貧者の一灯 ブログ

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妄想劇場・番外編

2021年02月26日 | 流れ雲のブログ





















初めて抱きしめる我が子。 強く抱き締められず、そっと抱き
よせる我が子。 しかし、その温もりはなかなか感じない。

陽(よう:我が子)と私の間に、まだまだ隔てるものが多い。
何枚ものエプロンに手袋、分厚いバスタオル、ごわごわして、
やわらかくない。

それでも陽の温もりを感じるため、じっと待った。 自分の胸と
腕に、全神経を集中させる。

呼吸をする動きを感じても、それが陽のものか、私のものか、
それすらもわからないでいると、傍で見守ってくれていた
看護師さんが陽を覗き込み、 「やっぱりママは分かるんやね〜」

「こんな陽ちゃんの穏やかな顔、見たことないよ。
落ち着くんやねぇ」と声をかけてくれた。
そうかな? いつもと変わらない? 分からないよ。

涙が滲んでしっかり見れない。 分厚い皮膚からは、独特な臭い
がする。 塗り薬の臭いだと思いたかったけれど、これは陽の
におい。 それも、抱きよせることによって、いつもより感じた。

前よりも見せてくれることが増えた、可愛い黒目。
その可愛い目で、私を見てほしい。 母ちゃんを、見て。
今抱っこしてるのは、陽の母ちゃんだよ。

遅くなってごめんね。 待っていてくれて、ありがとう。
頭を撫でてあげたいけれど、まだ頭を触ることはできない。
かわりに、そっと唇に触れた。

そして5分も経たないうちに、初めての抱っこは終わる。
喜びと緊張で、手袋の中が手汗でしめっていた。
この日からタイミングが合えば、抱っこできるようになった。

限られた時間の、唯一のスキンシップ。 ただひたすらに、
我が子を抱き寄せた。 そして陽が産まれて2カ月と少し、
色々な検査結果を聞くため、夫と病院に向かうこととなった。





検査結果などを聞くため、夫とともに病院へ向かう車内、
真っ直ぐ前を向いたまま、夫がつぶやいた。

「もう何聞いても驚かんよなぁ」 「生きてくれとるだけでも凄い
ことや」 「これからもっといっぱい、悩んだり、ショック受けること
もあると思うけど、どんな試練があったとしても、すべては陽の
おかげで経験できること」

「陽が僕らを強くさせてくれる」 「僕らなりに、この病気に立ち
向かって、どこの家族よりも笑って過ごそな」 ・・・

ずるいなぁ。 と思ってしまうほど、いつも夫の言葉に励まされる。
病院に着き、まずは陽との面会。

夫は初めての抱っこ。 慌てすぎて、準備にもたつき、
看護師さんたちに笑われ、恥ずかしそうに照れながらも、
不器用に準備を終わらせた。

夫らしいな、と私も笑う。 そして陽が看護師さんから、
夫のもとへ。 陽は気持ち良さそうに寝ている。
大きな腕の中で、安心しているかのように眠っている。

なぜか自分が陽を抱き寄せた時よりも、感動が大きくて、
嬉しくて、 何枚も何枚も、写真を撮った。 同じ角度の
写真ばかり、何枚もカメラに収めた。

陽、父ちゃんの抱き方、下手だね。 これから上手になれる
ように、いっぱい、いっぱい 手伝ってあげてね。

そしてしばらくして、先生方に呼ばれ別室に移動する。
「検査結果」 どんなことを聞いても、受け入れる覚悟は
できている。 できているはず・・・。

きっと、大丈夫。 絶対、大丈夫。 前を歩く夫の後ろ姿を見て、
再び覚悟を決めた。


・・・












「娘の霊にささぐ」という一文がある。

東京家庭教育研究所を創設した小林謙策氏(故人)の記した
ものである。小林さんが家庭における子どもの教育がいかに
大切かを身にしみて感じたのは昭和30年6月、ただ一人の娘
に突然、自殺されたときからである。

小林さんは長野で中学校の校長をしていた。
人さまの大切な子どもをあずかって教育しなければならない
という立場の者が、自分の娘の教育さえ満足にできなかった
のはなぜか。

19年間の娘に対する教育のどこが間違っていたのか。
平和で楽しかったはずの家庭に突然おそった悲しみ、
苦しみが厳しく小林さんを反省させた。

「私は家庭における子どもの育て方に大変な間違いを犯して
おりました」と小林さんはいう。

自身が勝気で負けず嫌いだったから、娘に対しても、
小さい時から「えらくなれ」といって育ててきた。

大きくなると、さらにその上に「人よりえらくなれ」といった。
「娘は小学校、中学校、高等学校までは、自分の思い通りに
伸びていったが、東京の大学に行ってからは、そうはいき
ませんでした。

あらゆる努力をしても、自分よりすぐれているものが幾多
あることを知ったとき、もはやわが人生はこれまでと、
生きる望みを失い、新宿発小田原行の急行電車に投身
自殺をしてしまったのです」

遺された手紙には「両親の期待に沿うことができなくなりました。
人生を逃避することは卑怯ですが、いまの私にはこれより
ほかに道はありません」と書かれ、さらに、

「お母さん、ほんとうにお世話さまでした。いま私はお母さん
に一目会いたい。お母さんの胸に飛びつきたい。
お母さん、さようなら」と書いてあった。

「それを読んだ妻は気も狂わんばかりに子どもの名前を
呼び続け、たとえ1時間でもよい、この手で看病して
やりたかったと泣きわめくのでした」

小林さんはいう。
考えてみれば、子どもは順調に成長してゆけば、誰でも
「えらくなりたい」と思うもの。

這えば立ちたくなり、立てば歩きたくなり、歩けば飛びたくなる。
これが子どもの自然の姿だ。

子どもは無限の可能性を持って伸びよう伸びようとしている。
「それなのに自分は愚かにも 娘に『人よりえらくなれ』といい
続けてきた。

『自分の最善をつくしなさい』だけで、娘は十分伸びることが
できたはずです。 私は娘の死によって、家庭教育の重要性
を痛感いたしました」

以後の人生を小林さんは
家庭教育の探究と普及に捧げる人生を生きられ、平成元年
に亡くなられた。

自分の最善をつくしなさい 小林さんが一人娘の自殺という
悲しみのどん底で見つけた真実の言葉。

その言葉こそ、人を育てる要諦の言葉である。
その言葉をいま、自らの人生を懸命に生きている
すべての人に贈りたいと思う。

坂村真民さんの詩がある。

「小さい花でいいのだ
人にほめられるような大きな美しい花ではなく
だれからも足をとめて見られなくてもいい
本当の自分自身の花を咲かせたらいいのだ
それを神さま仏さまに見てもらえればいいのだ」