先日、キャリアの一点豪華主義よりも平均的に満遍なくキャリアを築くことの方が、評価が高くなる旨を記事にしました。
但し、これは一つの一芸を極める努力を否定しているものではありません。
むしろ、一芸を極める努力は大変重要で、社会的にも評価されるべきものと私は考えます。
しかし、現実的に不特定多数の人間と関わる社会の一員として仕事をする以上、一点豪華主義を目指す前に社会が求める最低限度の基準は各々のキャリアで満たすべきと云っているのです。
バス運転士の場合は、運転や車両の技量や知識が優れていても、顧客対応や車内清掃など乗客に配慮することに欠ける運転士は、評価の対象にならないと云うことです。
逆に、この運転士が必要最低限の乗客に対する配慮を身に付ければ、評価が格段に向上することは云うまでもありません。
社会の構成員である以上、仕事に必要な必要最低限のキャリア項目は満たす必要があります。
そうでなくても仕事が問題なく進んでいる場合、誰かが我慢したり埋めあわせを行っているということになります。
職人さんの場合、高い技術力があれば対応が多少横柄でも許された時代がありました。
しかし競争の激しい昨今は、営業職を設けて顧客対応を無難に行っている場合が多数あります。
これは事業者側が、社会的に隙があることが許されない過当競争の一つの現れであると感じます。
そのように考えると、先ずは各人が必要最低限のキャリア項目を満たす方が、トータルで会社の社会的需要は高まると私は考えます。