つい数日前に、バス運転士の不適切な接客について記事を書きました。
その際、バス会社は営利事業である建て付けはあるものの、公的な事業と密接に結び付いた活動であるため、公共の福祉を鑑みた行動の重要性について言及しました。
普通の事業者であれば、正論で論破しても良いような場面でも、一歩引いた対応が重要になる場合もあります。
この対応に対して、多くのバス運転士や関係者の方から、不満が噴出していることも、充分認識しています。
本来、法的な意味での問題ある「威圧的」とは、反社を匂わせたり、悪質性がある行為のはずです。
特に悪質性が見当たらない場合は、「直ちに威圧的とは云えないが威圧的と感じる行為」とでも云うべきです。
そもそも、バス運転士はつい最近まで、目出し帽を被っていました。これは、どう解釈するのでしょうか?
乗客をカツアゲでもする目的で、目出し帽を以前は着用していたのでしょうか?
目出し帽を廃止する会社が増えたことは、カツアゲ目的がばれたからでしょうか?
車内の秩序維持は、今でもバス運転士の仕事の一つです。
要するに、会社は事なかれ主義で、なにか揉め事が起こったら、物事の是非もなく運転士に責任を負わせようとしていると云った不満です。
この事は、バス運転士のなかで3年から10年程の中堅クラスの人間の退職理由の中で、無視できないものとなっています。
バス運転士を3年ほどやると、会社から新人のフォローやトラブルの仲裁、労働組合活動など会社の仕事を任されるようになります。
中には、自分が悪くないのに、責任を被らなければいけなくなるような場面にも遭遇します。
特にバス運転士は、公共交通サービスの担い手であるため、乗客の明らかに未熟な論理や行動でも、一旦飲み込まなければならないこともあります。
下の兄弟がいた方ならば分かると思いますが、親から「お兄ちゃんなんだから、我慢しなさい!」と、自分が悪くなくても叱られたことがあると思います。
バス運転士は、役所から市民に対して、「お兄ちゃん的な立場」でいることを期待されているのかもしれません。
その為の、安定給与と社会的地位の保証があると考えれば、多少のことは我慢すべきと合点が行くと思います。
近年、少子化の影響からか、一人っ子や末っ子の割合が、必然的に増えています。
バス運転士の公共交通サービスへの姿勢も、法令改正などがあり、もしかしたら今後大きく変化するかもしれません。
但し、具体的に明文化され法的サンクションが無いと理解できないでは、なにか寂しくそこに愛を感じませんし、どこかの国と変わりません。