粋なる教育者精神が明らかになりました。
教職に就くにあたり、自らに課した9つの「修身訓」をノートに
記しておりました。
筆頭には「知識の外に修養」とあります。
子どもの前に立つならば、教授の任にとどまることなく、自ら
人格の陶冶に励み、心身ともに高まりを求めていきたいとい
う誓いでしょう。
また、受け持つ学級について、「実践躬行(きゅうこう)範を
以って子どもを導いていきたい」と記し、その思いを具現化
しようとする心構えも見られます。
さらに、友人、同級生らが語る小国訓導は、幼少の頃から
常に自分より他人を思い、世に施しを成し、質素にして何事
にも精励する高潔な精神の持ち主であったと話しています。
小国訓導の児童愛に満ちた行為を後世に伝える頌徳碑は、
大槌小学校校庭を見下ろす小高い丘にありました。
東日本大震災津波のあの日、その大槌小学校には、
河川からあふれた津波と海からの津波が家屋などとともに
押し寄せ、校庭で渦を巻きました。
夜半には、流されてきたLPガスのボンベが爆発し、
火の海になりました。その惨事を小国訓導は、どういう思いで
見ていたのでしょうか。
現在、その大槌小学校は改修され、大槌町役場となって
います。 7月29日は、小国テル子訓導75回目の命日です。
毎年、命日の近くになると、現在の山田町立荒川小学校では、
かつてここにいた小国先生の行為と命の大切さ、そして水の
事故を防ぐための意味合いも含めて、校長先生から児童に
お話をしています。
また、教職員は顕彰碑を清め、分骨され公葬地にあるお墓
に花を手向けて小国テル子先生の遺徳を偲んでいます。
子どもから結婚の報告を受けた時、親の立場にある誰もが、
祝福の思いとともに、「やっと肩の荷がおりた」と胸を撫でおろす
ことだろう。
でも、さまざまな事情を抱えて実家にわが子が舞い戻ってきたら、
親が抱える落胆、不安、負担は計り知れない。
亭主関白と化した息子への怒りは頂点に
今年49歳になる息子が3歳の時、夫が病気で他界した。
以来、女手ひとつで息子を育てあげた美由紀さん(仮名・)。
息子の結婚、孫の誕生、自身の定年退職を経て、「あとは
自分の面倒をみるだけ。残りの人生、悠々自適に過ごそう」
と穏やかな日々を送っていた。
が、息子が「性格の不一致」を理由に離婚。高校生と大学生
の子どもを元妻に託し、実家に戻ってきたのは約2年前のことだ。
「『養育費と学費の支払いで精一杯。
家賃を払う余裕がないから、一緒に住まわせて』って。当初は、
戸惑うというより、息子とまた一緒に暮らせることがちょっぴり
嬉しかったんです。
幼い頃からよく家事を手伝ってくれる子だったので、家事が
軽減できるかな?なんて」
しかし、約20年の結婚生活で息子はすっかり亭主関白な男に
なっていた。 「申し訳ない」と前置きしながらも、「メシは?」
「ワイシャツ、クリーニングに出しておいて」などと、美由紀さん
を家政婦扱いするのだ。
「業を煮やして『自分のことは、自分でしてちょうだい』ときっぱり
言い渡すと、『申し訳ない。仕事が忙しくて』。
せめて1、2万円でも家に入れてくれたらそれも許せますけど、
1円たりとも入れませんからね。
『申し訳ない。子どもたちが自立するまで、甘えさせてください』と、
申し訳ない、の安売り三昧。情けなくて涙も出ないです」
息子への鬱憤が爆発しそうになったのは、近所の人からこんな
ことを言われた瞬間だった。
「息子さん、離婚してひとり暮らしをするつもりだったけど、
年老いたあなたが心配で同居を決意したんですってね。
優しい息子さんを持って羨ましいわ~!」
同じセリフを、あちこちで投げかけられただけではない。
「身体を壊したんだって?大丈夫?」と心配されたこともある。
病気の母親のために、仕方なく実家に帰ってきたことになって
いるのだ。
その場は、当たり障りなく切り抜けたが、ありもしない事実を
吹聴する息子への怒りは頂点に達した。 「ハァ?ですよ。
シングルマザーだった私は、養育費や学費がどれほどかかるか、
重々承知しています。仕事で疲れ、家事をしたくないのもわかる。
だから、甘えてくるのはまだ許容範囲なんです。
だけどね、私を弱いお年寄りに仕立てて、自分を美化する行為
だけは、絶対に許せなかった。息子に率直な気持ちをぶつける
と、またもや『申し訳ない』。
次いで『いい大人の男が、金がないから親を頼って帰ってきた
なんて、口が裂けても言えないだろ?』ですって。いつから
こんな見栄っ張りになってしまったんでしょう」
もっとも呆れたのは、時折遊びにくる孫が、「実は、学校から
学費の督促がたびたび来るんだ。お母さんがピリピリするから、
オヤジに支払い日をちゃんと守るよう伝えておいて」
とこぼしたこと。
「息子は悠長に『つい忘れちゃうんだよな~。おふくろが振込日
を覚えておいてくれない?』。
子どもにいらぬ心配をかけないのが、親としての最低条件
でしょ?『今のだらしないあなたと暮らすのはごめん。直す気が
なければ、出ていって』と突き放したけど、やっぱり『申し訳ない』
と笑って済まされてしまいました。
親業って、子どもを持った以上、一生続くんでしょうか?」