貧者の一灯 ブログ

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歴史への訪問

2021年02月25日 | 流れ雲のブログ
















日本の昔話 (爪と牙を取られたネコ)

むかしむかし、ある商人がネコを飼っていました。  
お正月が近づいたので、商人の家で働いている小僧さん
たちが餅をつき始めました。  

餅の大好きなネコは、うれしくてたまりません。 (よしよし、
お正月には餅をたっぷり食べさせてもらえるぞ)  餅つき
の次の日は、天気が良いのですす払い(→掃除)をする事
になりました。  

ネコは邪魔になるといけないと思い、外に出て家の屋根に
登りました。 すると、長いささぼうきを持った小僧さんが来て、
「今から屋根の掃除をするから、家の中へ入っていろ」 と、
言うのです。  

ネコが慌てて家の中へ入ろうとすると、今度は主人が言いました。

「お前にウロウロされてはすす払いが出来ないから、外へ
出ていろ」  さて、ネコは困りました。  

外へ出れば小僧さんに、 「中へ入っていろ」 と、言われるし、
中へ入ろうとすると主人に、 「外へ出ていろ」 と、叱られます。
(一体、どこにいればいいんだ?)  

ネコは仕方なくはしごを伝って、天井裏(てんじょううら)へ
登って行きました。するとそこにはネズミたちが集まっていて、
下の騒ぎは自分たちを追い出す為だと思い込み、おびえた
顔をしていたのです。  

そしてネコを見ると、ネズミの親分が言いました。
「こうなっては仕方がない。みんな、覚悟を決めて戦うぞ」  

ところがネコはネズミに飛びつくところか、親分の前に行って
頭を下げました。

「待ってくれ。今日は、お前たちを食う為に来たんじゃない。
何もしないから、今日一日ここへ置いてくれ」

「それはまた、どういうわけだ?」
「実は家のすす払いで、わしのいるところがないのだ。
どこへ行っても邪魔者扱いで、くやしいったらありゃしない」

「それじゃ、下の騒ぎはおれたちを追い出す訳ではないのだな」
「ああ、いくらすす払いと言っても、こんな天井裏まで掃除する
人間はおらん。だから安心するがいい」

「何だ、そうだったのか」  ネズミたちはホッとして、お互いに
顔を見合わせました。 そしてネズミの親分が、急に威張った
態度で言いました。

「今日一日、ここに置いてやってもいいぞ。だが家賃(やちん)
の代わりに、お前さんの足の爪と牙を残らず渡してくれ」
「何だって! 爪と牙はネコの大切な武器だぞ!」

「嫌なら、すぐにここから出て行ってくれ。家賃も払わずに
ここにいるつもりなら、わしらにも覚悟がある。ここにいる
みんなが死ぬ気でかかれば、お前さんを倒す事も出来る
だろう」  

それを聞いて、ネズミたちが一斉に立ち上がりました。  
確かにこれだけの数なら、ネコに勝ち目はありません。
「わかった。わかった。お前の言う通りにするよ」  

ネコは泣く泣く、爪と牙を抜いて親分の前に差し出しました。
「よし、確かに家賃は受け取った。今日一日、ここでゆっくり
過ごすがいい。・・・

ただし、どんな事があっても、わしらの体には指一本触ら
ないこと。と言っても、武器を無くしたお前さんなんて、
怖くないがね」  

やがて夕方になって、すす払いも終わったらしく、家の中が
静かになりました。 「では帰るよ。お世話になった」  
ネコは天井裏から降りると、家の中に入っていきました。  

すると小僧さんたちがネコを見つけて、つきたての餅を持って
来てくれました。 「お前、餅が大好きだろ。さあ食べな」  

でもネコは牙が無くなってしまったので、餅どころかご飯も
満足に食べれません。

(ふん、さんざん邪魔者にしておきながら、何を言うか)  
ネコは腹を立てて、こたつの中へ潜り込みました。  

するとそこへ、主人がやって来て、 「こら、何を寝ている。
お前はネズミに餅を取られない様に、しっかり番をしていろ」 と、
言って、ネコを台所へ連れて行ったのです。  

ネコは仕方なく台所に座って、むしろに広げられた餅をうらめし
そうに見張っていました。  

さて、みんなが寝静まった頃、急に天井裏が騒がしくなって、
ネズミたちが親分を先頭にゾロゾロと降りてきました。
「さあ、みんな、餅をどんどん運ぶのだ」  

親分は、ネコを見ても気にしません。  
ネコはたまりかねて言いました。 「おいおい、わしが見えない
のか? 餅を持って行くと承知(しょうち)しないぞ」  

それを聞いて、親分が笑いました。
「承知しないと言っても、爪も牙もなくてどうするつもりだ?」
「それは、・・・・・・」  ネコは、何も言い返す事が出来ません。  

悔しいけれど、ネズミたちが餅を運ぶのを見ているより仕方
ありませんでした。 「さあ、餅をどんどん運ぶんだ」  やがて
すっかり餅を運び終えた親分は、ネコを振り返って言いました。
「それじゃ、よいお正月を」  

さて次の朝、台所にやって来た主人は餅がすっかり無く
なっているのを見て、ネコを叱りつけました。

「この役立たず。ネコのくせに、ネズミの番もできないのか!」  
気の毒なネコは、泣きながら正月をおくる事をなりました。  

・・・おしまい


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで 地蔵が食べたがる












人生にはいろいろな分かれ道がある。 その度、人はさまざま
な選択をする。 分かれ道だとわからずに、知らず知らずの
うちに選択している場合もある。

後になって「ああ、あのとき」と思う瞬間が、誰にでも一つや
二つあると思う。

そんなに重大なことでなくたって日々選ぶことの連続だ。
それの積み重ねで人生ができていると言っても過言ではない。

ボクが発病してからというもの、妻も苦渋の選択をいくつもして
きたということを、先日知った。 その最たるものは延命措置。

救急車で運ばれて、大学病院で診察後入院を待っているとき
に別室に呼ばれて「どうしますか?」と聞かれたらしい。

この数年入退院を繰り返し、くも膜下出血以外の病気にも
見舞われているが、そのときは突然の吐血。さっきまでご飯
を食べていたのに、数時間後には救急車に飛び乗って、
病院の小部屋でそんなことを聞かれる妻。

自分のことだけど、ボクは意識朦朧でそんなことは聞かれる
こともない。「今、決めなきゃいけないんですか?」「そんなに
ひどいのですか?」妻はそう答えるのがやっとで、結論なんて
出せるわけがなかったと後日話してくれた。

あのとき、「呼吸器はもうつけなくていいです」とか「経管栄養
はしないでください」なんて選択肢もあったのか?そうしたら、
今のボクはいなかったのか?そう思う。

9年前のくも膜下出血 いろんな人の選択でボクの命はつな
がった もっと遡れば、9年前くも膜下出血になったとき、1度目
の手術ではあまりに頭の中の出血が激しく、ここまでか、
という判断もあったかもしれない。

手術は本当に長時間に渡ったと聞いた。あのとき、「もうここ
まで」と先生が判断していたら命はなかったかもしれないし、
一生目を覚さない植物人間になっていたかもしれない。

さまざまな要因といろいろな人の選択でボクの命はつながった。
ボクは1ヵ月あまりICUで過ごし、意識もなく眠り続けたが、
その間も家族は選択の連続だったであろう。

“もしも”災害が起きたら…

もし大災害が起きたとき、動くことが困難なボクはどう避難
するか、日中家にいるのは誰か、などといったことを尋ね
られる町内会のアンケートが毎年9月の防災の日あたりに
配られる。

もう数回はそのアンケートに記入しているが、その度自分と
いうものを考える。自分が動けない体だということを思い知ら
させれる。そして迷惑かけてるなあと切なくなる。

実際、我が家には玄関から外に出るまで階段があり、停電など
が起きたら妻がいたとしても避難するのは困難だ。ましてや
我が家には高齢者も二人いる。

避難するときは車椅子で?でも、

もし車椅子もなかったら?どう考えても妻と娘がボクを連れて
逃げるというのは難しいだろうなあと思う。 避難所に運よく
行けたとしても、体育館で座ることも、背もたれや肘置きが
なければできない。ただマグロのようにデンと横たわるだけだ。

すぐにトイレ問題も発生する。異臭が漂うかもしれないし
スペースだって必要だ。大勢が避難しているであろうその
場所で共存できるか、考えただけでも不可能なんじゃないか
と思ってしまう。

ボクが平気でも一緒に避難している一般の人に迷惑がかかる。
そういう非常時は精神的にも追い詰められているだろう。
普通は我慢できるものも「なんとかしてくれ!」と言われるかも
しれない。

妻はこともなげに町内会の人に「家が崩れない限り夫と私は
避難所には行かずに家にいます」そう答えたそうだが、
それが彼女のベストな選択だったんだろうなあと申し訳なく思う。

妻に言わせれば、「“もしも”の話なんて気にする必要ない!!」
だそうだけど、ずっしり重い選択だ。

妻は肝っ玉母さんぶりを発揮するが、だいたい、“選択”を
するってことは「もしも」の連続なわけである。未来に向かって
選択するわけだから。 選びたくても選べないことも多くなった
だからこそ慎重に考える「選択」

今日会うはずだった約束も、雨が降っただけで流れてしまう。
外に出るのが困難だからだ。それでもどうしてもの場合は、
マンパワーで外まで出してもらうのを頼むこともできる。

お金もかかるし人も用意できるかわからない。相当な苦労だ。
行きは出してもらったとして外出先ではどうする?帰ってくる
時は?体調は?思いもよらない難題が選択を待っている。

健常なとき、そんなことまで考えてきただろうか?実際いろ
いろな積み重ねで人生ができているのだからそれも必然
とは思う。

「もしも」のときの選択を人に委ねるのは楽かも でも、最後の
選択はボクが どうしてもこれがやりたいとか曲げたくないと
いう生活をずっとしてきたような気がする。

仕事についても生きていくうえでも。 でも、ふと考えてしまう
ことがある。それは自分では動けなくなって自分以外の人に
自分を委ねなければいけなくなったからなのかもしれないなあ
と思う。

仕事一つも誰かの力が必要なわけだから。 普通の神経の
持ち主だったら当たり前なことか?介助が必要ならば人に
選択を委ねるのも楽な生き方かもしれない。

でも結局のところボクの代わりに選択する家族にはつらい
思いをさせてしまうかもしれない。「もしも」のことなので
「かもしれない」話ばかりだけど、やっぱり最後の選択は
ボクがしておくべきだなと思っている。 ・・・